墓参り



 子どもの頃の俺は墓参りが好きではなかった。

 顔も名前も知らないような見ず知らずの先祖とやらに花を飾り、線香を焚き、手を合わせる理由かわからなかった。手を合わせて皆なにを祈ってるんだと馬鹿らしくさえ思っていた。それでも毎年欠かさず行っていたのは親父のせいだ。

 決して近くはない墓地に親父は俺を連れいつも楽し気に車を走らせ向かっていた。

 何がそんなに楽しいのか。あんな墓以外何もないような場所。

 毎年毎年バカ丁寧に墓を磨いて、草むしりして、花飾って、そうして一通り済ませると親父は「さて帰るか」とゆっくり立ち上がって車に戻る───駐車場までのその道中、親父は何もない場所で照れくさそうに軽く会釈をする。毎年毎年何もないそこに、親父には何が見えているのか。……え、もしかして幽霊? なんてある年思い至って頭を振る。いやいや、ここが墓場だからってそんな安直な。

 聞いていいものか、いや聞くのが躊躇われるような。

 それでも好奇心には勝てず子どもながら人生最大の覚悟で、意を決して

「……ねぇお父さん。いつも何にお辞儀してるの?」

 会釈したばかりの親父に、そう少しだけ震える声で尋ねた。

 すると親父は驚いたように一瞬目を見開き、それからバツが悪そうな笑みを浮かべて

「大人になったらきっとお前にもわかるよ」

 母さんには内緒な、と口元に人差し指を当てた。俺はただ小さく頷き返した。

 ───墓参りは大人になっても、やっぱり好きにはなれなかった。ただの習慣だった墓参りも、親父がそこに入って少しだけ意味のある行為になった。

 辺りの草むしりをして、花を飾って、線香を焚く。親父程バカ丁寧には出来てないけど、ま、それで勘弁してくれや。心の中でそう呟き墓の前に片膝をつき、手を合わせる。

「ガキだった息子も大分デカくなったろ。……また見せに来るからな」

 隣で俺のまねをするように手を合わせる息子の頭を軽くポンと叩く。

「んじゃ、いくか」

 そう声をかけ膝の汚れを軽く払い、立ち上がると腰を逸らせた。ぽきっと小気味よい音が鳴って、お父さん、とこちらに伸ばされた小さな手を握り返すと駐車場までの道をゆっくりと進む。

 楽しそうにしている息子の様子を横目で見ながら、ふと前に視線を向けると向こうからゆっくりとこちらに向かってくる女性の姿が見えた。何処かの避暑中のお嬢さんかというようなつばの大きなベージュ色の帽子に真っ白なレースのワンピースを身に纏った女性には身に覚えがあった。

 あの人、毎年この時期に良く遇うな。

 何年か前からよく見かけるようになった彼女のもまた、同じ様に墓参りに来ているのだろう。

 腰まで伸びた真っ直ぐな黒髪が風に吹かれて流れていく。ゆったりと靡くつばを飛ばないようにそっと掴んでいる。光に透けるような肌の白さ、彼女のその所作のひとつひとつがどこか儚げでいてそれでいて気品に溢れていた。

 あまりにも見過ぎていたのだろう。彼女はふとこちらに視線を向けると、柔らかく笑った。とても、美しい人だった。

 なんだか恥ずかしくなりどうしていいか分からず、すれ違い様に軽く会釈だけしておいた。彼女もそっと口元に手を添えくすくすと笑いながらすれ違い様に会釈を返す。……あぁ、もうなんだか恥ずかしい。

 少しだけ火照った頬に手を当てていると、息子がくいくいと繋いでいた手を引っ張った。

「ねぇ、お父さん」

「ん? どうした」

 立ち止まり息子と同じ目線まで腰を落とす。

「今なににお辞儀したの?」

「え?」

 来た道を振り返る。

 そこにあったのはただ墓ばかりが並ぶ墓地だけだった。

 不意に子どもの頃の親父の顔が思い浮かぶ。「大人になったらきっとお前にもわかるよ。母さんには内緒な」と口元に人差し指を当てたバツの悪そうな困った笑顔。

 ───あぁ、そういうことか、と思う。

「大人になったらお前にも分るよ」

 不思議そうに首を傾げる息子の頭に手を乗せ

「帰り道、ただの面食いだったお前の祖父ちゃんの話をたくさん聞かせてやろう」

 そう言ってくしゃくしゃに撫でまわして笑った。



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