第五十六楽曲 卒業

卒業のプロローグは希が語る

 久しぶりに学校に行く。しかし今では慣れた4人揃っての送迎もこれが最後だ。この日私たちは備糸高校を卒業する。

 中学の時の卒業式では感慨深い気持ちなんて何もなかった。所謂コミュ障と言っても過言ではない私だから、一応の友達はいても心を許せるほど深い間柄の生徒はいなかったのだ。


 しかし高校は違う。今、後部座席に座る私の隣には唯がいる。おっとりした雰囲気の唯は母性本能を私に向けて可愛がってくれた。私も唯に甘えるのが好きだ。

 その唯の隣には美和がいる。2年生と3年生を同じクラスで過ごした美和は、バンド活動では何かとペアになることも多く、一番同じ時間を過ごした。血気盛んな私の性格もよくわかっていて、今思えば美和の咄嗟の行動にはたくさん助けられたなと感謝する。


 そして前列、助手席には当バンドのセンターでリーダーの古都がいる。私の高校生活が思いの外充実したのは間違いなく彼女のおかげだ。口に出しては言ってあげないが。

 古都からゲームセンターで声をかけられて、そしてバンドをやろうと誘われた。それが私のドラマーとしての始まりであり、私たち2人がダイヤモンドハーレムの始まりだった。あの出来事があったおかげで私はかけがえのない経験を積ませてもらったと思っている。


 そんな感慨に耽る卒業式の日、学校に到着すると校門の前で私たちは降ろされる。運転してくれたジャパニカン芸能の男性社員さんは、この後何をして過ごすのか、卒業式が終わって私たちの送迎をしたらこの日の業務は終わりだ。


「きゃー!」

「うお! 来た! 来た!」

「むむ!」


 後列助手席側にいた私は最初に車を降り、その光景を見て思わず身構える。校門の周辺には多くの在校生がいたのだ。過去2年の備糸高校の卒業式でこんな光景は見たことがない。


「きゃー!」

「ひえっ!」


 続いて降りてきた唯は小さな悲鳴を上げた。私と同じくこの光景に絶句しているようだ。


「きゃー! 可愛い!」

「うおー!」


 そして古都と美和が降りるのは同じタイミングだった。その瞬間、ひと際大きな歓声が上がる。インドア派の私と唯とは違ってアウトドア派の古都と美和。よく人目につく行動をするから校内での認知度が高い。つまり人気が違う。その古都と美和もこの人の多さに唖然としていた。

 そう、この在校生の人だかりは私たちダイヤモンドハーレムの到着待ちであった。ギリギリ進学校と言われる程度のどこにでもある標準的な公立の普通課程高校だから、芸能人が在校していることはかなり珍しい。


「大丈夫? 校舎までついて行こうか?」


 すると運転席にいたはずの男性社員さんが車を降りていて、呆然と突っ立っている私たちに問うた。しかしそれに美和が苦笑いで遠慮を口にする。


「いえ。どうせこの様子じゃ、校舎の中も変わらないでしょうし」

「まぁ、確かに。何かあったらすぐに電話して」

「わかりました」


 そう言って男性社員さんは車に戻り去って行った。それを見送って私たちは揃って校門を潜る。


「きゃー! 古都先輩、握手してください」

「はいはい」


 しかしすぐに囲まれる。歩きにくいったらない。どいてくれないかな? ファンなら歓迎だから邪険にはしたくないけど、ただのミーハーならご遠慮願いたい。それでも芸能人の自覚が芽生えている私たちだから、愛想良く受け応える。


「美和先輩、これ、受け取ってください」

「ありがとう」


 美和は在校生の女の子から贈り物をもらっている。まぁ、それも事務所の検閲行きなんだけど。加えて手紙が添えてあるのだが、昭和レトロにもハートのシールで封がされている。明らかにラブレターだよな? まぁ、美和は美形だから女の子からモテるのも納得だが。


「うおっ!」


 唯に目を向けてそんな感嘆の声を上げるのは男子生徒だ。唯はその厭らしい視線に怯えた様子を見せ、私の手をギュッと握る。明らかに視線は唯のマシュマロに向いているのだ。ブレザーなのに目ざとい奴らめ。


「希先輩、妹系で萌える」

「ちっちぇぇな。可愛すぎだろ」

「人形みたい」


 こんにゃろう。私に対する言葉はチビや童顔のコンプレックスに関するものばかりだ。誰だ? 言った奴は? 全員男子の声だったけど、お前か? いかん、私はもう芸能人だ。愛嬌を振りまかなくては。

