第五十二楽曲 第九節

「大和さん! 大和さん!」


 大和から生気が無くなったことで古都は焦った。力いっぱい大和の名前を呼ぶ。これには泰雅も慌ててしまった。しかしそれでも泰雅は応急処置の手順を記憶から手繰り寄せ、それを実行しようとした。するとその時だった。


「ぐぅ……、ぐぅ……」

「え?」


 大和から鼾が発せられたのだ。古都も泰雅も虚を突かれる。


「ぐぅ……、ぐぅ……」


 しかしそんな2人をあざ笑うかのように大和から鼾が続く。泰雅は大和の手を避けて傷口を確認した。そして大和の顔に耳を寄せて呼吸も確認した。更には脈も確認した。それが一通り終わると古都に向けて顔を上げるのだ。


「寝てるな……」

「は?」

「確かに刺されてるけど、傷口も浅い」

「本当!?」

「あぁ。と言っても俺は医者じゃないからちゃんと病院で診てもらおう」

「うわーん! 大和さん!」


 安心した古都は大和を力いっぱい抱きしめて大泣きした。そんな古都の肩をちょんちょんと泰雅は突く。


「おい、一応怪我人だからお手柔らかにな?」

「ふぁっ!」


 古都は慌てて大和を解放した。相変わらず大和から鼾は鳴り止まない。するとここで古都は思い出した。


「あ! 犯人!」


 大和が無事である可能性が高いとわかって次に気になるのは刺した男だ。取り逃がしたくない。すると泰雅が言う。


「もしかしてそこで伸びてる奴か?」

「へ?」


 すると泰雅は屋外階段の先の、建物の角を指さした。屋外階段の隙間から男の両足が見える。上半身は建物に隠れて見えないが、大和を刺した男で間違いないだろうと古都は思った。


「いやさ、ここを出た後、煙草を買いに向かいのコンビニにいたんだわ」


 泰雅のこの説明に、泰雅が真っ直ぐ帰らずこのタイミングで登場したことに古都は解せた。


「それでコンビニを出た後、コンビニの外の灰皿で一服してんだが、そしたら挙動不審の男がここに入って行くのが見えて。煙草を吹かしてるうちにどんどん気になって様子を見に来たんだ」


 つまり泰雅は大通りを隔てて古都のストーカーを目撃していた。それで横断歩道を渡って戻って来たわけだ。


「それで俺が裏口に向かってる途中で血の付いた刃物を持ってる男が突進してくるから、咄嗟に腹パン入れちまった」

「ふぁっ! 泰雅さん!」


 これがストーカーの伸びた経緯である。古都は泰雅を心配して言葉を発しようとするが続かない。

 まぁ、犯人が逃げようとした最中とは言え、自分に刃物が向いていたのだから正当防衛は主張できるだろう。もしそれが認められなくても犯人を取り逃がさないための措置と言えば、情状酌量の余地はあるだろう。場慣れした泰雅の咄嗟の行動が功を奏した。


「もう少し俺が敏感に気にしてればもっと早く来れて、大和が刺されることはなかったな。すまん」

「ううん」


 古都はブンブンと勢いよく首を横に振った。たらればを言っても起きてしまったことは仕方がない。それよりも泰雅がここにいてくれることが心強かった。


 するとけたたましいサイレントとともに救急車が到着した。そのすぐ後には警察も到着した。大和は救急車に乗せられ、ストーカーは警察に引き渡された。古都と泰雅は事情聴取を受けたわけだが、夜遅くに高校生の古都をいつまでも縛るわけにはいかないので、早めに解放された。後日改めてということだ。


 病院に運ばれた大和の診断は軽傷であった。大和は刺される瞬間、咄嗟に相手の手首を掴んでおり、傷は浅かった。それは臓器にも届いておらず、加えて重要な血管の損傷もなかった。とりあえず一晩病院のベッドで寝かせて退院させられた。

 この報せには古都も泰雅も安堵したものだ。因みに大和が気を失った原因はやはり睡眠だ。


 大和はタローの事故による心労やフェスによる多忙で寝不足だった。それが創作を鈍らせた原因でもあり、するとなかなか進まない創作でまた寝不足になるという悪循環だ。それ故にダメージ負った瞬間、眠ってしまったのだ。

 しかし体を張って古都を守った大和だから、古都の家族や事務所からは多大に感謝された。実は大和は、古都の自宅に届いた贈り物を不振に思った杏里や武村から、警戒するよう言われていた。加えて新幹線でのことも気になっていたので、冷静に対応できたのだ。


