閑話

間奏 インタールード

大和の盆休み(上)

 前日の浜松のステージを終えて僕達は地元に帰ってきた。本来、高速道路を使って1時間余りの道のりも、しっかり帰省ラッシュに捕まり3倍もの時間がかかった。ライブ後だったので、備糸市内に到着したのは22時過ぎだ。

 それからゴッドロックカフェで荷物を下ろして、更にメンバーをそれぞれ自宅まで送り届けて、再び店に戻って来た時は23時を過ぎていた。

 メンバー全員の楽器は店保管となったので、1本しかギターを所持していない美和には自宅練習用として、高校時代に僕が常連客から譲り受けた安物のギターを譲った。こうして期待や応援など色々な思いを乗せて楽器が受け継がれていくことに何とも感慨深く思う。


 店は日曜日の昨日が定休日で、今日からのお盆三が日は盆休みだ。昨晩、女子達を自宅まで送ってから帰って来た時は静けさが店を包んでいた。このツアー中、ずっと彼女達と生活と行動を共にして賑やかだったので、それがとてつもなく寂しく感じた。

 僕はその寂しさを誤魔化すように溜まっていた店の事務処理を一気に済ませた。と言っても、杏里がなかなか行き届いた仕事をしてくれていたので、随分とその仕事量は少なかった。それでも終わった時はもう日付が変わっていて、僕は自宅に上がると泥のように眠ったのだ。


 しかしこのツアーで体が昼型に慣れてしまっているのか、午前中には目が覚めた。疲労は蓄積されているはずなのに。けど自宅のベッドはやはりしっくりきて寝覚めが良く、体が軽いように思う。こんな朝を迎えて僕にも盆休みが訪れた。

 昨晩は風呂にも入らずに寝てしまったので、起きてすぐにシャワーを浴びた。すると途端に空腹を感じたものだから、僕は何か食べに行こうと自宅を出て屋外階段を下りた。


「あれ?」


 ふと店の裏口のドアが目に入る。そのすりガラス越しに心なしか明かりが灯っているように思った。もしかして昨晩照明を消し忘れただろうか? 僕は勝手口のようなドアのノブに手をかけた。


「ん? 鍵が開いてる」


 まず最初に鍵を挿し込もうともしなかった僕も僕だが、とにかく施錠が解かれていることに気づく。さすがに昨晩、施錠はした。つまり店内に誰かいる。杏里だろうか? そんな予想を立てながら僕はドアを開けた。

 そこで気づく。ホールに続く直線の廊下の奥。ホールを隔てるドアが開いて、店の照明が点いているのだ。これが真っ暗な廊下を経由して、すりガラスを通過していたようだ。


「ほわぁぁぁ。やっぱりここが一番落ち着くよぉ」


 すると聞こえてきたのは耳に心地いい女声。この時はどこか甘ったるい色を含む。僕がその声を聞き間違えるはずもなく、店まで歩を進めると声をかけた。


「何やってんだよ、古都」

「ふぁっ! 大和さん!」


 古都は僕の登場にまったく気づいていなかったようで、ビクッとして振り返った。その直前、ホールの円卓に頬ずりをしていて、平泳ぎの如くテーブルの表面を両手で摩っていた。しかしそのつぶらな瞳は健在で、整った顔や綺麗な髪がやはり彼女を美少女であると実感させる。


「早いじゃん! まだ午前中なのに!」

「まぁ、目が覚めたから」

「起こしちゃ悪いかなと思って、こっちにいたんだよ」

「つまり暇を持て余して来たと?」

「えへへ」


 麗しいほどの笑顔だけで肯定する古都。やれやれと思う。その一方で、そんな気遣いができるなら、インターフォン連打や着信攻撃こそ今後は遠慮願いたいとも思う。時々古都が周囲を気遣うのは彼女の長所だろうが、そもそもそれは時々のことだ。根は強引な彼女だから気分に左右されることなので、言っても仕方ないとはわかっている。


「大和さんは今から何するの?」

「お腹空いたからご飯食べに――」

「ご飯!」


 目を輝かせて反応する古都を見て、やっぱりそうなるよね、と内心苦笑いだ。半面、微笑ましくもなる。この後僕と古都は近くで昼食を取った。


「風強いね」

「台風が近づいてるからね」


 昼食を終えて店に戻る途中、そんな話をする。古都の綺麗なミディアムヘアーは風で煽られていた。こんな天気だから友達と遊ぶなんて発想に至らないのは理解できるが、古都は久しぶりに地元に帰って来て、休みのこの日にまで僕のところに来て何が楽しいのだろうかと思う。

