第三十三楽曲 第二節
翌朝の移動を経て昼下がり、博多でリハーサルのステージに立ったダイヤモンドハーレム。それをホール後方で見ていた大和に声をかける1人の男。
「これが大和が育ててるガールズバンドか?」
「タクマさん。そうです。どうですか?」
タクマは大和よりも少し年上で先輩に当たる、クラウディソニック時代の交流バンドの元メンバーだ。元メンバーと言っても趣味でバンドは続けていて、職業としての活動から身を引いてからは、このライブハウスの系列店である近くの楽器店に勤めている。
「いいじゃん。曲もいいし、腕もそれなりだし。何よりボーカルがいいわ。音域、声量、惹きつける声の質。どれを取っても文句なしだわ」
ここまでベタ褒めされて照れる大和。やはり自分が育てているバンドを褒められるのは、自身のパフォーマンスを褒められているのと同じくらい嬉しい。しかし……。
「ただ、ベースが勿体ないな……」
「あはは」
乾いた笑みを浮かべる大和。いつもよりキレのないステージ上の唯に目を向けた。
「リズムがずれるわけでもないし、ミストーンもないんだけど……、なんだろうな……」
「えっと、アクセントですかね?」
「そう、それ」
解せてスッキリしたような表情を浮かべるタクマ。この日のリハーサルを見ていて大和もずっと気になっていたことだ。
「音の強弱がないって言うか、そもそも音が弱い? ……のかな? スラップもプルが寂しいし」
「あはは」
大和の乾いた笑みは絶えない。しかし本当のことは言えない。尤も気心知れた元交流バンドのメンバーなので、言いふらすようなことはしないと思うが、やはり口は噤む。
いつもとは違う唯の演奏。それがステージで出てしまっている。本番までは3時間を切った。修正は可能だろうか?
そう言えば、自身の現役時代は大和と怜音が同じ理由でステージに立ったことがあって、融通の利かない響輝と泰雅からこっぴどく叱られた過去を思い出す。その時は全く修正が利かなかった。不安が増す。
やがてリハーサルを終えてステージを下りたメンバー。大和は彼女達を控室で迎え入れた。そしてすかさず持っていたミネラルウォーターのペットボトルを唯に手渡す。
「はい、唯」
「ありがとうございます……」
ステージではなんとか笑顔を浮かべていた唯だが、身内しかいないこの場所ではその顔色の悪さを遠慮なく出す。そして大和から手渡されたミネラルウォーターをゴクゴクと勢いよく飲んだ。
「どう? 大丈夫?」
「頭が痛いです。けど、朝よりは大分マシです」
「良くなってる感じ?」
「はい。この調子なら本番は問題ないかと……」
その言葉に安堵する大和。
唯は典型的な二日酔いである。演奏にキレがなかったのもこれが原因だ。朝は吐き気でトイレから出てこなかった。朝食もゼリー状のものを大和が買ってきてなんとか食べ、昼食はスープだけで済ませた。昨晩誤飲してしまったものの量が少なかったのは幸いだが、慣れない酒で唯はその弱さを露呈した。
唯のことを心配しつつ、周囲にも気を使っているのが大和と他のメンバー3人だ。とにかく唯の二日酔いを周囲にバレないように気を張っていた。未成年の飲酒の事実も然る事ながら、やはりライブハウス関係者や出演者に失礼である。
「本当にすいません……」
唯が恐縮そうに項垂れる。その言葉に力はない。
「まぁ、誤飲は仕方ないから気にしないで。今はなんとか体調を戻して、ステージをしっかりこなすことだけ考えよう」
「はい。じゃぁちょっと風に当たってきます」
「それならついて行くよ」
「ありがとうございます」
大和は控室を出る前に古都に向いた。
「ちょっと行ってくるね」
「うん。唯のことよろしくね」
「あんまり遠くには行かないようにするけど、古都たちも何かあったらすぐに連絡ちょうだい」
「わかった」
「なるべく外には出ないで」
「おっけー」
大和は唯を連れてライブハウスの外に出た。
外はどんより曇っていて今にも降りそうである。しかし天気予報では降らないとのことなのでもつのかもしれないと大和は期待も抱く。尤も宿は近いので、降ったところでそれほど影響はないかと楽観視もしていた。
「外の方が風があるから楽です……」
そして天気の如くどんよりしているのが唯だ。思わず大和は苦笑いを浮かべる。ライブハウスを出てすぐのところに小さな公園があったので、大和は唯と一緒にそこのベンチに腰掛けた。ミネラルウォーターは手放せない。
「何かあったの?」
「え……?」
力なく唯が大和に向く。大和は視線を正面に向けたまま風を受けていた。
「いやさ、昨晩、唯が寝るまでお母さんの愚痴を言ってたってメンバーから聞いたから」
