大和の盆休み(下)

「ちょ、ちょ、古都?」


 なんと古都は後退った僕の足を跨いで足首の上に乗った。そのお尻の感触が柔らかい。――じゃなくて、とても困惑する。加えて古都が真っ直ぐ真剣に僕を見据えるものだから、その困惑は増す。


「私も大和さんとスキンシップがしたい」

「な、な、な、何言ってんだよ?」


 7歳も年下の女子高生から揶揄われて、自分でもはっきりわかるほど動揺している僕は滑稽だ。しかし古都の目力が強すぎて平常心が異世界に行ったっきり帰ってこない。そう、この状況に現実味を感じない。


「ちょ、ちょ、古都?」


 古都はお尻をずらして近づいて来る。その感触が……じゃなくて、その距離に困惑する。彼女の手は僕の太ももの上だ。腰は既に膝を過ぎた。するとここで僕の中で何かが弾けた。

 そうだ! 揶揄われている。これはいつものように揶揄われているのだ。だったらこっちも開き直って、年上の男の威厳を保って強気で出ればいい。


「な、何をすればいいんだよ?」


 と思いながらも結局声は震えている。ほとほと自分が情けない。


「リクエスト聞いてくれるの?」

「ぼ、僕にできることなら」


 するとにっこり笑った古都。ヤバい。明るいこの部屋でその笑顔を間近で見せられるとグッとくるものがある。いかん、いかん。煩悩滅却。

 すると古都が言うのだ。


「ちゅう……とか?」

「かぁぁぁぁぁ」


 自分でもわかるほど赤面した。唇に人差し指を当てて首を傾げる古都は今まで出会った女の子の中で一番可愛いと思った。彼女のこんな表情をどれだけの男が見たことがあるのかは知る由もないが、恐らく貴重な立場にいると理解する。そして古都に惹かれる男たちの心情に、今なら十分すぎる程共感できる。


「バ、バカ! できるわけないだろ! そんなこと」

「なんで? スキンシップだよ? 私もしたいよ? ダメ?」


 僕の知る限り、少なくとも今年の元旦まで古都はキスもしたことがないはず。それをなぜ平気でしようなんて思えるのか……。

 しかし更に摺り寄ってくる古都。彼女の手は既に僕の足の付け根で、彼女の腰はもう僕の太ももの上だ。起きてしまったあいつが古都の貞操にコンニチハをしないか不安である。


「するね?」


 あぁ、そうか。結局考え戻って納得する。そう、揶揄われているだけだ。古都だって本当にできるわけがない。そう思うと、できるものならしてみろという気になってきた。


「ちゅうぅぅぅぅぅ」


 すると古都がほんの少しだけ唇を突き出して顔をゆっくり近づけ始めた。少し瞼は落としたが完全ではなく、彼女の目は僕を捉えている。しかしこの表情も凄く可愛い。


「ぅぅぅぅぅ」


 ――じゃなくて。どうせ本気じゃない。どこまでできるか見てやろうではないか。もし万が一、彼女が引くに引けなくなって近づき過ぎたら、その時ばかりは僕が彼女の肩を優しく押し返そう。そして笑って言ってやるのだ。


 ――ははは、そこまで近づくなんて。負けたよ。


 そう大人の余裕で言ってやるのだ。


「ぅぅぅぅぅ」


 そしてどんどん近づく古都の顔。まだ引き返せる距離だ。しかし可愛い。彼女のいい匂いもより強く感じる。


「ぅぅぅぅぅ」


 だいぶ近づいたな。そろそろここらが限界か。彼女にしては頑張った方だろう。僕は彼女の肩を押そうと思い、床にあった両手を上げようとした。


「ちゅっ!」


 あれ? どうした? 今、何があった? 思考がうまくまとまらない。


「ぐふふ」


 古都は両手で拳を握り、その内側を口元に押し付けている。そして目を細めた彼女は嬉しそうで、けどどこか気恥ずかしそうにも見えて、それなのにとても満足そうだ。


「ぐふふ」


 相変わらず高揚した様子の声を漏らしている。と言うか、僕の思考が未だうまくまとまらない。何があった? 何が起きた?


