夏の想い出
社会に出て、何年目だろうか。まだまだ新人だと思っていた私が、とうとう新人研修を任されることになった。まずは美術館の受付業務。順序立て後輩に説明していると、一組のご夫婦が美術館の入り口に立っているのが視界の端に見えて、思わず2度見した。
そこにいたのは知らないご夫婦だったのに、気がつくと何故か私の頬を涙が伝っていた。
「藤田の──」
不意に漏れた言葉は、仲良しだったご夫婦の名前だった。
うちの近所でクリーニング屋さんを営んでいたそのご夫婦は、私の祖母と仲良しで、お子さんがいなかったのもあってか私のことを本当の子どものように小さな頃から可愛がってくれていた。私が行くといつも笑顔で出迎えてくれ、その日あった何気ない話もうんうんと相槌を打ちながら穏やかな笑みで聞いてくれた。思春期に入り家族に対して反抗的な態度をとってしまうことがあっても、2人の前では不思議と素の私でいられた。私という人間を支えて、どんなときも心の拠り所として助けてくれたのは2人だった。
そんな2人のことが本当に大好きだった。
藤田のおばさんが早くに亡くなられて、おじさんも去年亡くなった。
見ず知らずのあのご夫婦を見た瞬間、藤田のおじさんとおばさんが重なって見えた気がした。おじさん達とはちっとも似てないのに、それが確かに2人だったのだと確信できた。
日々仕事に追われてしまっている私に思い出してほしかったんだろうか。
私のことが幾つになっても心配で逢いに来てくれたんだろうか。
それともちゃんとあの世で会えたよって教えにきてくれたんだろうか。
不意に頭に浮かんだのが2人の笑顔で私はまた目頭が熱くなった。
「あっちでも仲良しでよかった」
小さく空気を震わしたその音は、泡沫のように消えていく。
「先輩、どうかしましたか」
不意に掛けられた声にハッとする。心配そうに私の顔を覗き込む後輩の姿に、なんでもないよ、と笑顔を作る。
「続き説明するね」
何だか名残惜しくてもう1度だけ2人の姿を探しそうになる自分を制して、代わりに照りつくような日差しがキラキラと眩しくて、遠くで蝉が鳴いている、そんな季節に想いを馳せた。
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