第四十五楽曲 疾走

疾走のプロローグは古都が語る

 朝食を終えてロビーに立った私たちダイヤモンドハーレムはチェックアウトだ。背中にはギグバッグが背負われており、手には旅行鞄だ。舗装されていない夏のスキー場を歩くのでキャリーバッグは非効率。だから手持ちの鞄だし、のんもいつものキャリーカートを引いていない。

 のんはスネアのバッグを肩から提げて、ツインペダルのバッグは大和さんが持ってくれている。響輝さんが弦楽器3人のエフェクターボードを持ってくれた。するとそのロビーでのこと。


「おーい! みんなー!」


 ロビーのソファーの方から声がかかる。振り返ると杏里さんが手を振って寄って来ていた。現マネージャーの登場に私は思わず顔を綻ばせた。


「杏里さん! 着いてたの?」

「早朝に着いた。東京からの夜行バス使ったからめちゃくちゃ長旅だったよ」


 どっと疲れたような表情を見せる杏里さんだが、声をかけてきた時には満面の笑みだったので表現の一環だと思う。表情は明るくその美貌を際立たせているから、バスの中でしっかり寝たのだろう。


「響輝に手ぇ出してないでしょうね?」


 途端にジト目を向けて杏里さんがそんなことを言う。私たちメンバー4人は大和さんにゾッコンなんだから、そんなことするわけないのに。それを説明すると杏里さんはホッとしたように言った。


「安心した」


 本当に疑われているのか? まぁ、それだけ響輝さんのことが大好きなんだろう。その響輝さんは我関せずと言った感じで大和さんと雑談をしているし。カノジョをもっと構えよ。これは大和さんにも言えることなんだけどな。まったくこの2人は。


 この後、杏里さんが唯の分のエフェクターボードを負担してくれて私たちはホテルを出た。

 今日のステージが終わったらダイヤモンドハーレムと大和さんは地元に帰る。響輝さんと杏里さんは2人でフェスを楽しんで、この先は自費でこのホテルに1泊するそうだ。いいな、イチャイチャするんだろうな。

 往路では響輝さんも一緒に大和さんが運転するジャパニカン芸能の車に乗り込んだが、復路は響輝さんが抜ける。響輝さんと杏里さんはバスと電車で帰るそうだ。


 この日は曇りで厚い雲がかかっている。強い日差しが降り注いでいないのでありがたい。天気予報で降水確率は低い数値だった。雲の割に雨の心配もないだろう。

 そして今日は本番だ。私たちのステージの日である。この高揚する気分が朝から元気にしてくれる。私は隣を歩く美和に弾丸トークをしかけていた。すると前を歩く大和さんが肩越しに振り返りながら言う。


「声の調子、大丈夫だろうな?」

「バッチリだよ!」

「まったく、昨日騒ぎ過ぎなんだよ」


 もうっ! また小言!


「ぶー」


 まぁ、それだけ気にかけてくれているってことだよね? だからいいけど。いや、待てよ。


「て言うか、そもそも大和さんは昨日の宴会を途中で抜けたじゃん。私が200%で騒いだなんて本当は知らないくせに」

「200%に上がってたのかよ……」


 ほとほと呆れたという顔を見せて大和さんは正面に向き直った。


 そんな大和さんの隣は唯とのんだが、心なしか唯が頬を赤く染め、頻繁に大和さんの横顔を窺っているような気がする。どこか惚けているように見える。唯にしては人前でこれほど無防備な表情を晒すのも珍しい。

 すると私の隣を歩く美和が私に顔を寄せた。そして耳打ちをするように声を潜めるのだ。


「そう言えば、昨日唯も抜けたよね?」

「あ……、そう言えば」


 どうやら美和も今の唯の様子に違和感を覚えているようだ。なにかあったな、この2人。しかも今18歳なのは唯だけだ。


「まさか大人の階段を上がったなんてこと……」


 ――と一瞬疑ってみるが、草食系同士だ。


「それはないか」


 それに大和さんは私たちが高校を卒業するまでは手を出さないって誓っているし。別に私としてはいつでもいいんだけどな。キュンキュンするちゅうはしてくれるから今はそれに甘えておこう。