「ぐふふ。しちゃった」


 しちゃった? 何を? 古都を押し返そうとしたら、まだ少し距離があったのに突然彼女の近づくスピードが上がったのだ。その時古都の腰が浮き上がったのは感じた。そして唇に柔らかい感触を一瞬受けた。その後古都はすぐに腰を戻して今はまた僕の太ももの上だ。


「ぐふふ。大和さんとしちゃった」


 古都は興奮している様子で足をバタバタさせている。あぁ、そうか。僕は古都と……。


「は!?」

「ぐふふ。ぐふふ。大和さんとちゅうしちゃった」

「………………」


 頭の上をいくつもの三点リーダーが通過する。一応、文章作法よろしくと言わんばかりに偶数としておこう。いや、そうじゃなくて。


 ――しちゃった? 古都と? 僕が? キスを?


「大和さん」

「は、はい」


 自らの手を離して口元を解放した古都は満面の笑みだった。そして人差し指を立てて、今度は僕の唇に当てるのだ。


「今の、私のファーストキスだから大事にしてね?」

「え、あ、わわわ、ん? あ、は、はい? ん?」

「えへへ」

「ちょ、ちょ、ちょ!」


 やっと頭が回り始めた。古都の今の表情は心を鷲掴みにするが、そんなことに酔っている場合ではない。


「し、しちゃったって! マズいよ!」

「大事にしてね」

「は、はい」


 それはもう聞いたし、理解したから承諾する。してしまったものは取り返せないから。そうじゃなくて倫理的にマズい。説教だ。説教をしなくては。しかし古都は僕とてんで方向違いのことを言う。


「メンバーには内緒だよ。またしてね?」

「ダメに決まってるだろ!」


 メンバーに言えないのなんて当たり前だ。と言うか、問題は後半の部分にある。しかし古都は不満を示す。


「なんで? してよ」

「ダメだって。許される行為じゃないから」

「時々でいいから」

「時々って?」

「1日に1回くらい?」

「バ、バカ! そんなの時々なんて言わない!」

「むー」


 膨れっ面を表現する古都。なんなのだ、この魅力的な表情は。2秒前の断固とした僕の思考がどこかに吹っ飛んで行ってしまう。


「じゃぁ、2日に1回は?」

「無理」

「むー。3日に1回」

「無理」

「むむー。1週間は?」

「うーん……。無理」

「えぇぇぇぇぇ。1カ月は?」

「うーん……。それくらいなら」

「やった」


 ん? あれ? どういう話になっているのだ? おかしい。これはおかしいぞ。


「えへへん。大和さんとちゅう。1カ月に1回はちゅう。なんか歯磨きするのも勿体無いなぁ」


 そう言ってやっと古都は僕の上から立ち上がり、洗面所に消えた。結局僕の思考は定まらない。いいのだろうか? キスって法律には触れないのだろうか? よくわからない。嫌じゃないのだが、確かに嫌じゃないのだが、それどころか美少女とのキスだから嬉しいのだが、女子高生の育成をする立場としてこれは本当にいいのだろうか?


 いつしか古都の妹に言われた言葉を思い出す。


「お転婆娘ですから食われないように」


 こういう意味なのか? 僕は食われたのだろうか? 確かに唇は……。


 やがて夜も更けて僕達は床に就くわけだが、例の如く古都は僕のベッドに潜り込んできた。

 彼女は僕の理性を崩壊させたいのだろうか? 僕が店に下りようとすればこの悪天候の中ついて来ようとするし。怪我でもされたら敵わないから結局僕はベッドなのだが。古都の布団を別に敷いたにも関わらず、結局夜中に起きて今僕の隣で穏やかな寝息を立てている。


 そう言えば、昨年の大雨では彼女の髪を撫でたら曲が降りてきたんだっけ。美和と一緒に作曲をした後店に泊まった時は、2人の髪を撫でてその後一気に編曲アレンジを仕上げたんだっけ。


 僕は古都の髪を撫でてみた。ツアー中は毎晩ドライヤーをやってあげて今や触り慣れた指通りのいい髪。とても綺麗だ。古都の天使のような寝顔を見ながらもう一度撫でてみた。曲が降って来たりするのかな。

 しかしこの晩は違った。途端に安心感に包まれ、すると一気に眠気に襲われた僕は古都の肩に力なく腕を落として、そっと彼女を抱くように眠った。なんだかとても心地いい眠りだった。


 朝起きたら僕達は向き合っていて、お互いの手が無意識のうちにしっかりと握り合っていたようで、顔を見合わせてはにかんだ。

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