Ep.7 HARUNA 7

「だが、国の運命を左右するほどの大陰謀はある意味でつまらない。利害や思惑が複雑にからみすぎるし、成果もゆっくりとしか表れない。障害となる人物の意見を変えさせたり、影響力を持つ者を取り込んだりするのに私の能力は欠かせないが、人一人が対応できる相手の数にはどうしても限界があるからね」

「はあ……そういうものなのか」

 あたしはため息をつくしかなかった。


「『人間は等身大の欲望しか持つことができない』と言ったのは、共産主義を唱えたマルクスだったかな。〝等身大〟というのは、自分はここにしかおらず、持って生まれた能力や生きられる時間には限りがあるという自覚のことさ。どうしてもそれを尺度にしてやりとげたいことを考えてしまう。でも、彼は私と出会って驚いていたよ。『きみには限界というものがないのだな』と」


「人間を超えてるってこと?」

「ある意味でね。だから、財産や地位、名声といったものにはまったく興味が持てない。逆に、永遠をとらえたような芸術への偏愛、透徹した知性への興味、人間という存在に対する好奇心は並はずれていると思う。特異な状況や危機に直面する人間とか、傑出した才能や個性を持つ人物と関わることは、このうえなく面白かったよ」

(そうか。人はすぐに個人的な利益とか目先の欲望にとらわれてしまう。ローレンスはその分広い視野で物事を見て、遠くまで想像力を働かせられるってことなんだ)


「レオナルド・ダ・ヴィンチとはしばしば語り合う友人だった。私が冗談で言ったアイデアが、彼の業績にいくつも生かされているよ。そういえば、フランスの哲学者デカルトの『我思う、ゆえに我あり』という有名な命題は、私が語って聞かせた人格転移の経験がヒントになっている。そこにある絵も、フェルメールのアトリエで私が面白おかしく話した体験談を、画家が作品の形に仕上げたものなんだよ。だから本当は、〝恋文屋〟のほうがオリジナルってことになるかもしれないね」

 話す内容によけいな歯止めをかける必要がなくなったせいか、ローレンスはなめらかな口調で語りつづけた。聞いているあたしは、ずっと開いた口がふさがらなかったけど。


「どうしてわざわざ日本に来たの?」

「第二次世界大戦でヨーロッパは荒廃し、以前ほどの面白みがなくなった。それで新しい世界を求めて長い旅に出たのだが、東洋の端っこまでたどり着いて、日本人の感性が世界でもっとも特異で繊細なものだとわかった。学校はつまらない利害がからまない分、人間の顔がよく見える。ことに聖エルザは、当時ではまれに見る自由で先進の校風だった。女子校とはいえ、教師たちも含めてさまざまな人間が集っていたから、それだけに興味深い事件もよく起こった。これこそ私の居場所だと思ったのだよ」


「でも、さっき『若』と共謀したようなことを言ったよね。あいつは圧倒的な権力を握っていたんだろ? だったらなぜ、それに抵抗して必死に戦おうとする姫たちのほうに味方しなかったんだい?」

 ローレンスは、嬉しそうに微笑を浮かべてうなずいた。


「いい質問だ。そう、あの戦いは、そこに至るまでの経緯も含めて、最高の見モノだったよ。私はね、ハードルをいくら高くしても、白雪和子にひきいられたクルセイダーズや空手部は、それを乗り越えようとするだろうと予感していた。彼女たちが挑む戦いは、困難であればあるほど見応えのあるものになると思ったのさ」

 ローレンスならではの理屈かもしれないが、なんて勝手な言い草なんだろう。自分さえ面白ければ、他人がいくら苦労しようとかまわないってことなのか。


「だから私は、あえて有利なはずの姉小路に加担し、夏合宿のクラスの徹底した階層制や最終日の仮装パーティの大がかりな演出まで、綿密な計画を練り上げてあいつに実行させた。姫が最大の盾とするだろう聖エルザの正統な継承権に対抗する論理も吹き込んだ。私は最強の手駒を盤上に並べ、極上のシミュレーションゲームのプレイボタンを押したんだ」


「だけど、最後には負けちゃったんだろ?」

「ああ、もののみごとにね。姉小路は顔をどす黒いまでに紅潮させて悔しがったが、私は心地いい敗北感にひたったものさ。あんなに楽しい一日は、長い生涯でも初めてだったかもしれない。それくらい姫たちの活躍は素晴らしく、私はそれを心ゆくまで堪能したよ」


(そうか、ある意味悪魔めいたところもあるけど、まさにこれがローレンスっていう唯一無二の存在の正体なんだ……)

 彼の満足とは別に、ママたちクルセイダーズや空手部にとっては、あの過酷な日々があったからこそ、今日までつづく強い絆が生まれたのだとも言える。もちろん、あたしは心底驚き、あきれ果てたけれども……。


 と、そのとき――

「聞かせてもらったわよ。あんたの秘密を何もかもね……」

 しわがれた不気味な声が聞こえた。

 あたしが開け放ったままの窓をさらに乱暴にこじ開け、タイトなロングドレスの女が入ってくるところだった。その姿は忘れようったって忘れられるはずがない。白河邸からあたしをさらおうとしたミス・ランドルフだった!


「これはこれは……ようこそ、とは言わないが、よくここを嗅ぎつけたね」

 ローレンスはさほど驚いた風もなく、そちらに顔を向けた。

「フン。クルセイダーズの仲間どもは、『若』との戦いに備えるのに忙しいらしくてね。この娘がマンションをこっそり脱け出したのも、私がその後をつけているのも、ぜんぜん気づかなかったようよ。それにしても、私を好き放題にあやつった恋文屋ローレンスの正体がこんな若造で、しかも私が舎監をつとめていたエルザハイツの真下に隠れ住んでいたなんて、人をバカにするにもほどがあるわ」


「それは言いがかりだよ。私のほうがそれ以前からここに住んでいるんだからね。では、もう姉小路には通報したのかな? この場所を教えてやれば、失態の償いにはなるだろう」

「『若』に知らせたなら、私は今頃どこかに隠れてのんびり成り行きを見物しているわ。ひどい折檻を受けたあげく、用無しと宣告されてあっさり追放されたのよ。三〇年も忠実に仕えてきたっていうのに……もう関係ない」

 ミス・ランドルフは言い、おもむろに深い胸の谷間に手を差し入れた。


 あたしはギョッとして腰を浮かせかけたけど、引き出したのはハイヒールの靴で、それを履いてゆっくりとこちらへ近づいてきた。

「では、あなたもいっしょに三〇年前の思い出話でもするかい?」

「いいえ、もう十分よ。私はずっと時の流れに逆らおうと必死に努力してきたわ。でも、結局は無駄なあがきだった。なのに……あんたはちがう。何人もの人間に乗り移り、何百年も生き延びてきた。今ではなんとあの頃の白雪たちと同じ高校生になって私を手玉に取り、いいようにもてあそんだ。そんな道理に反する存在が許されると思うの? これは復讐なんかじゃない。天罰よ!」


 そう言うと、ミス・ランドルフは背中に隠していた拳銃をすばやく取り出し、なんのためらいも見せずにいきなり撃ち放った――。

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