第十八章

第四十六楽曲 思惑

思惑のプロローグは希が語る

 朝が苦手な私は普段学校がある時よりも早い起床が辛かった。顔も洗ったし朝ごはんも食べたのだが、すっぴんでまだ瞼は半分も開いていない。そんな状態で旅行用のキャリーバッグを押して家を出た。


「のんちゃん、おはよう」

「おはよう」


 玄関の外で出迎えてくれたのは唯と大和さん。大和さんが荷物を積み込んでくれて、唯が私の手を引いてくれる。唯の手は柔らかいから大好きだ。ただ、指先だけが硬いのはベーシストの証だろうと、それに感心もする。


「今日は静かだね」


 ジャパニカン芸能のミニバンに乗り込むと、助手席から古都が体を捻って問い掛けてきた。その言葉の意図は明らかにお兄ちゃんのことを言っているのだとわかる。


「うん。お兄ちゃんは出勤前だから朝は何かと忙しいのよ」

「ふーん、そっか」


 2日前にロックフェスを終えた7月の平日のこの日、自分の部屋を出た時にお兄ちゃんの部屋から物凄い物音が廊下まで聞こえた。ドアは閉まっていたので目で確認したわけではないが、失せ物を探していて、棚などから小物をひっくり返しているような音だった。


「それじゃ、行くよ」


 大和さんが一言そう言うと、ミニバンは走り出した。楽器類は大和さんが既に積んでくれていて、これから美和の家に彼女を迎えに行く。

 レコーディングの時の大和さんはゴッドロックカフェのある自宅を出ると、美和、私、古都、唯の順番で迎えに来た。しかし今日は向かう先が空港なので逆順だ。美和の家からが空港へ行くためのインターチェンジに一番近い。


 今日は札幌へ飛び立つ。そう、飛び立つのだ。昨夏の湘南のビーチライブと私たちのアルバイト代から持ち寄ったバンドのお金はレコーディングでほとんど無くなったが、それによってできたインディーズCDが完売した。加えて音楽配信も好調だ。更には来月、ビリビリロックフェスの出演料も入る。

 今やバンドの経済事情は余裕があるとのことで、それで今年は飛行機移動である。箱は昨年も立たせてもらったライブハウスで、先方から今年も来てくれと言われてブッキングされた。ありがたい限りだ。


 ただ、チケットバックはあると思うが対バンライブのため、交通費と1泊分の宿泊費を差し引くと赤字だ。それでも音楽配信しているインディーズ楽曲の告知になるし、ファン獲得のため必要経費である。そんなことを美和と杏里さんと大和さんが話していた。


「のんちゃん、肩使っていいよ」

「うん、ありがとう」


 私は唯の厚意に甘えて彼女にもたれかかった。唯の母性本能に包まれるようで安らぎ、私はゆっくり目を閉じた。

 昨日は私たちの地元でFM局のラジオ出演を果たした。初めてのメディア出演だったわけだが、それが地元なので感慨深い気持ちになった。ただ帰って来た時間が遅く、その後ドラムの練習も家でしたので寝るのが遅くなった。これも眠い要因だ。


 因みに夏休み中はマネージャーの杏里さんの休日確保のため、数回だけ大和さんが引率をしてくれる。杏里さんはビリビリロックフェスで延泊して昨日帰って来て、ラジオ局の付き添いだったから、今回は大和さんが杏里さんを思いやった。

 そんな杏里さんが今回の遠征中はゴッドロックカフェの営業を任されるそうだ。営業時間だけなので余裕があるとのこと。私たちの帰りは明日の予定である。

 今年は地方や首都圏で幾つか単発のライブが入っている。だから何度も遠出はするが、昨夏とは違ってツアーと言う位置づけではない。隙間に地元でのライブの予定も入っている。


 やがて私たちは美和を拾い、空港まで到着して飛行機に乗った。2時間もかからない空路である。昨夏の貧乏ツアーとは格式が段違いだ。


「うおー! 雲! 雲!」


 しかし飛行機ではなぜこんな座席になってしまったのだろう。車の中では唯の柔らかな感触に癒されたものだが、飛行機では隣の席が古都だ。うるさくて眠れたものではない。私が窓際で古都は中席なのだが、このじゃじゃ馬姫は私の方に身を乗り出して窓の外の光景に興奮している。

