夜道



 春が近づいてきたというのにまだ夜は肌寒い。日中が温かかったのもあって少し薄着で出掛けてしまったことを少しだけ後悔する。

 ポケットに手を突っ込み、小さく溜息を吐けば、その息が少しだけ冷えて頬を撫でてきて私はもう1度溜息を吐いた。

 ───あぁ、もう。

 そうやって何とはなしに見上げた空は澄んでいていつもよりも星が綺麗に見えた。いつもはもう少し見える星の数は少ないように思う。視線を巡らせて納得する。

 あぁ、街灯が少ないからか。

 ポケットから携帯を取り出して時間を確認すれば、23時を回っている。こんな時間になれば住宅街であるこの辺りでは大体の家から明かりが消えている。それもあって余計に星が綺麗に見えるのだろう。

 久しくこんな綺麗な夜空を見ていなかった気がする。

 なんだか緩む口元を右手で押さえながら前を向けば、視線の先、十字路に立つ1本の街灯の下に猫の姿を見つけた。

 灯りに照らされる黒毛は遠巻きにも艶やかな毛並みだとわかる。凛と背筋を伸ばし、目を奪われていると視線に気づいたのかちらりとこちらを見つめてきた。

 辺りに人の気配がないことを確かめると立ち止まり「こんばんは」と遠巻きに声を掛けてみる。

 猫は怪訝そうにこちらを一瞥すると、視線を自身の後ろに移した。私も釣られるようにそちらに視線を移せば自分が歩いてきた道よりもより街灯の少ない薄暗い道が見えた。少し前までは良くその道を通って帰ってきていたがそういえば最近は通らなくなったな……等とぼんやり考えていると、視線の先、奥の方でぼんやりと人影が見えた気がした。ユラユラと体を揺すりこちらに歩いて来ているその姿を捉えて、立ち止まっているのがなんだか恥ずかしくなってきた。視線を猫に戻しお別れをいって去ろうと口を開きかけたその時、何となく先程の人に違和感があることに気付いた。

 その理由がわからず、もう1度その道に視線を戻す。ユラユラと揺れる人影が変わらず遠くに見える。───なにもおかしくないよね? ゆっくりと脚踏みをするように身体を揺するその人影は良く見れば先程からそこから一切進んでいないような気がする。確かめるようにして目を細め、街灯の下を歩くその人影に集中してみる───あれ、いくら遠くとはいえ、灯りの下なのになんで黒く見えるんだろう?

 途端、悪寒のようなものが背筋に走り視線を勢いよく逸らす。

 今のはなんだったんだろう。

 視線を感じ、そちらに目をやればこちらを真っすぐに見つめる猫の姿があった。視線が合うと猫は小首を傾げ、またあの薄暗い道に視線を戻した。

 釣られるようにしてまたあの道に視線を移すと変わらず遠く、街灯の下で黒い影がユラユラと揺れている。

 あぁ、そうか。と思う。

 猫にもう1度視線を戻す。

 猫を隔てて向こうは変わらず異様な雰囲気を醸し出しているのに、何故かここにいれば大丈夫だという気がする。もしかして、この猫が警告と共に境界を示してくれているのではないだろうか、そんな気さえする。

 そんな問いを含めた私の視線に猫は大きな欠伸で返し、また視線をあの道へと向けた。

「……ありがとう」

 そう小さく呟いて帰路に着くと背中に、にゃぁと小さく鳴き声が掛けられた気がして私はそっと微笑んだ。


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