第五十四楽曲 第三節

 ダイヤモンドハーレムは半日ほどのレコーディングを、1日1曲のペースで録り終えた。日程はあと2日あるので、それがミキシングとマスタリングに充てられる。


 その4日目の午前中。レコーディングは午後からのこの日、大和は都内の銀行に来ていた。東京での拠点の引き渡し決済である。銀行の応接室では先月済ませた契約時以来となる売り主との対面だ。他に不動産屋の権田と書士と銀行の融資担当がいる。

 温和そうな売り主は紳士的で礼儀正しい。契約時に大和は相手の顔を初めて見て安堵したものだ。これほど大きな買い物を、借金をしてまで敢行するのだから未だ肩に力は入るのである。そしてこの日もそんな売り主と対面して安心する……はずなのだが。


「なんで来たんだよ?」

「え? 私だって一緒に内覧したんだからいいじゃん」


 ニコニコ顔で答えるのは古都だ。書類の受け渡しと、記名押印と、金銭の流通だけのこの場所に古都が来たところで、はっきり言って退屈である。それでも昨日のレコーディング後、同行すると言ってこの日の朝、本当に古都は銀行まで来たのだ。しかも1人で。


「よく場所がわかったな?」

「泉さんに聞いたから」

「……」


 確かにこちらでの手続きは何かと泉に任せていた大和だが、これは個人情報にも当たる。まぁ、泉は相手が古都だから情報を与えたのだが。


「他のメンバーは?」

「のんはマンションで寝てるよ。美和と唯は買い物に行った」

「そっか」


 地元ではインディーズ楽曲がドラマタイアップされた時に騒ぎになって、しかも古都にはストーカーまで現れた。だから送迎がつくなど行動を制限されているが、東京では日中のうちはそこまでの必要なしという事務所の判断で行動制限がない。それで美和と唯は街に繰り出したのだ。


 引き渡し決済は銀行マンと不動産営業マンの権田と書士の手によって淡々と進む。買主である大和と売り主は、彼らから指示された時に書類を書いたり押印をするだけだ。基本的に売買当事者も暇である。そんな中、大和と古都の会話は進む。


「大和さん、今晩はイブだからマンションでクリパだよ? 美和と唯はそのためのケーキとかチキンを買いに行ってるの。泉さんも呼んであるよ。大和さんも絶対参加ね?」

「……」


 大和は古都にジト目を向ける。周囲が事務的な動きと会話しかしない中、女子高生との会話は華やかで場違いである。売り主こそ温和なその佇まいが救いだが、他の仕事人たちはそれなりにせっせと働いている。


「武村さんは呼ばなかったのか?」

「声かけたんだけどね、今日は他に担当してるアーティストがクリスマスライブなんだって。それでそっちの付き添いで無理みたい」

「あぁ、なるほど。だから今日のレコーディングの付き添いは僕1人にお願いって言ってたのか」


 と言うことである。つまり今日の武村は昼も夜も別のアーティストに同行だ。

 そんな場違いな会話を2人で交わしていると、やがて権田が立ち上がって言った。


「今日はありがとうございました。これにてお引き渡しは終了です」

「こちらこそありがとうございました」


 同じく大和も立ち上がり、色々と面倒を見てくれた権田に礼を述べる。こうしてかの物件は大和の所有物となり、引き渡し決済は終わって解散となった。

 すると銀行を出た先で古都を連れた大和に権田は言う。


「菱神さん、少しお時間よろしいですか?」

「はい。昼の1時までにスタジオに行ければいいので」


 それを聞いた権田は大和と古都を連れて近くの喫茶店に入った。ランチメニューもあるので、大和と古都はここで権田から接待を受ける。権田にとって古都の分は予定外の出費だが、どうせ会社宛てに領収書を切るし、美少女とのランチだから前向きだ。

 しかし話の内容は自身の仕事である。食事を取りながら権田は大和に言う。


「当社で売り主さんから預かっていた鍵ですが、年明けからリフォーム工事に入るので、このまま当社で預からせて頂いてよろしいですか?」

「はい、大丈夫です」


 つまり、権田の会社がリフォームの受注も勝ち取ったのだ。泉が手配したコンサルタント会社は相見積もりで負けたわけだが、設計業務はしっかり受注しているのでそれほど消沈してはいない。その設計プランも泉が大和から予算を預かり、代理で打合せの場に出て着実に進めている。