 ならば古都と席を代わる考えもあったのだが、通路側の席はスーツ姿のサラリーマン風の中年男性で、缶ビールを飲みながらつまみを食べている。その人があろうことかクチャラーだ。ため息しか出てこない。

 イヤホンをつけて音楽を聴くと席を隔てたクチャラーは幾分気にならなくなったが、如何せん身を乗り出すじゃじゃ馬姫が残っている。こいつ、拘束バンドで拘束してやろうか。ついでにサラリーマンには猿ぐつわを噛ませてやろうか。


「白い恋人! お土産に買う!」

「帰りにな」


 やがて到着した新千歳空港で何かと脱線しそうな古都は大和さんから手を引かれ、私たちは手配していたタクシー会社のワゴン車に乗り込んだ。あまり時間はないので真っ直ぐライブハウスに向かう。人数も荷物も多いので大変だ。


 そして昼下がり、到着したライブハウスでリハーサルが始まった。昨夏もこのステージのドラムセットに腰を据えた。そこから見渡すホール。スタッフと出演バンドとその関係者しか今はいないが、昨夏はホールの奥にあの人を見た。そう、今ちょうど大和さんが立って観ている位置だ。それに動揺したのが昨日のことのように思い出される。

 まさか今日も来るのだろうか? ホームページで告知はしているし、メンバー各々ツイッターにも上げているから情報を得ていてもおかしくはない。しかし私には意外に思ったこともある。


 昨夏のツアーでは私と唯一血の繋がった兄弟を連れて観に来たあの人。しかしインディーズCDの発送をした時に気づいたが、購入者リストにあの人の住所はなかった。1年前に観ただけでもう満足してしまったのだろうか?

 来たら来たで動揺するくせに、インディーズCDに反応がないとそれを面白くないと思っている自分がいる。いつから私はこんなに面倒くさい性格になったのだろう。そして今日は来てほしいと思っているのか、はたまた拒絶しているのか、自分で自分の気持ちがわからない。


 リハーサルが終わると私たちダイヤモンドハーレムは着替えた。汗をかくのでリハーサル中に本番の衣装は着ない。リハーサルは音響確認の1曲だけだが、閉め切ったライブハウス内では例え冬場だとしても汗をかくのだ。


 しかし着替えてからどうしようかと迷う。私は朝からすっぴんである。これからメイクをしなくてはならない。美和と唯は家を出た時から既にある程度のメイクを済ませていて、今は本番用に仕上げをしていると言った感じだ。古都はすっぴんだったが、既にメイクを始めている。

 私が迷っているのは髪型だ。髪型を作るならメイクの前にしたい。ステージで一番多いのはセミロングの髪をそのままストレートに下ろすスタイル。それによって髪が暴れるので、ドラムアクションが映えるから。つまりいつもどおりなら今のままだ。


 コンコン。


「着替え終わった?」


 するとノックとともに控室のドアの向こうから聞こえてきたのは大和さんの声。それに美和が「はい、終わりました」と答えるとそのドアが開いた。


「もう大丈夫だそうです」


 大和さんがそう言った後に入室してきたのは、今日の対バンライブで一緒のバンドだ。女性ボーカルのバンドだがその他のメンバーは男性で、この時入って来たのはその男性メンバーだ。私たちが控室を占拠していたので待っていたようだ。

 その時に大和さんも入室して来たので、私は立ち上がってチョコチョコと大和さんの前に移動した。


「な、なに……?」


 引き攣った表情の大和さん。普段から私たちに――特に私と古都だが――振り回されてその警戒心は強い。今もなにを言われるのか、はたまた、なにをされるのか身構えている。


「ん」


 私は自分の後ろ髪を両手で掴み、耳の裏辺りまで上げてみた。


「かぁぁぁぁぁ」


 大和さんは声にならない声を出して真っ赤になった。うん、決まった。今日の髪型はツインテールにしよう。


 この後私は髪型を作りメイクを済ませた。すると大和さんのみならず唯までうっとりしたのはなぜだ? まぁ、唯の反応だから私は嬉しいけど。

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