友達
「ごめんな、さい」
街灯があまり機能していない薄暗いその道を通っていると、か細い誰かの声が聞こえた。辺りを見渡して、手元の時計に目をやる。22時半。
「ご、めんなさい」
虐待や暴漢、そんなものを想像して俺は───ほんとこんな時間に何してんだよ、と憤りを覚えた。
薄暗い辺りを見渡し、声の出どころを探る。
「ごめっ、なさい」
涙声の混じるその声の方向に、箱が、あった。薄暗くてよく色までは見えないが、恐らく白色の、まるで百葉箱のような、子ども1人入れるような小さな箱がそこそこ広い広場にポツンと立っていた。
辺りの様子を伺いながら慎重に箱へ足を進める。
ごめんなさい。
確かに声はそこから発せられているようだった。箱の傍に着いて、もう1度辺りの様子を窺いながら、箱の周りを1周してみることにした。四面の何処かに扉があるかもしれない。1歩1歩、息を顰めるように、しっかりと足場を確かめながら進む。
一面目。
二面目。
三面目───いた。
箱の中キツキツに、押し込められたように膝を抱えた大男がそこにいた。ごめんなさい、と俺に気付かないらしい男はまたそうか細い声で呟いた。
その絵面に心臓がバクバクを止めない。どうしようかと一瞬迷った末、な、なぁ、どうしたんだ? とそっと声を掛けた。
男は箱にキツキツに詰まっているせいで動けないようで目線だけこちらに向けた。怖い人から逃げるためにここへ隠れている、入ったはいいがここでは怖い人が何処にいるか見えないので怖くてずっとごめんなさいと謝っていたのだといった。よほど怖い経験をしてきたのだろう、目の奥が真っ暗でまるで心が死んでいるようだった。
俺は辺りを見渡し、誰も近くにいる様子はないと告げると安心したようで目の光が揺れた。
大丈夫そうなら、ここから出ないか?
1度入ったはいいが1人で抜けられないなら手伝ってやろうと思い、そう男に声を掛けた。
しかし男は「大丈夫」と答えた。ここは安心できるからもう少しだけここにいたい、そう続けた。
抜けられないのなら手伝うし、ここにいるよりもその怖い人から逃げるなら警察に行った方がよっぽど安心安全だと思うぞと告げれば、
「お兄さん、凄くいい人だね」
と男は小さく口角を上げた。そうして「僕に優しくしてくれる。優しくしてくれたから友達になりたい」そう続ける。
んー……っと……、とりあえず何か返そうと口を開きかけて「あ、待って」と男に制された。
「君とは友達になれないや。だって、僕に声を掛けてくれた、とても優しくしてくれた。君は僕にとって尊敬できる神みたいな感じだから君と友達になるなんて申し訳ない。ごめんなさい」そんな大層なことをしていない、と返せば「そんなことないよ……とても優しくて眩しいくらいだよ」という。
「……じゃあね、お願いしてもいい? 君は僕にとって神様みたいな感じだから君の友達を紹介してよ。優しい君の友達ならきっととても優しい人だろうから」
変なやつだとうすら寒さを少し感じつつ、また会うことがあれば俺の友人を紹介すると返す。名前は、と問われたのでふと頭に浮かんだ顔、〝マサト〟だと告げれば男はありがとうといった。
本当にここから出る手伝いや警察に付き添うとかしなくてもいいのかと確認をしたが、男は大丈夫の1点張りで仕方なく俺はその場を後にした。きっともう遇うこともないだろうと思う。
帰路に戻り1歩1歩歩みを進めていくと、自分の中で渦巻いていた不可思議な恐怖や不安にも似た感情が、変な経験をしたという面白さに変わっていくのを感じた。誰かにこの話をしたくて堪らなくなり、俺は辺りを何となく窺ってから携帯を手にした。何となくマサトの顔が頭に浮かび、さっき名前を出した人物でもあるから丁度いいだろうと発信ボタンを押す。暫くして「……なに」寝起きのような不機嫌そうな声が聞こえてきた。こんな時間にすまないと謝罪しつつ、ついさっきあった出来事を掻い摘んで話してみた。
「お前なにやってんの」
否定の言葉だが声は酷く楽しそうだ。そうやって言葉を2、3やりとしていると通話口から時折風音や雑音が聞こえるようになって何となく時計に目をやる。23時45分。
なぁ、今何処か出掛けてるのか?
「なにいってんの、こんな時間に出掛けるかよ」
そうだよな。ならテレビの音声か。すまん。
「は? テレビも点けてねーよ」
え、でもさっきから誰かの声も聞こえる気が───。
「は? お前寝言は寝て───え、嘘だろ、そんな──……」
マサトの声はそこで途切れ、後にはプープープーと切話音だけが聞こえていた。
真っ暗なティスプレイに目をやる。そこには酷く顔を強張らせた俺の姿が映っていた。
電話が切れる直前、ごめんなさい、そう聞こえた気がした。
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