第三十九楽曲 第六節

 完全に大和に落ちて惚けた表情で古都は控室を出た。通路で待っていたのはメンバー3人だ。


「早かったわね。まさか未遂?」


 すかさず希が問う。こんな問い掛けをしてはいるが、ドアに耳を当てていたからしっかり話は聞いていた。そして古都は、今にも涎を垂らしそうなだらしない表情で、視線は宙をさ迷っている。美和と唯は古都から出る言葉を、固唾を飲んで待った。


「うん、未遂。けどすっごく素敵だった」

「ふーん。どこまでしたの?」

「裸で抱き合ってちゅうした」

「う……」

「ひえっ」


 反応したのは美和と唯だ。なんだか仲間内で風俗店に行って出口で再合流したサラリーマンの雰囲気を醸し出している。全くもって性別が逆だ。ただ一つ誤解を与える言動があった。裸になったのは古都だけだ。

 するとムクッと古都が前を向き、表情を整えた。


「さ、曲作りやるよ!」

「そうだね、古都ちゃん。頑張ろう」

「うん、付き合うよ。その前に服を着て」


 唯と美和は羨む気持ちもあるものの、とりあえず靴以外は全裸の古都に答えて彼女たちはバックヤードに戻った。古都の手に握られた部屋着と下着が今までの状況を物語っている。


 その後、控室内ではと言うと。


「はぁ……」


 大和が布団の上でゴロゴロしていた。悶々とする。体は火照っている。先ほどあんなことがあったばかりなので当たり前だ。そしてそれが静まらない。大和は体を起こした。すると布団の上で胡坐をかく。


「はぁ……」


 出るのはため息ばかり。頭を掻き毟るようにするが、短髪なので指に髪が絡むことはない。大和は下着ごとスウェットを下ろした。


「はぁ……」


 何度ため息を漏らせば気が済むのか。右手はしっかり愚息を握っている。もちろん思い出されるのは先ほどまでの光景。つまりそれがおかずだ。


「へー、そんなに大きくなるんだ」

「ぎょっ!」


 慌てて大和は振り返った。と同時に慌ててスウェットを引っ手繰り上げる。


「初めて見た」


 なんとそこには、しれっとそんなことを言う希が立っていた。彼女は背中を向ける大和の肩越しに、後ろで手を組んで下半身を覗き込んでいた。


「かぁぁぁぁぁ」


 見られた。デリケートゾーンを。起き上がった愚息を。そして自慰行為を。大和は恥ずかしさのあまり頭を抱えた。

 しかしいつの間に? 本当に希は気配を消すのがうまい。入室に全く気付かなかった。正にくノ一だ。

 大和に今までのドアの外でのメンバーの会話は聞こえていない。メンバーが外で待機していたことすら知らなかった。尤もメンバーは小声で話していたからそれは致し方ない。


「手伝ってあげようか?」

「バ、バカ!」


 と言った時には既に大和は希から身を引いていた。しかし表情を変えない童顔の希はどこか素朴で心を奪われる。込み上げてくるものがあるが、今までの古都とのことを思い返すと自己嫌悪が増大するばかりだ。


「古都を思い出してたの?」

「……」

「知ってたわよ。メンバー3人は事前に古都から夜這いするって宣言されてたから」


 がっくりと肩を落とした大和。一生の恥だ。生きていけない。これからどうやってメンバーと顔を合わせればいいのか。


「ふふふ。女々しいのね。それなら我慢しなきゃ良かったのに。とは言え大和さんも男ね」

「……」


 ここで大和は古都との会話も全て聞かれていたのだと悟った。そうでなければ自分が我慢したことはわからないはず。そして大和は希から目を離せない。そうかと言って言葉も出てこない。


「キスしたんだって?」

「……」


 なにも答えない大和。しかしこうなると更に追い込むのが希だ。


「オナニー、メンバーにバラすわよ?」

「しました」

「素直でよろしい」


 完全に蛇に睨まれた蛙である。


「ところで聞きたいんだけど?」

「な、なに?」

「大和さんはメンバーのことをどう思ってるの?」

「ど、どうって?」

「惚けるの?」

「……。可愛い教え子だと思ってます」

「オナニー、バラすわよ」

「最近、女として意識することがあります」

「素直でよろしい」


 ここまでくるともう脅迫だ。ただ、これが大和の本心でもある。彼に逃げ場はない。立場上絶対に言うつもりがなかったのに、目撃された恥ずかしい場面を希が盾にして退路を塞ぐのだ。


「それはメンバーのうち誰? 古都? それとももしかして全員?」

「……」

「オナニー、バラすわよ」

「全員です」

「素直でよろしい」


 じわじわと首を絞められる大和。目の前の希だって含まれるのに、これを他のメンバーにまで知らされたらと思うと生きていけない。それほどの重圧が圧し掛かる。


「因みに大和さんはメンバーを見る目に差があったりする?」


 ブンブン。これには即答で首を横に振った大和。かなり勢いよく振ったので、希に対してそれは説得力があったようだ。


「そう。それは安心したわ」

「へ?」

「均等にメンバーを想ってくれてるのよね?」


 ブンブン。今度は首を縦に振った。これも大和の本心だ。ここのところそれを自覚し始めて戸惑っていた。確信までは至っていなかったが、まさかの四股の兆候に自分が信じられず、自己嫌悪していたのだ。