 そしてこれは他のメンバーにも言えることなのだが、これほどの容姿に恵まれながら誰も浮いた話が出てこない。好きでバンドやゴッドロックカフェに時間を割いている。


「沖縄に上陸したのが一昨日だっけ?」

「そう。それで前日から飛行機が飛ばなくて湘南のイベントの代役に立てたんだろ?」

「そうだ、そうだ。と言うことは、こっちには今日上陸?」

「そうだね。ニュースでは夕方って言ってたかな」


 今のところ雨は降っていないが、雲は厚く重苦しい色を示している。そろそろ降ってきそうな感じもするので、早く店に入ろう。

 そう言えば昨年は大雨の日に古都を泊めたことがあったなと思い出す。それが今ではメンバー4人と同部屋のツアーか。平気で着替えられるし、随分僕とメンバーの距離感も変わったものだ。


「えへへん」


 そう、昨年の大雨の日に古都を泊めた。そして古都は今、天気とは裏腹の眩しい笑顔を見せた。それがなぜ計算尽くの笑顔だとこの時気づかなかったのだろう。

 メンバーをはじめ、古都は好きで僕に構う。もちろんそれはバンドに絡むことなので、そういう意味だと理解していて、僕にそんな自惚れた感情はない。けどなぜか僕といる時はいつも楽しそうだ。そして……。


「えへへ。泊めて?」


 瞬間、窓から差し込む稲光に遅れて、強烈な雷の音が僕の部屋に響いた。


「バ、バカ! 男女2人でいいわけないだろ! そんなの」

「なんでよ? 2人は去年も1回あったじゃん」

「それでも無理。家の人にも申し訳ないから車で送って行くよ」


 時刻は18時過ぎ。店の小さなステージでギターの練習に励んだり、ただ何をするでもなくバックヤードで僕と過ごしたり、そんな時間を送りながら古都は一向に帰らなかった。そして今や外は台風上陸により、強風と大雨である。警報も出ていて、電車は止まった。

 僕達は僕の自宅に上がって、今リビングで座談をしている。


「もうパパもママも諦めてるよ?」

「は? 何を?」

「私がバンドのことで外泊すること。何を言っても私が聞かないから。さすがにそれ以外の外泊だと口出しされるけど」

「……」


 開いた口が塞がらない。これはもう不良少女の一歩手前ではないだろうか。


「だ・か・ら。泊めて?」


 その首を傾げて麗しい笑顔で懇願するのは止めてほしかった。はっきり言ってずるい。


 結局僕が古都の押しに勝てるはずもなく、古都は泊まることになった。僕が店に下りて、控室の布団で寝ればいいだけのことだ。昨年と違って布団が1組常備されていることに安堵する。

 すると驚くのが古都である。なんと部屋着を持って来ていた。風呂上がりに然も当たり前のように着替えたのだ。最初からこのつもりだったな……。


「大和さん。タンス1段空けるね?」

「なんでだよ?」

「私達メンバーの部屋着と下着を置いておくスペース」

「……」


 僕は唖然とする。下着まで持って来ていたのか……。それは一体誰が洗濯をするのだ? しかしそんな僕の心配に構うことなく、古都はせっせと一番下の引き出しを片付け始めた。このじゃじゃ馬姫は遠慮がない。やはりこっちの強引な彼女の方がスタンダードだ。

 僕は渋々タンスの整理に付き合った。するとそれが終わって古都が体を寄せて来る。今度は一体何だ?


「大和さん」

「な、なんだよ?」


 古都の目力は強く思わず怯んでしまう。しかし古都は四つん這いの体勢で押し寄って来て、僕は足を伸ばしたまま手で後退った。


「唯とのんとのスキンシップが羨ましかった」

「は!?」


 発言の意図が全くわからず、思わず声を張った。いや、どのエピソードのことを言っているのかはわかる。唯が仙台で泣いた時と、希をフェリーで正面抱っこした時だ。しかしそれがなぜ羨ましい?

 すると尚も古都が迫ってくるので僕はやはり後退る。そしてベッドに背中を取られた。

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