第四十七楽曲 第三節
日曜日は昼食後から創作を始めた大和と唯。昨晩までにできた数パターンのリフの中から一番いいと思える案を採用し、ギターの詰めとキーボードでの飾り付けを進めた。つまりこの曲のイントロはギターのリフのみならず、キーボードの音色も主になって表現される。
それは2時間ほどが経過した時だった。2人は休憩を入れ、大和が店からドリンクを持って来ると、唯がスマートフォンを見ながら言った。
「あ、今日、花火大会ですね」
ボックステーブルは機材が敷き詰められているので、液体を置くことはできない。各々の脇に空いた1脚の椅子に、トレーとともにグラスが置かれる。それを時々口に運びながら大和は答えた。
「あぁ、隣の市の?」
「はい、そうです」
備糸市だと7月下旬が市街地の祭りで、その一環として日曜日に花火大会が行われる。1年生の時にメンバーを連れて回ったことが大和の記憶が蘇る。だからこそ当初唯の話に首を傾げた大和だが、すぐに隣の市の花火大会がこの週だと思い至った。
唯も時々グラスを口に運びつつ、グラスを置くたびに空いた手でスマートフォンの画面をスクロールさせる。大和はそんな唯を眺めながら言った。
「もしかして行ってみたい?」
「え……?」
キョトンとして顔を上げた唯の手は止まった。思わぬ質問ではあったが、それはすぐに期待へと変わる。インドア派でもカレシとの花火大会デートは憧れるようだ。
「行ってみたいです」
唯は素直に答えたものの、懸念事項もある。そう、マネージング契約はまだとは言え、今や有名人の1段目を上り始めたダイヤモンドハーレムのメンバーだ。
「けど……」
「あ、目立つのが心配?」
大和の質問に唯は俯き加減になって上目遣いで首肯する。遠慮している様子は大和に読み取れるが、しかし期待もしっかり伝わる。
「それなら、浴衣に着替えて髪型と化粧を変える?」
「え? 浴衣は持って来てませんよ?」
「近くに呉服屋さんがあるからレンタルする。髪もメイクもやってくれるから」
「今からでも間に合うんですか?」
「へっへ。商工会の顔があるからね」
ろくに顔を出していないくせによく言う。とは言え、1年生の時の正月なんかはその場に触れた唯なので大和の顔の広さを頼もしく思った。尤も祖父の時代に培った人脈だから、大和がでかい顔をすることではない。
「
「やった。行きたいです」
「じゃぁ、呉服屋さんに電話してみる」
そう言って大和は早速電話をかけた。大和が慣れた話し方をしているので、唯は安心して見守っていた。大和の側の会話しか聞こえないが、内容も順調そうである。
やがて電話を切ると大和は唯を向いた。
「1人なら今からでもなんとかしてくれるって」
「本当ですか?」
「うん。すぐ近くだけど、早めに来てって言われたからもう出ようか?」
「はい」
2人はそそくさとグラスを片付けると、早速店を出た。
しかし当初こそ張り切っていた大和だが、呉服屋で着替えとメイクを済ませ、髪を結った唯を前にして落ち着きがなくなる。鮮やかな藍色に華やかな柄の浴衣が、可憐な少女の美しさを際立たせる。
「ど、どうですか?」
やや恥ずかしそうにしながらも唯が大和に感想を求める。しかし顔を真っ赤にするばかりで何も言えなくなってしまった大和。2年前とは関係の差があり、随分見方が変わっているようだ。するとドンと背中を小突かれる。
「うっ」
「なんとか言ってやれよ? 大和」
揶揄うような笑みを浮かべて大和に言葉を促すのはこの店の店主の倅だ。和服姿の彼は大和と響輝とは小学校と中学校の同級生である。大和の実家自体はこの一帯から少し外れた場所にあるが、祖父の代から商工会の付き合いで店同士も懇意にしている。
「凄く似合ってるよ。き、綺麗」
ぼっと頬を赤く染める唯。恥ずかしいのだが、やっぱり大和に言ってほしかった言葉なので嬉しい。すると大和はまたも背中を小突かれる。
