第四十九楽曲 第二節

 昼下がり、クラブギグボックスの前では開場待ちの客が列を作っていた。キャパシティ200人の小さな箱ではあるが、チケットは見事完売である。

 因みに、来月のビッグラインでのワンマンライブも完売だ。こちらはライブ主催者が芸能事務所のジャパニカン芸能とは言え、地元ではそれなりの規模の箱だから大したものである。彼女たちの勢いは留まることを知らない。


 やがて開場時間を迎えて整理番号順にぞろぞろと客がクラブギグボックスに入館する。その表情は皆期待に満ち溢れていた。インディーズ楽曲も音楽配信がされて、曲の認知度も高いのでその生演奏を楽しみにしている。

 最前列の手摺をしっかり確保したのは、ゴッドロックカフェの常連客のおっさんたちだ。物販がないインディーズバンドなので、彼らは自主制作したダイヤモンドハーレムオリジナルのタオルを首にかけていた。なんとも気合が入り過ぎである。


「タオル作って良かったな」

「まったくだ。時期的に暑いし、これがあるといかにもライブって感じだな」


 機械系工場員山田の言葉にご機嫌で答えるのは大工の田中だ。その隣には建設会社次期社長の木村と、食品加工工場の藤田がいる。全員ダイヤモンドハーレムの晴れ舞台に仕事の都合をつけて休みを取るからコアだ。

 最前列一番下手側には住宅メーカー営業マンの高木もいた。唯の正面にいるわけだが、幸い彼はこの日公休である。


「それ、自分たちで作ったんですか?」


 センターに立つ山田に問い掛けるのは田中とは反対隣のジミィ君だ。彼もまたセンターなので、しっかり古都の前を確保である。


「そうだ。いいだろ?」

「俺も欲しいです。どこで注文できますか?」

「注文しなくても余ってるぞ?」

「え? そうなんですか?」

「あぁ。業務用のプリントタオルだから、枚数まとめて注文したんだよ」

「欲しいです!」

「――ほれ」


 すると一度屈んだ山田は、手摺とステージの間の床に置いたバッグから大量にタオルを取り出し、それをジミィ君とその隣の連中に手渡す。


「いくらですか?」

「1枚500円」

「安っ!」

「まぁ、原価だけだからな」


 ジミィ君の隣は上手に向かって順に華乃、古都の妹裕美、正樹、江里菜がいる。更にその後ろは勝、そのカノジョの高田、泰雅、響輝だ。彼らもワンコインでタオルを受け取った。勿論泰雅以外の社会人は有休だ。

 常連客の輪から外れて上手側に勝がいるのはもちろん希が目的だ。スネアを叩く時に腰を捻るため、希の視線の正面をしっかり把握している。響輝は自身がアドバイザー役を務める美和の正面と言ったところだ。


 2列目以降にも多くのゴッドロックカフェの常連客や備糸高校の生徒が固まっている。末広バンドのメンバーもいる。4人は固まって観るようだ。学園祭でお馴染みのお笑いコンビや弓道部所属の女子生徒で、ダイヤモンドハーレムファン北野もいる。更にこの日は大山をはじめとするダンス部も来ていた。そう、新年度から正式な部に昇格したのだ。

 ホール中ほどにいる希がアルバイトをしていた書店の女性店員佐藤さんは、既に大学を卒業して社会人だ。そのツレ鈴木君は大学生活最後の年だ。

 唯の姉の彩と父親、それからゴッドロックカフェの常連客で高齢の河野は、ホール後方ドリンクカウンターの前で観るようだ。その近くにはピンキーパークのヒナがメンバーを引き連れて立っていた。腕を組んで真剣な表情でステージを見据えている。


 そして開場から30分後、ホールの照明が落とされる。


『おー!』

『きゃー!』


 途端にホールのざわつきは雑談から小さな歓声に色を変えた。野太い男声から黄色い女声まで様々だ。そのほとんどの客の目は輝き、ステージに注目していた。

 するとBGMが鳴り止み、ラップ調の入場曲が流れた。そして上手から早足に出てきたのはセーラー服衣装の希、唯、美和である。満面の笑みでホールに向かって手を振り、各々のポジションに就いた。