「大和さん」


 すると大和の隣の席の古都が口を挟む。大和は口に運んだばかりの料理を咀嚼しながら「ん?」と反応する。


「もう1回物件見に行きたい」

「なんで?」

「メンバーはまだ見てないでしょ? だからメンバーにも見せてあげようよ?」

「別に工事が終わってからでもいいんじゃない?」

「もう、つれないこと言うなぁ」

「ははは」


 するとここで2人の正面に座る権田の笑い声が割り込んだ。


「見に行かれるなら鍵をお渡ししておきますよ?」

「もらいます!」


 大和の意見も聞かずに力強く答えたのは古都だ。大和はやれやれと思う。


「工事が年明けからなので、鍵は年内に預けてもらえれば大丈夫です」

「そうですか」


 と言って大和は古都に向き直った。


「いつ行くんだ?」

「明日の午前は?」


 妥当なスケジュールだろう。明日もレコーディングは午後からだ。まとまった日中の時間は午前くらいしかない。更に翌日は地元に帰るので忙しいし、その前に鍵を権田に返すことも考えたら明日の午前しかない。


「権田さん、明日のレコーディングが終わったら御社に一度寄って鍵をお渡しします」

「わかりました。ではどうぞ」


 と言って大和は権田から鍵を受け取った。尤も玄関ドアも立て付けが悪くなっているので、取り換えるから鍵も変わるが。今後はもっと防犯性の高い最新鋭のものになる。ただこれは泉が打ち合わせていることであって、現時点で大和が知るところではない。


 この後食事を終えると大和は権田と別れた。そして古都を連れてこの日もレコーディングである。


 大和はジャパニカン芸能の車で移動しているものの、この日は現地集合。メンバー皆各々の場所から自分の楽器と機材を担いでやって来た。古都も銀行で大和と合流するまでは同様であった。

 とは言え、この日はミキシングなので演奏の予定がない。もし修正したい箇所を見つけた場合のために保険として持っていたに過ぎない。そして作業自体は順調で、しっかり時間内で終わらせた。


 やがてダイヤモンドハーレムのウィークリーマンションにやって来てクリスマスパーティーである。夜には仕事を終えた泉も合流した。豪華な料理と飲み物で埋め尽くされたリビングテーブルを6人で囲う中、古都が言う。


「明日の午前中さ、大和さんの新居を見に行かない?」

「え? 行きたい!」


 反応したのは美和である。唯も希も興味深そうに古都の話に耳を傾ける。大和はワインを飲みながら、古都の話を微笑ましく聞いていた。


「よし、じゃぁ、決まり」

「私も行く!」


 するとここで口を挟んだのが、大和と一緒にワインを飲んでいた泉だ。しかしそれにはすかさず大和が物申す。


「泉は仕事があるだろ?」

「大和の新居の代理業務は仕事の一環でやってるから大丈夫。これも仕事だから」

「……」


 確かにと納得するものの、楽しんでいる泉の表情からはどうにも仕事の意識が見えない。ただ、実際色々と手続きの面倒を見てくれているので、大和はそれ以上何も言わない。


「じゃぁ、この6人で行こう!」


 古都も随分楽しそうだ。そしてパーティー中である。お祭り女はどんどん盛り上がる。それは大人にも伝染させ、なんと大和と泉は早い時間から酔っぱらった。そして寝た。


「むむ」

「どうしようか?」


 眉を顰めて唸る希に、困り顔を浮かべてメンバーの意見を窺う唯。大和と泉はリビングの硬いフローリングの上で雑魚寝状態だ。ダイヤモンドハーレムのデビューが成功するように大人たちは日々与えられた役割に励んでいる。メンバーには感謝と労いの気持ちがあった。


「このまま布団をかけて寝かせてあげたいけど、もし夜中に泉さんが起きたら大和さんと同室は危険だよね?」


 美和が言ったその不安は他のメンバーも抱いているようで「うんうん」と首を縦に振った。肉食は女性側だという認識だ。間違ってはいないが。


「運ぶか……」


 ちょっと疲れたような声で古都が言うので、メンバーはこれに納得する。体力的に大変な作業だが、結局大和と泉は2人ずつに分かれたメンバーの個室に分けて運ばれ、そこに敷かれた布団に寝かされた。

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