「そうなんですか!? すいません。冷蔵庫を開けた後くらいから全然覚えてなくて……」
救えない。――と言うのは方便で、唯の心中も察する次第の大和だ。
昨晩は唯を布団に寝かせてから何があったのか大和は聞いた。とは言っても、唯以外のメンバーはアルコール誤飲の事実と母親に対する不満が出たことしか言っていない。そして酔っぱらった唯はその時の記憶がないから項垂れる。
「もしさ、何か溜め込んでることがあったりするなら言ってほしいかな。唯のお父さんからは公認の僕だし」
「え!?」
「ほら、プロデューサーと引率として唯を任せるって言ってくれたじゃん?」
「あ、あぁ……」
一瞬期待して反応してしまった自分が滑稽だ。唯はより頭が痛むように感じた。
「実は――」
「唯!」
母親との確執を話そうとしたその矢先、唯の声は遮られた。しかもなんとその当事者の声だ。まさかと思って唯は公園の入り口を振り向く。大和は単純に唯を呼ぶ声に驚いて同じ方向に振り向いた。
「お母さん……」
「え!? お母さん!? うそ!?」
大和は地面を踏み鳴らすように突き進んで来るその女性に慄いた。そしてその後ろを唯の父親もついて来る。なぜ数百キロ離れたこんなところに……? 唯の母親は唯が軽音楽をしていることを快く思っていないことは知っている。一気に大和に緊張が走った。
「なんて格好してるの! しかもその男の人は誰よ!」
ベンチの前に立って鬼の形相でセーラー服姿の唯を見下ろす唯の母親。唯はまさか本当に来ると思っていなかった。ホームページで場所の告知はしているし、そもそも場所を父親に教えてあったとは言え……だ。
大和はすかさず立ち上がった。唯の父親が「まぁ、まぁ」と言って母親を宥めている。
「初めまして。唯さんの指導と引率をさせてもらってます菱神大和です」
「指導と引率? あなたね? 唯をそそのかしたのは」
母親の大和に対する敵意は完全なものとなった。すると唯も立ち上がりすぐに反論を示す。
「大和さんはそそのかしてない! 私が自分で決めて音楽を始めて、自分で考えてこの場に立ってる!」
「いつまでもそんなこと言ってると、未成年をこんなとこまで連れ回したって警察に通報するわよ! 帰りましょう!」
「止めないか!」
唯の手を引こうとした母親を制したのは父親だ。母親の敵意は父親にも向いた。普段は温厚な父親だが、警察沙汰をちらつかされてさすがに視線が鋭くなる。
「僕が許可をしたんだ。大和君は何も悪くない。むしろ、毎晩唯から気に掛けてもらってるって聞いてる。僕も一度しっかり話して好青年だと思ったから唯を任せてるんだ」
「あなたがどう思おうとこれは明らかに非常識でしょ! 男と一緒だなんて不純よ!」
「大和君はそれも約束してくれた! 彼はしっかり唯のことを想った上で誠実な付き合いを約束してくれたんだ!」
「なっ! やっぱりそういう関係なの!?」
「そう聞いてる」
「え? ん? ちょ――」
「あ、あの!」
余計なことを口走ろうとした大和の言葉を唯が遮った。さっきから強めの口調なので頭が痛む。しかし両親を前にして誤飲とは言え飲酒の事実を知られてはならない。
「せっかく来てくれたならステージを観て行って!」
「は!?」
「あぁ、そうしよう!」
賛同したのは父親だ。大和は完全に置いてけぼりである。しかし父親は続けた。
「ステージでは唯がどんなに活き活きしているか、観てやってくれ。話はそれからにしよう。そうだ! 夜、僕達のホテルの部屋で話そう」
「ホテル!? お父さんとお母さん、泊りがけで来たの!? 仕事は?」
「無理やり有給を取ったよ。上司に渋い顔をされたけど……」
苦笑いでそんなことを言う父親を見て、唯も大和も居た堪れなくなった。父親がホテルと提案したのは、個室であるためだ。落ち着いて話せるとは到底思えないから。
大和は悟った。今この場で一番顔を立てなくてはならないのは誰なのかを。
「わかりました。是非そうしましょう。お母さんもお願いします」
大和は父親の機転を利かせた意見に賛同して母親に頭を下げた。唯はオロオロしだし、3人の顔を順々に見るが、大和に倣い「お願いします」と言って母親に頭を下げた。
すると母親は高圧的な態度ながらも言った。
「わかったわ。しっかり見届けてあげる。まぁ、観たところでこんな野蛮な音楽に理解は示せないけど。その後はしっかりお説教して連れて帰るから」
捨て台詞のようにそれだけ言うと母親は大和と唯の前から去った。それを父親が慌てて追いかける。大和と唯はどっと肩の力が抜けた。
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