虐待。たった一行にひっかかり。。

「高齢者に対する虐待について」ここを予習として読んでいるうちに、一旦めまいを起こし、それ以上読み進められなくなってしまいましたが、レポート提出期限もある事から日をあらためて頑張って目を通し、レポートも提出できるようにまとめ上げました。


まったく、細かい事を気にしすぎだとは後から思ったのですが、気になる文面が脳裏に残ってしまったのです。


{昨今、子供に対する虐待が問題視されるようになって漸く高齢者に対する虐待にも関心が向けられるようになったが、子供に対するものより見つけにくい環境にあり。。。。。(要約しましたが。。)}


高齢者に対する虐待は

身体的、精神的、性的、ネグレクト、経済的。。と五つ挙げられていますが、

子供に対しても実は同じです。。


{子供に対するものより見つけにくい???}


ここに引っかかってしまったのです。

子供の対する虐待について、こんな社会認知だから、親族からの性的虐待はいつまでたっても世の中に浮かび上がってこない有様なのだと思う。


後期高齢者になった親に子供が性的関係を要求するだろうか?

老老介護で夫婦間であったなら性的関係の強要はあるかもしれない。しかし、

子供が排尿行為もままならない親に。。は実子関係であるなら、非常に考えにくい現象だと思える。

実際の高齢者への性的虐待は排尿に失敗した親に下半身を露出させたまま外に放り出すなどの行為や、他人である介護者がむやみに陰部を触る等も性的虐待にあたるらしいけれど。。。

変わって子供への性虐待の場合、親が子供に強要、洗脳、さまざまな形で性的関係を要求する場合はある。他人からだけでなく、親がむやみに子供の陰部を触ったり舐めたりという行為も性的虐待であり、実際に存在する。


見つけにくいというのは、実際どちらが見つけにくいのか?

法的に考えても、後期高齢者で青年後見人をたてた場合、本人の判断能力の欠如により訴訟を起こす権利等も無くなってしまうのかもしれないけれど、後期高齢者でも青年後見人をたてて居なければ、訴訟を出来る出来ないの本人の判断力は別として法的に権利は守られていることになる。誰かの手助けがあれば、例えば虐待者では無いヘルパーさんやケアマネージャーなどの手助けで訴訟をする事はできる。

子供の場合、どんなに正常な発達をしてきた子供であっても二十歳になるまで自分に起きた被害に対して訴訟を起こす権利は持たされていない。

変わって保護者である親、または親代わりがその子に変わって訴訟を起こす事ができる。すなわち、子供には訴訟を起こす権利は持たされていない。加害者が親であったなら、子供は二十歳になるまで泣き寝入りと、時効だけをカウントされるという事を法律からも強いられているのだ。

児童養護施設へ親族からの体罰によって入所を余儀なくされた子供がカウンセリングを受けるうち、年月が経って実は性的虐待も受けていたことが発覚するケースもあるほど、性的虐待は外傷が無い為、発見するのに非常に時間がかかってしまったり、まったく発見されることなく、親族からの被害の場合、完全犯罪が成立しやすい環境が整ってしまっているのだ。


テキストに高齢者への虐待が子供に対するものより見つけにくいとは何を根拠に書いているのか?。。

親族からの子供への性虐待。。

そんな話は{昔話?}{少数派だから?}{そんな事、外国の話でしょ?}{あっても希なケースだから?。。。}放ったらかしで良いのだろうか?

。。。

でも、そこには確かな人生があって、排除されたまま生きなくてはならない過酷な

長い人生が待っている。どんな人生だって一つの人生がないがしろにされたままで良いはずが無い。。

もし、比較すると言うなら、子供が被害を受けた後の人生は高齢者のその後よりずっと長く、過酷な人生を生きなければならない事、私は身をもって体験している。

立て直しができる環境も整わず、被害の残酷な実態も知らず、勝手に生きろ!と放り出された何十年もの子供の人生より、後期高齢者の終末の人生の閉じ方の方が尊いのだろうか?


{途中ですが。。こういった事を考える時、例えば。。私の経験の中で言うと、飼っている犬たちの難病をどう打破させ、健康を取り戻させようかとした時なども、ああすればこうなる。。こうすればああなる。。だったら?どうして?何故?と頭の中で?マークが飛び交い、まるで軸を失った駒のようにどんどん突き進んで、世界中を泳ぎまくるマグロのように中々元にもどってこれなくなるのです。

話を戻します。。}


それと高齢者への虐待。。果たして高齢者だけが弱者なのだろうか?後期高齢者だからすべてが弱者なのだろうか?後期高齢者が虐待をする場合だってある。。親族が介護疲れで虐待をしてしまうとはよく聞くが、果たして介護疲れだけが原因だろうか?

私はもっと大元の原因があるようにニュースなどを見ていつも思ってしまう。。

元々、家族として機能していなかった環境があるのではないか?と。。

我が家の場合で考えれば、介護に通う中、父からの性的虐待は日常だった。。

それは関係を要求される。{もちろん応じてはいない。}

素っ裸を見せつけられる。むやみに体に触れてくる。{介助は別}

過去の性虐待の正当性を屁理屈混ぜて私に執拗に話す。

過去に起きた近親姦はお前のせいだ。責任をとれとまで言われる始末。

そういった様々な暴言。。さすがに体力は無くなったのか?暴力は無かったけれど。。高齢者とて隠れた筋力をある瞬間発揮する場合があると聞いた事がある。認知症が進めばその後暴力はあったのかもしれない。


結局、私は心身疲弊し、心療内科で安定剤を貰いながら介護に通っていた。

それでも、私からの逆襲の虐待だけは思いとどまっていた。。


親族からの性虐待はある意味稀なのかもしれない。

しかし、ネグレクトやDVこういった機能不全家族の環境で育った子供は案外多いのだと思う。それら家族の世代交代がやってくれば、高齢者が虐待主になることだってあるのだと思う。高齢者=弱者という考え方だけでは、悲惨な事件は消えないような気がする。


性虐待に関しては、私には同志がいる。。

私は現在五十代。。

自助ミーティングに通ってくる年代として数は少ない。。

しかし、四十代、三十代、二十代、と若くなるにつれ、その数は増えている。

性虐待と言うくくりを除けば、もっと増える筈。

虐待を受けてきた子供もいつまでも子供のままではないという事。。

そして介護問題として2025年問題というのがある。一気に高齢者が増えるのだそう。

介護するその子供たち。。虐待を受けて生き残っている人が一気に増える時代でもある。

今の子供からいきなり虐待が始まったわけではない。。水面下で虐待を受け続け、大人になった子供が中年期になって高齢になった親に虐待、もしくは介護放棄という虐待をする側面もあるのだと思う。。


虐待はエスカレートする傾向にある。。

それは高齢者に対しても、子供に対しても同じだと思う。どちらのケースも、時代の闇でエスカレートしていき、何と現代社会では、子供が親を、親が子供を殺してしまうほどの時代に差し掛かってきているではないか???

高齢者への虐待だけを考えるのではなく、高齢者への虐待をする可能性を摘むうえでも子供への虐待の対策を考えねばならないのではないか?


少なくとも今後、介護放棄という形の虐待は増えてくるはずのような気がするのは私だけなのだろうか???


とまぁ。。。ちょっと考え過ぎ???という感も否めませんが、

あの一行を読んだ瞬間に私の脳内のシナプスが一瞬でつながり。。まるでコンピューターの様に文字が浮かび上がってしまったのです。

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