白い手



 出勤途中の駅のホームで、白いものが目に留まった。包帯だった。電車から降りてきた人の流れの中に、右手に包帯をしている人がいた。まるで厨二病のような包帯の巻き方だった。怪我かな。そういえば、最近包帯を巻いている人を良く見る気がする。どこで見たんだっけ。あれ、夢の中だっけ。そんなことをぼんやりと考えながら職場へ向かった。

 その日の帰り道、またふと白いものが目に留まった。包帯だった。1度意識をすると目に良く留まるようになるらしい。電車に20分乗って徒歩で15分、たったそれだけの自宅までの道のりで4人包帯を巻いた人を見かけた。皆一様に右手の掌中腹から手首と肘の間まで真っ白な包帯を巻いていた。

 皆この時期は気が緩むのだろうか。

 そんなことを思いながら夕ご飯を作っていたら右手にシュッと痛みが走る。包丁を持っていたはずの右手で何故か手首を少し切ってしまった。

 器用なドジもいたもんだ。

 傷口からじわりと溢れる血を眺めながらそんなことを思った。

 手首からその紅が零れ落ちる頃になってあっ、とようやく止血することを思い出した。慌てて近場にあったティッシュで止血する。傷口を覆った真っ白いティッシュがじわじわと赤く染まっていく。傷口はそんなに深くないらしくそのうち血は止まったが、代わりに鼓動に連動するように傷口がじくじくと痛んだ。傷の範囲が思ったよりも広くて、絆創膏の代わりにガーゼで傷を覆うことにする。テープで固定するも心許なかったので、更に包帯を巻いて固定することにした。暫くして私の右手は包帯で仰々しくも真っ白になる。

 なんだか大袈裟になってしまったように思う。

 少し掲げた右手には、手首だけのはずがうまく巻けなくて掌中腹から手首と肘の間まで包帯が巻かれている。それを眺めながら、あぁ、同じだな、と思う。

 今日見かけた人達も私と同じ様に、こうやってドジをして思ったよりも大袈裟になってしまったのだろうか。そう思うと少し笑えた。

 濡れないように気を付けて風呂に入り、布団に深く潜る。きつく巻き過ぎたのか、包帯を巻いた箇所がなんだか締め付けられている気がしたが、きっと痛みでそんな気がしているのだろうと目を閉じた。

 朝、いつものように目覚ましがけたたましく鳴り響く。枕元にある目覚ましをいつものように切ると、寝ぼけ眼を右手の甲で目を擦る。ヒヤッとした。

 え、なに。

 ゆっくりとした動作で右手を視界に入れる。

 ────真っ白な手があった。

 包帯を巻いていたはずの箇所に真っ白の手の先が、まるで包帯の代わりだと言わんばかりに私の右手を握手するが如く握っていた。

 途端、うぎゃっと自分のものとは思えないような声が出る。

 それを振り落とすように激しく右手を振り回し、もう1度自分の右手にゆっくりと眼をやる。

 そこにあったのは、昨日の夜の仰々しいような真っ白な包帯の巻かれた自分の手だった。

 なんだ、寝ぼけていたのか。

 そっと胸を撫で下ろし、私はいつもの日常に戻る。

 そうして、昨日同様出勤途中の駅のホームで、また白いものが目に留まった。少しどきりとしたが目を移せばやはり包帯だった。安堵に胸を撫で下ろしながら、電車から降りてきた人の流れに逆らうように進む。その中にも包帯の人はいて、自然と意識がそちらに向かいすれ違い様にちらりとその手に目を向ける。

 手、だった。

 遠目に包帯だと思ったのは、真っ白な手だった。きつく、離れることなく動くことなく真っ白な手はそこに絡みついていた。

 思わず足を止めてしまった私を、邪魔だと身体で体現せんと言わんばかりに声には出さずぶつかり通り過ぎて行く。

 見間違いだろうか。

 流れいく人の隙間を縫うようにその手を視線だけで追う。

 振り返れば、真っ白な手の指先が、まるで目でもついているかのように私の方へとじっと向いていた。

「ひっ」

 漏れた息が、耳に響いて余計恐怖を駆り立てる。

 目が離せないまま数歩後退り、弾かれるように私はその場を走り去った。

 職場までそこから5分もかからないはずなのにやけに遠く感じる。何人もの通行人を掻き分けるように職場へ飛び込むとおはようございます、と声がする。びくっと跳ねた身体を誤魔化すように小さく息を吐き、おはようと何事もなかったかのように声の主の方へ振り向けば、後輩の田代が眉を顰めていた。

「主任、顔色悪いですが大丈夫ですか?」

 大丈夫と答える私に指し伸ばされる田代の右手。それを見た途端息が止まる。

「た、しろ、その手、どうしたの」

「あぁ、これですか。昨日書類を落としてしまいまして。その時に切ってしまったんです」

 そう苦笑う田代の右手には真っ白な包帯が巻かれていた。

「そう、なんだ。……偶然だね。私も昨日料理してたらちょっと切っちゃったんだ。……でね」

 僅かに上擦る声で

「……田代にはこれ、何に見える?」

 自身の右手を軽く掲げそれを指差しながら問えば

「なにいってるんですか、包帯ですよね」

 顎でくいっと私の包帯を指す。

 ………確かに、私の右手にあるのは仰々しいまでの真っ白な包帯だった。

「もう揶揄ってるんですか」

 そう怒りながら去っていく田代の右手には真っ白な手が離さないと言わんばかりにきつく絡まっていた。

 私は、もう1度自分の右手に眼をやる。

 そこにあるのは確かに仰々しいまでの包帯だったが、私は息をすることも忘れ包帯をはぎ取った。そのまま勢いよく投げ捨てた包帯は、投げた勢いなどお構いなしにゆらゆらとゆっくり舞い落ちる。落ち切る前に私は息の続く限り遠くへ、その場から逃げた。喉の奥が痛むまで足を動かした。やけに右手が締め付けられている気がしたが、痛みのせいだともう右手を見るのは止めた。


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