『うおー!』

『きゃー! 可愛い!』


 メンバーの登場に歓声はひと際増す。色とりどりのスポットライトがステージの上を走る。その光がこれから演奏する躍動感溢れた彼女たちの楽曲に倣うかのようだ。


『うおー!』

『きゃー!』

『ことー!』


 そして登場したのはバンドのセンター古都である。麗しいその容姿がスポットライトを浴びるのに相応しく、そして浮かべた笑顔が男女問わずオーディエンスを虜にする。客は皆、手を振る古都に自分に向かってその動作をしてほしく、一生懸命アピールをする。


 それぞれ楽器を構えた美和、唯、希はブルっと武者震いを感じた。今までだって何度も満員のホールをこの場所から見てきた。大きなステージにだって立った。しかし対バンライブやイベント形式のライブではないこの日、ここに集まった全ての客の目的が自分たちなのかと感動に浸った。

 古都も楽器を構えてマイクスタンドの前に立つと、ブルっと武者震いが全身を駆け抜けた。


 古都は改めてホールを見回してみる。前列は早期にチケットを購入した親しいファンたち。ホール中ほども既に顔を覚えた地元のファンが多数いる。後方まで視線を伸ばすと薄暗さで表情までは見えないが、それでも高揚が感じられる。そんな雰囲気をしっかり読み取った。


『こんにちは! ダイヤモンドハーレムです!』

『うおー!』


 定番となった第一声に割れんばかりの歓声でオーディエンスが答えた。頭上で拳を突き上げたり、手を叩いたりしている。それに古都はにこっと笑顔を浮かべる。ステージ袖で見守っている大和と杏里と武村も満足そうだ。


『今日は私たち初めてのワンマンライブへようこそ! それでは早速聴いてください!』


 ――と言ったところでステージ袖に駆け込む女がいた。


「あ、泉」

「間に合って良かった」


 泉である。息を切らせた彼女は声をかけてきた大和とそんな会話を交わすが、その声は互いに聞こえていない。口の動きと状況から察しているだけだ。彼女も武村同様わざわざ東京から来たようである。


 チッ、チッ、チッ、チッ


 そんな泉と大和の声に被せるように鳴ったのは希のカウントだ。そして途端に歪んだディストーションサウンドと、体の芯に溶け込むベース音がイントロを奏でる。それを乗せているのはドラムのビートだ。

 瞬間、オーディエンスは目が血走ったように声を上げ、そして拳を突き上げた。ダイヤモンドハーレムが演奏するイントロに合わせて裏拍で気合をステージに送り込む。


 そんな中Aメロに移行し、古都の歌声がオーディエンスの心を掴む。力強いハイトーンボイスながら、それでいて透き通るような声。何度聴いても感動を与えてくれる歌声で、飽きることがない。


 マイクに声をぶつけながらホールを見回す古都の目には、オーディエンスの活き活きした表情が写る。それが活力をくれる。オーディエンスからしたらダイヤモンドハーレムの演奏と古都の歌声が元気をくれる。相乗効果で一緒にステージを作り上げていた。

 スポットライトを浴びた古都はその光が直接目に入ると眩しいのだが、目元を顰めることもなくしっかりオーディエンスに視線を送った。彼ら彼女らがいたからこそここまで来られた。そして更なる飛躍の足掛かりとなるこの日、古都は感謝を胸に精いっぱい自分たちの歌を届けた。


 未発表曲も合わせると持ち曲が多いのは幸いである。ワンマンライブを進行できるだけの曲数を携え、それは順々に進行した。会場の一体感も上々。メンバーは皆、確かな手応えを感じていた。

 しかしメンバーにとって初めてのワンマンライブ。ステージ袖を合わせても経験者は大和だけだ。トラブルは起きる。経験値が低いので対処法も持ち合わせていない。


 それは最初のMCを経て次の1曲に移行した時だった。


 ピンッ!


 美和の顔の周りで小さな光が舞った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る