 古都の外泊など、大和が傍にいることを面白く思わないストーカーによる犯行ではあったが、今回はこれが動機とは言え、今後他に現れるかもしれない狂人が同じ理由で危害を加えるとは限らない。今回は古都の自宅も知られていたわけで、外泊しなければいいというものでないのは誰もが理解していた。自宅だって安全とは言い切れないのだ。


「いやぁ、危ないところだったよ」


 そして事件翌晩、退院したこの日は月が替わって11月だ。大和は元気に店を開け、あっけらかんとそんなことを言う。この日ダイヤモンドハーレムは対バンライブが入っており、杏里の付き添いで都心に行っている。常連客はそちらに引っ張られてほとんどがライブハウスだ。

 今大和の正面にはカウンター席に響輝がいる。その隣は東京から血相を変えて飛んできた泉だ。もちろん今回の事件を聞いてのことである。因みに武村も一緒に飛んできたが、彼女はダイヤモンドハーレムの方についている。


「ちょっと、本当に大丈夫なの?」

「無理するなよ……」

「うん。痛みは残ってるけど、大丈夫」


 泉と響輝の心配を受け流す大和は笑顔だ。


「けど今日、僕も泰雅も昼間は一日事情聴取に取られちゃってさ、僕なんて創作の仕事が全然できてないや」

「あのさ、こんな時くらい休みなよ?」


 泉が咎めるが、大和に休めないプレッシャーを与えるのはこの女だ。大和はそんなことも頭を過ったが口にはせず、言葉を続けた。


「まぁ、今日は病院のベッドでゆっくり眠れたし、刺された箇所も浅かったから縫って終わったし、犯人も掴まって安心してる」

「はぁ……」


 泉のため息に響輝もつられて頭を抱えた。とは言え、大和が店を開けたから2人はこうして今酒を飲んでいるわけだが。


「あ、そうだ! 泉、これ」


 思い出したように声を上げた大和は1枚のCDを手渡す。


「ん?」

「カップリングの候補曲。なんとか4曲は作った」

「そっか。ありがたくいただく」


 いつもならメールで済ませるが、この日は泉が飛んで来るという連絡を受けたため、手渡しできるよう用意していた。大和が命を削って制作に関わった曲だ。泉はそのCDを大事にバッグに仕舞った。


「しかしストーカーとはな……。身近であるなんて未だに現実味がねぇわ」


 そう言って手元のビールを煽る響輝。その言葉を聞いて泉がキリッとした目を向ける。


「ストーカーはバカにできないよ? 今時地下やローカルアイドルにも湧くし、トップアーティストや女優なんて、いない方がおかしいって前提で事務所は守るんだから」

「へー、そうなんだな」


 と言うことは、杏里や大和に面倒を見てもらうなど、地元での活動中でもダイヤモンドハーレムのセキュリティーを疎かにしなかった事務所の功績も大きい。


「実際大和は貢献してくれたし。まぁ、それは自分の今カノだからって方が強いかもだけど」


 するとジト目で泉がそんなことを言うものだから、大和は表情を隠すように、響輝に出してもらったビールをぐっと煽った。て言うか、怪我人だから酒は控えろよ。一方、響輝は関係ない立場ながら、それでも大和の元カノの追撃に居心地が悪い。


 そして翌日の土曜日だ。東京に帰ったばかりの泉から大和に電話があった。


「休みの日までご苦労さん」

『いえいえ。それで4曲とも聴いたよ』

「どうだった?」


 この日もダイヤモンドハーレムはライブでいない。それは夕方、大和が1人で店にいて開店準備をしていた時だった。大和はスマートフォンをスピーカーにして、作業を進めながら話を聞く。


『1曲目がいいと思った』

「本当!?」


 大和の声が弾む。それはタローの家族に対する応援がテーマの曲だった。テーマの内容は泉にも既に話してある。


『うん。これなら間違いなく通ると思う。て言うか、担当として私が間違いなく通す』

「良かった……」


 大和から安堵の声が漏れる。


『ただ、テーマに関して公表するかは、ご遺族の心情も考えると慎重にならざるを得ない』

「まぁ、そうだよね。それはレーベルの意向に従うよ」

『うん。それじゃ、レコーディングは冬休み中だから、それまでにしっかり練習させて、曲のクオリティーを上げといてね』

「わかった」


 大和は電話を切ると、晴れやかな気持ちになって作業を続けた。

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