おてて繋いで



 最近、右手の親指付け根に気がついたら痣が出来ていることが多くなった。そんなところをぶつけるはずもない。不思議に思いながらもその痣は数日もすれば消えるので気にしないことにした。

 そんなある日、たまたまバイトで出勤が一緒になった美穂ちゃんと休憩室で雑談していると、美穂ちゃんが急に「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げた。どうしたの、と聞いてみるものの「なんでもない」「勘違いだ」の一点張りで仕方なく話題を変えた。

 それから何事もなく仕事をこなし、ふと右手に目をやったとき、また痣が出来ていた。

 あぁいつの間に出来たんだろうなんてぼんやりその痣を眺めていると、少し青ざめた顔色で「大丈夫ですか」と美穂ちゃんが私に声を掛けてきた。

寧ろ美穂ちゃんの方が大丈夫じゃなさそうだ。

「あぁ、大丈夫。どこかにぶつけちゃったみたい。痛みもないし心配しないで」

と返すと「そうですか……気を付けてください」と美穂ちゃんは仕事に戻っていった。

 22時半を回り、漸く仕事が終わる。

 最終電車間際に電車に乗り込むと同じ様な最終電車組で車内は混雑している。今日もぎゅうぎゅう詰めだな、なんて覚悟しつつ出来るだけ楽に乗り過ごしたくて入り口すぐの椅子横のコーナーをキープする。ここなら立ちでも満員電車でも多少の楽は出来るはず。

 次々乗車する人込みに負けないようその位置の陣取りを決め込んでいると漸く扉が閉まり始めた。

「空いてるドアからご乗車ください。お荷物お鞄引いてください」

 そんな駅員さんのアナウンスが聞こえてくる。今日もやっぱり満員らしい。無理やり乗り込んでくる乗客を遮るように扉が閉まる。すし詰め状態で苦しそうな息を漏らすのがあちらこちらから聞こえてくる。

 でも、なんだかおかしい。

 そんな状況にもかかわらず、私は全然苦しくないのだ。

 それもその筈、私の前には人ひとり分程度の隙間が出来ていた。前を見れば若い男の人がその隙間をキープするように踏ん張ってくれていた。私に負担を掛けないように気を遣ってくれてるのか。なんて優しい人なんだろう。お礼の言葉の代わりに小さく会釈し笑顔を向ける。それに気付いて同じ様に笑顔を返してくれる。

 やがて最寄り駅に着いて私はまたその男性に軽く会釈をしながら電車を降りた。

 改札を出ると、今日は珍しくパトロール中なのか警察官のオジサンが立っていた。軽く会釈をされ慌てて会釈し返すと、今度は笑顔で手を振ってくる。え、私知らない人だよな。戸惑ったけどぎこちなく笑顔を作り小さく手を振って足早にその場を去った。

 今日は一体何なんだろう。

 その後もすれ違った人何人かに笑顔を向けられた。

 私、お上りさんにでも見えるのかな。もうここに住んで10年くらい経つのに……。

 まぁ、初々しくみえるってことで前向きにとらえよう。

 家に着き、早々に風呂に入る。疲れと共に今日のことを洗い流して寝室に戻ると机に投げ出していた携帯が淡く光っていた。

 メールでも届いたのかな、と携帯を拾い上げると美穂ちゃんからメッセージが届いていた。こんな時間になんだろうとメッセージ画面をタッチする。

『お疲れさまです。どうしても気になってしまったので連絡します。

休憩のとき、聞かれると良くないのかもといえなかったんですが、先輩の右手、小さな子が握ってました。気を付けてください』

 呆気に取られると同時に、瞬間、全てがつながった気がした。

 電車でのあの隙間も、帰り道のすれ違う人たちの笑顔も全部、全部私ではなくその子に向けられたものだったのかもしれない。

 恐る恐る、右手に目を向ける。

 痣は、確かに小さな子どもの手の形をしているようだった。



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