「うっ」
「なぁに、菱神君が照れてんのよ?」
今度はこの店の若女将である。彼女も和服姿でこの店に嫁いだ倅の妻だ。彼女もまた大和と響輝とは小中学校の同級生で、古くから知った間柄の夫婦から冷やかしを受けて、大和は返す言葉も浮かばない。
すると若女将が唯に話しかけた。
「唯ちゃん、だっけ?」
「は、はい」
「菱神君のカノジョなの?」
またも顔を真っ赤にした唯だが、ブンブンと首を横に振る。マネージング契約を前にしっかり嘘の否定をした唯に大和は安堵する。これがもし古都か希なら危険だっただろう。いつからか積極的になった美和でさえ、今では侮れないと思う大和である。
「ダイヤモンドハーレムのメンバーなんだよね?」
「そ、そうです」
どうやらこのあたりのことはしっかり認識されているようだ。そもそも大和や響輝に関してはクラウディソニックの頃から同級生に認識されているのだ。
「応援してるね」
「ありがとうございます」
これには表情を明るくさせて答えた唯。しかし若女将はすぐさま大和を向いて目を細め、ニンマリと笑うのだ。大和は応援の意味がもう1つあるのだとすぐに悟った。下世話な想像は止めてほしいと願うが、隠しているとは言え交際は事実だから立つ瀬がない。
「菱神君は本当に浴衣じゃなくて良かったの? 男物くらいならすぐなのに」
「い、いいよ、僕は。それじゃぁ、ありがとう」
大和がそそくさと店を出る一方、唯は丁寧に頭を下げてお礼を言った。そして2人は駅に向かって歩いた。
花火大会は隣の市なので、この市街地が混んでいることはない。むしろ浴衣姿の唯が目立つくらいだ。大和はそんな周囲の目はさて置き、いつもより小さな歩幅の唯に気をつけて歩いた。
「大和さん。お金、ありがとうございます」
「ううん、気にしないで。せっかくのデートだから張り切りたくて」
そんな会話を交わしながら2人は駅まで到着し、程なくして入って来た電車に乗り込んだ。週末の夕方とは言え、少しばかり混んでいる印象のある車内。浴衣姿の乗客も稀に目につく。
やがてそれは目的地に近くづくほど増え、車内は満員となった。草履で、且つ、歩幅の小さな唯が肩に力を入れて縮こまっているので、大和は優しく唯を抱き寄せた。それに唯は安堵するとともに、ギュッと胸が締め付けられるような感覚に陥った。
唯は両手をそっと大和の胸に添えて、髪型が崩れないように気を付けながら額を大和の肩に当てた。大和の口元を唯の髪がくすぐり、胸元は唯の手に握られた巾着が揺れる。大和は唯の肩に両手を回して、唯を守るように周囲に視線を這わせた。
やがて到着した花火大会の最寄り駅で電車を降りると、建物のネオンに照らされた賑やかな雰囲気に包まれた。人が多く、通行人の女性の過半数は浴衣に見える。大和は唯の手をしっかり握った。すると唯が意外そうに顔を上げる。
「まぁ、隣の市だし、今の格好とこの人ごみなら目立たないかなって」
大和が頬をポリポリかきながらそんなことを言うので、唯ははにかんでしっかり大和の手を握り返した。引き合うように肩が大和の腕に密着するのも唯の心拍数を上げる。
「わぁ!」
10分ほど歩いて到着した河川敷の堤防では、多くの屋台が明るく軒を連ねていた。唯がそれを見て感嘆の声を上げる。日はすっかり落ち、空は薄暗くなっていた。花火大会はもうすぐ始まりそうだ。
「屋台でなにか食べる?」
「はい」
大和を向いて元気に返事をした唯が可愛らしくて大和の頬も緩んだ。和風美人と言える容姿の唯が和服に身を包むと、それが顕著で大人びる。しかしこの笑顔だけは高校生だと思わせてくれて、あどけない印象が変わらないその少女に大和の心は安らいだ。
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