 そして希だ。なんと実は最近大和がメンバーを見る目が変わったと気づいていた。それは学園祭の頃からだとはさすがに思っておらずここ数週間くらいだが、気づいた根拠は特にない。発言が少ない割に大和をよく見ていて、なんとも勘の鋭い女である。


「私も大和さんのことが大好きよ。これからもその気持ちを大事にしてね」

「へ?」


 色々なことがあり過ぎて大和の頭はついてこない。希の言葉に唖然とするばかりだ。ただ希が靴を履いたまま小上がりに膝をかけ、四つん這いの体勢で寄って来るのを目で追った。


「んっ」


 そして肩に希の両手がかかったかと思うとキスをされた。抵抗する気力も、その思考も、反射も何もなかった。ゆっくりとした希の動きだったのに、大和は目を開けた状態でまとまらない思考のまま受け入れた。

 そして希は顔を離すと言う。


「バンド名のとおり大和さんは私たちダイヤモンドハーレムのカレシよ。皆バンドに身も心も捧げてる。今更メンバー同士で大和さんの取り合いなんてするわけにもいかないし、私たちの誰からも大和さんを取り上げたらダメなの。これからも4人に差をつけず愛して」

「は、はい……」

「但し、メンバーだけよ?」

「は、はい……」

「聞いたわ。浮気は許さないから」


 すると希は小上がりの下で立ち上がり、踵を返して控室を出た。呆然とした様子で背中を見送る大和は、希が閉めたドアの音を耳にする。


「はっ!?」


 1人になった控室でやっと正気に戻ったようだ。徐々に頭の中が整理できてきた。しかしそれと共により困惑する。


 カレシ? 4人の? いや、違う。ダイヤモンドハーレムの? あれ? やっぱり4人のカレシ? 意味不明。浮気がダメ? 他のメンバーは浮気にならない?


 ぐるぐると疑問符ばかりが大和の頭の中を引っ掻き回す。ただ、自分からは手を出していない。……と心の中で勝に対して言い訳をする。


「あ、のん」


 希が戻って来たバックヤードで古都が晴れやかな笑顔を見せる。古都はもう服を着ているが、楽器には触れていない。美和はギターを膝の上に置いていて椅子に座り、唯はキーボードの前に座っていた。


「ん? 古都は作曲してないの?」

「うん。先に詞を書こうと思って。それでイメージを膨らませて曲を作るんだ」


 大和に言われた。ありのままの気持ちを書くようにと。古都はそれを実践するために詞と曲の同時進行を止め、詞を先行して書いてからイメージを膨らませ、曲を作る手順に切り替えていた。


「のんはなにをしてたの?」

「大和さんとキスをしてきたのよ」

『……』


 目を丸くして手が止まった希以外の3人。希はそれに構うことなく空いていた唯の隣に腰かける。その希を目で追いながら、古都が問う。


「それ、本当?」

「本当よ」


 絶句する3人に構わず希は続けた。


「それから、大和さんはダイヤモンドハーレムのカレシだって本人に認識させたわ。私たちが大和さんを取り合ってバラバラになるわけにはいかない。だったら全員のカレシにすればいい。それなら大和さんは私たちだけを意識するし、私たちは他の女が寄って来ても今までどおり徹底的に排除する」


 積極的に人に言える関係ではなさそうだが、確かに大和自身への予防線になると3人は納得もする。


「うふふ。素敵なキスだったわ。私が2番目かな?」


 唖然とする古都と唯。しかし美和がボソボソっと口を開いた。


「ご、ごめん。実は……」

「むむ!」

「ひえっ!」

「なんだと!」


 美和の暴露でバックヤード内は大騒ぎとなった。それももう昨年の夏のことだ。そして昨年の夏と言えば……。


「えへへ。実は私も……」

「むむ!」

「しかも今では毎月のように」

「ひえっ!」


 完全に置いてけぼりを食らった唯の悲鳴が響いた。果たして彼女はいつ行動に移せるのか。とは言え、親の公認という意味では一番進んでいるのだが。

 こうしてずれた結束力を見せる女子トークを経て再開された曲作り。それはやがて完成した。


「すごっ……」


 翌朝、起きて保存されていた楽曲データを聴いた大和が唸る。鳥肌が止まらない。編曲アレンジはまだ成されていない弾き語りの曲だ。それ以外に耳に入ってくるものはなかった。それほど最高の1曲だった。

 その頃女子たちは大和の自宅の寝室に布団を敷き詰め、頭を寄せ合って天使のような寝顔を浮かべていた。

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