「もしかしてキスくらいしたのかな?」

「あ……、確かに……」


 どうやら美和の思考は私と同じようだと実感する。確かに美和の言う通りだ。ベッドインはなくても、その可能性はある。どっちからだろ? まったくイメージができない。


 そんな感じで私と美和が後ろから唯を観察しているとサードステージに到着した。そのステージ裏のテントまで来てメンバーとこの日の引率の大和さんだけIDカードを首から提げると、スタッフの人がテントの中に案内してくれた。響輝さんと杏里さんはここでお別れだ。

 テント内はカーテンや衝立で仕切られていて、ステージに伸びる通路がある。その端にゴッドロックカフェの機材が置かれていた。今回は昨夏のビーチライブと違って公式オファーのステージだから報酬もそれなりで、機材の運搬まで業者配送で賄えた。私たちは体1つで来ている。


 そもそも今回はドラムセットとアンプまで自前だ。しかし私たちはライブに足りるだけの容量の自前のアンプを持っていないし、ドラムセットもない。そういう機材はゴッドロックカフェのステージから運び出した。愛着ある場所の使い慣れた機材でステージに立てるのはなんとも嬉しい。

 そのゴッドロックカフェの機材を横目に入ったスペースは、出演者共用の広い控室だった。


「おう! おはよう」


 テントの中で真っ先に声をかけてくれたのはスターベイツのタローさんだ。この日のトップバッターで10時からである。私たちがその次で、11時半からだ。ツヨシさんの姿は見当たらないが、私たちがスターベイツのメンバーに挨拶を返すと、スタッフの人から更衣室となるブースに案内された。


 やがてセーラー服の衣装に着替えた私たちダイヤモンドハーレム。唯とのんは大和さんと一緒にスターベイツのメンバーと固まるようだ。


「美和、テント内探検しよう?」

「うん。行こう」


 私と美和は同じ場所でジッとしていられないので歩き回る。と言っても、建物の中のように部屋数が幾つもあるわけではない。あるのはステージに伸びる通路と控室と仮設トイレくらいだ。


 私と美和はステージ袖までやって来た。そこからカーテンを少しだけ開けて客席を見ると、既に多数のお客さんが入っていた。


「もうお客さん入ってる」

「だね」


 私の顔の上で美和が相槌を打つ。雪のない季節のスキー場は原っぱの上がそのまま客席となっている。座席はなく、所々剥げていて土だ。そこにシートを敷いたり、一番ステージに近い手摺前を確保したりと、お客さんの行動は様々だ。


「あ、山田さんだ。田中さんもいる」


 美和のその声に客席を見回していると、確かにいた。木村さんや藤田さんや勝さんもいる。高木さんまでいるのだが、平日が公休日の彼は仕事を休んで来たのだろう。前方を陣取るゴッドロックカフェの常連さんたちの顔を見て安心感が湧く。


「あ、ジミィ君と華乃発見」

「本当だ。正樹たちも一緒にいるね」


 ジミィ君に、華乃に、高坂君に、江里菜っち。朱里とむっちゃんもいる。その後ろには遠慮がちにシートを分けてもらっている様子の末広バンドのメンバーもいた。備糸高校の生徒までこんな遠いところまで来てくれて感謝の限りだ。


 ステージ上では念入りにマイクテストと照明のチェックが行われていた。スターベイツの機材は既にセットされている。客席とは黒いカーテンで視界と空間が遮られていた。


「あ、ツヨシさん。ここにいたんだ」


 美和の声にぐるっとステージを観てみると、いた。控室にはいなかったツヨシさんだ。ドラムセットの後ろで久保さんと話している。お互いにかなり真剣な表情をしているのだが、私たちと同じインディーズであるスターベイツの気持ちの表れだろうか? それとも久保さんのステージへの拘りだろうか? その声までは聞こえない。

 一言挨拶をしておきたかったが、ツヨシさんは後で控室に来るだろうし、久保さんもPAブースに行く前に控室に顔は出すだろう。あまりにも表情が真剣で声をかけるのが憚られたので、私と美和はステージ袖を後にして控室に戻った。

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