 私はニコッとしてみた。


「……惚れた」


 数人の男子生徒が落ちた。


「ドラムのフットペダルになって希様に踏まれたい……」


 それなら叶えてあげないでもないが、大層な趣味の奴もいたもんだ。まぁ、いい。これで人が減って歩きやすくなるのなら。やっぱりコンプレックスのチビと童顔も使いようだな。


 そんなこんなで在校生に囲まれながら昇降口までやって来ると、やっと解放された。しかし……。


「うお……」

「うわ……」


 古都と美和だ。下駄箱を開けた途端に数多くの封筒が滑り落ちた。本当に原始的だな。今時SNSで芸能人とも直接繋がりが持てるのに。とは言え、ラインなどのメッセージアプリや、果ては電話番号など、そこまで知ってお近づきになりたいが故の行動だろう。

 ただ、私と唯はインドア派だからステージ以外ではそれほど目立たない。古都や美和のように昼休みに校内を徘徊することもほとんどなかったから、知名度は低い。つまり目立っていないので人気は低いはず。そう思って下駄箱を開けた。


「むむ!」

「う……、私にもある……」


 確かに古都と美和ほどではなかったので滑り落ちることもなかったが、私にも唯にも手紙は数通入っていた。ファンレターなら嬉しいが、ラブレターの類ならば告白というものに慣れていないから面倒だ。慣れていないのは唯も同じで、戸惑っている。


 とりあえず私も唯も手紙を鞄に突っ込んで手を繋いだ。これも開封前に事務所の検閲行きだ。

 校内を歩くだけなのにそんな慌ただしい時を経て、私たち4人はやっと自分のクラスまで到着した。3年生の教室がある階までやって来るとここからは平和だ。3年間見慣れた同級生に、最低1年は同じ教室にいたクラスメイト。いちいち私たちに群がることはない。


 教室の中をグイグイ進むと私は自席に到着した。するとそこには胸花が置いてあった。私はそれを見た瞬間、急いで鞄を机の横に掛け、胸花を持って唯のもとへ行った。


「どうしたの? のんちゃん」

「ん。つけて」

「えへへ。いいよ」


 私が差し出した胸花を受け取ると唯は私の胸につけてくれた。唯の綺麗な黒髪が私の顔に触れてくすぐったかったが、それすらも癒しを与えてくれるしいい匂いだ。そして唯が私の胸花をつけ終わって顔を上げたので私はすかさず言う。


「唯のもつけてあげる」

「嬉しい。ありがとう」


 これだ、この大義名分が欲しかった。私は安全ピンを広げて唯の胸ポケットに刺す。その時にグッと手を押して唯のマシュマロを堪能することは忘れない。


「あー! ズルい!」


 すると当バンドのお転婆娘の声が教室に響いた。私は唯の胸花をつけ終わったタイミングでその声の方に顔を上げる。すると古都が眉を吊り上げて、そして美和が苦笑いを浮かべて寄って来ていた。


「私が唯のをつけたかったのに!」

「ふふん。早い者勝ちよ」


 実に誇らしい。因みに古都と美和に顔を上げた時に周囲の生徒が目に入ったが、男子生徒の多くは私に注目していてそれはもう羨ましそうな顔をしていた。


 そんな朝を過ごしていると、やがて担任の長勢先生がビシッとキメたスーツ姿でやって来た。朝のホームルームである。退屈な卒業式の段取りの説明だから朝のホームルームとそんな卒業式はすっ飛ばす。


 やがて退屈な卒業式も滞りなく済み、今度は高校生活最後の帰りのホームルームだ。眼鏡をかけた中年の割に男前な長勢先生の最後の言葉に耳を傾ける。

 先生の話は特段当たり障りがないのだが、この先生が協力的なおかげで軽音楽部がなくなったこの高校にいながら、何かと音楽活動がしやすかった。だから私たちメンバー4人は帰りのホームルームが終わってから、教壇の長勢先生を囲んだ。


「先生、3年間ありがとうございました」


 4人が4人とも同じような礼を口にする。淡々と進んではいるが、しっかり感謝はこめて言った。


「うぅ……」

「え?」

「お前たちには本当に苦労したよ……」


 すると長勢先生はそんな恨み言を口にし、感極まって涙を流してしまった。まぁ、確かにお騒がせなバンドだった。先生にも色々な思いがあるのだろう。ただ長勢先生への感謝が尽きないのは事実なので、今日くらいは恨み言も素直に受け取ろうと思う。

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