戻らない道程~ゴミと写真

私の目は少しづつ透けてくるような感覚。。真っ暗闇だったのが少し全体に光が入ってくるような感覚で、特に右外側の方は動くモノの輪郭がぼんやり見えるようになっていました。そうなってくると遠近感も不思議と元通り。退院後ほぼ1週間でこれだけ回復するとは。。先生は驚いていました。引き続き安静にして出血させないようにと言われ、目薬はもうささなくて良いと言われました。

実家に行って、片付けてアルバムや仏壇などを持って帰るとなると電車では無理です。旦那さんはタクシーで行きなさいと言いましたが、行きは環八を左車線で行けばそのまま左。。帰りは右側車線をそのまま走って井荻トンネル内で右へ行けば良いのですから、車線変更はほとんどありません。。右からの動きが視野に入るだろう事と、左目が1.5の視力がありますので、法律的には運転できるということになります。いつもは飛ばし屋の私ですが慎重に運転すれば何とか大丈夫だろう。恐る恐る運転する事にしました。怖かったのは最初の二日くらいで、その後は右の視野は完全に復活しましたので、問題なく運転できました。

片付け初日、困った事に合鍵が合いませんでした。城田さんに連絡をして、父の持ち物から鍵を持って来てもらって開けてもらいました。どうも私が去った後、例のお友達の助けでも借りたのでしょう。。鍵を変えていたようでした。その後は、部屋に合鍵がありましたのでそちらを利用しましたが、この事で私が勝手に片付けたとは言いにくくなったのだろうと、今になって思うに、結果的には功を奏することになったのです。。部屋に入って驚いたのは、たくさんぶら下がっていたエトロの服。。これが乱雑に汚れものと交じって値札付きで袖も通していないものがおしっこやいろんなこぼした液体で汚染されていた事です。。エトロの店員さんと売り場で楽しそうに写真を撮ってもらったと思える写真立ても無くなっていた。。きっと、父は癇癪を起してグジャグジャにしたのだろうと思う。。

城田さんは父の通帳など一旦部屋に置いたままだったらしくそれを持って行きました。後は少しぶら下がっているエトロの服。。まだ真新しいものもありましたので、嫌がる城田さんにごり押しで大きいゴミ袋に適当に詰めて貰ってもらいました。否だったら捨ててください。と言って。。本当に抵抗されましたが、否だったら、帰りにゴミ置き場にこの袋を捨てるのを手伝ってください。。とまで言ったら、本当に捨てますよ。とおっしゃっていた。。それでいいと思った。。お手数かけてすみませんと手伝ってもらった事のお礼を言いました。。

実際に片付けるとなると捨てないと場所が確保できません。家の旦那さんはサイズが合いませんので、直しに出さないと着れませんから。。それでも数着はめぼしいものをまず、車に詰め込みました。その後、仏壇。佳代さんのアルバム。などを順次車に積んで、やっと場所確保が出来た。。不思議な事に父の服をバッサバッサとゴミ袋に入れてこの日だけでも十袋は詰めたでしょうか。。それをゴミ置き場に捨てる時、私は快感を味わいました。。

かつて父がテレビで颯爽と仕事をする姿に泣き狂ったこの私が父のその仕事で得たお金で買った服を私の手で捨てているのです。

あの親。。否、あの男は着るもの数枚だけ持って、二度と浮世に戻れない道程を行かざる得ないのだ。今後は、与えられる食べ物。与えられる飲み物だけで、たとえ今、私が買ってきたばかりのペットボトルのお茶さえ自由に買う事の出来ない生活。。しかも個室ではない。個室は特養の費用をまともに支払える人の部屋で、身内も居なく、お金の無い入居者は特養の中でも差別化されている。四人部屋に入居するのだ。この狭い団地にうちだって貰いたくはない程の大きさのテレビをつい最近買ったらしいが、どんなサイズであれ、テレビすらも持ち込むことは許されない四人部屋。

父に、もはや人権というものは半分以上なくなったも同然。

あの男は落ちたのだ!

家族を思う、いたわる。そういった根本的思いを欠如させ、わが身を省みる事をしなかった父の心が自分を追い込み急転直下、奈落に落ちた。

何と爽快な気分だろう。。

自分でも不思議なくらい、私の心の底に氷より冷たいものが固まっていた事に気づいた。。


この夜、佳代さんの仏壇を我が家に迎え入れ、私の部屋に母の仏壇と共に飾りました。

そして佳代さんのアルバムを見て驚いた。。

そもそも実家を成人式の日に出るにあたって、私や母の写真を全部持って出ろ。残っていたら全部捨てる。と父は言っていた。今思うと、母イコール私だったのでしょう。きっと憎しみと悲しみがないまぜになって捨てたかったのだと思います。私は全部写真をネガごと、そして母の仏壇まで持って実家を出ましたが、虐待とはどういうものか?DVは?等、精神的後遺症等知る事になった三十代、幸せそうに写る家族写真が全部嘘に思えた。。そしてそれまでにしてきた仕事に未練を残さないためにすべての写真もネガも捨てていましたから、私には写真がほとんどありません。その事は思い出しもしないくらい後悔はありませんが、佳代さんがどこから見つけたのか?私の母と私が写る幼少期の写真一枚と私がテニスウエアを着ている写真一枚。後は中学生の頃、父と佳代さんと三人で伊豆へ旅行した時の私の写真を自身のアルバムに飾ってくれていたのです。

佳代さんと私は共に暮らした事がありませんでしたので、どうしても母親というイメージを私は持てなかったのですが、良い方だったから、ただただ、傷つけてはいけないと思う人だったのです。まさか、私の写真までアルバムに入れておいてくれたとは思いませんでした。生きている間に会えなかった事は本当に後悔しました。


佳代さんのアルバムは他に、中学、高校、大学の卒業アルバムもあって、これは佳代さんの両親に手渡したいと思いました。

しかし、佳代さんは「亡くなったらハワイの海に骨を撒いて。」と言ったのだそうです。でも相手のご両親ときちんと父は話したとは思えません。せめて分骨くらいしないと、一人娘だったのです。しかも、ハワイの州法も無視してアラモアナビーチで撒いてきたなんて。。ご両親からしたら娘を根こそぎ奪われたようなもの。。私は父の娘として謝罪したいけれど、だからこそ佳代さんのアルバムは返さねばならないとも思うのですが、私が姿を消した事を当然聞かれるだろうし、年老いたご老人に娘の夫が本当はどういった男だったのかとても話せません。どうすれば良いか?佳代さんの仏壇に今でも迷いながら語り掛けますが、やはり、佳代さんが私の写真を持っていてくれたように、私も佳代さんのアルバムを私が生きている限り持ち続けて、今度こそ、娘として佳代さんを思い出してあげる事が良いのかもしれないと考え始めています。

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