第二十九楽曲 第二節

 札幌の宿もやはり民宿。到着時はもう夜で、例の如く5人同じ部屋に宿泊だ。ただ、狭いながらも風呂が男女別に分かれていることは幸いで、メンバーは順々に風呂を済ませた。最初のメンバーと同じタイミングで風呂を済ませた大和はドライヤー係である。


「えっと……、希?」

「なに?」


 ちょこんと座って心地良さそうにドライヤーの風を受ける希。彼女は風呂が最後だったため、他のメンバーは既に髪も乾かし終わっている。大和は希の様子を少しばかり唖然として見る。一体、今日の彼女はどうしたのだろう?


「えっと、もうちょっと前に座ってくれないかな?」


 聞く耳を持たない希。彼女は今、胡坐をかいた大和の足の上に腰を下ろしている。もろに希の感触を感じて大和は戸惑っていた。とは言え、背の低い希だからできることで、他のメンバーなら大和が頭頂までしっかり見てドライヤーの風を当てることはできない。


「もしかして反応する?」

「バ、バカ。するわけないだろ」


 慌ててしまった大和。しかし嘘だ。とにかく希に悟られないようにしようと必死である。


「大きくなってる気がする」

「……」


 しっかりバレていた。

 希はドライヤーの風と大和の手の感触を頭で楽しみながら明日のスケジュールを頭の中で整理する。明日は1日目の札幌ステージ。午前中はライブハウスの近くで今日はできなかった練習をする。昼食後、すぐライブハウスに移動してリハーサルだ。


 部屋のテレビでは生放送の歌番組が映し出されていた。美和と唯はテレビを見ていて、古都はその2人に弾丸トークだ。


 ――あの人、歌番組が好きだったな。特に生放送のこの番組とか大晦日の特番とか。


 そんな記憶が蘇ったかと思うと、途端にテレビの画面が鬱陶しく思った。むしろ弾丸トークを繰り広げている古都の方が今の自分の環境にはしっくりくる。画面から聴こえる邦楽ポップが希のいら立ちを増幅させた。


「唯、チャンネル変えて?」

「へ? 見ないの?」

「うん。野球中継が見たい」

「「「「は?」」」」


 まさか希からそんな希望が出るとは思っていなかった一行。目が点である。訳が分からないながらも唯は希の意向に従った。そして映し出されたのはピッチャーの背中だ。しかし誰もその画面に興味を示す者はおらず、それはまた希までもが同じだった。


 希は引き続き髪を乾かしてもらいながら、今度は2日後の予定を考える。

 札幌ツーデイズの2日目にあたる明後日はバンドの練習がない。午後からのリハーサルを経てステージ本番だ。夜中の便に合わせるためステージ後は少しばかり時間があるものの、それでも出港時間が決まっているため慌しい。

 希の中で迷いを含んだこの地への思いが巡回する。大和は希のサラサラの髪を手に感じながら、テレビに集中していない様子の希を思った。


 この晩、希は大和の傍を離れようとせず、少しでも離れようとするものならすかさず唯の傍に移った。それは寝る時も一緒で、唯を大和の隣の布団に寝かせ、自身は布団を跨いでその間に収まった。

 当然大和は戸惑い、ギリギリまで距離を空けて背中を向けるが、希の様子がおかしいので文句の1つも言えない。特に密着してくる様子はないが、腹にかけられた薄手の掛け布団を共有するなど、童心に帰ったかの如く温もりの共有を求めているように思えた。そうして朝を迎えた。


「うん、いいね」


 練習スタジオで演奏を見守った大和は納得の表情を示す。唯が新たに手にしたG&Lのジャズベースもいい感じだ。それを手にした唯の様子は晴れやかで、それが大和には微笑ましく思える。

 このツアーで唯に弾かせていた自身のベースは宅配便でゴッドロックカフェに送り帰した。受け取りを頼む旨を杏里に連絡すると――


『またかよ。どれだけ期待されてんのよ』


 ――なんて返信が届いたほどだ。U-19ロックフェス全国大会を皮切りに、さいたま、仙台と既に土産話は揃っている。それが喜ばしい大和である。尤も、ハラハラすることも起きたのでその度に肝を冷やすが。

 それでもメンバーのツイッターもバンドのブログも盛り上がっていて、常連客や備糸高校の生徒からのコメントが頻繁に届く。そしてそれ以外のファンからも自身の街でのライブを心待ちにしているコメントが届くので、全国にファンができたこととその反応が嬉しい。


 昨日から不安が尽きない希はスタジオ演奏を見る限り問題はない。生理による体調の影響も、昨日から見せているメンタルの波も感じさせない。大和はそれに安堵する。むしろ気合が入っているようにも感じて、これならばステージ本番は心配ないかと安心する。

 その期待通り、希は本番のステージで最高のパフォーマンス見せてくれた。それに引っ張られるように他の3人のメンバーも最高の音を奏でる。聴衆のノリも良い。土曜日の対バンライブのホールはほぼ埋まっていて、ダイヤモンドハーレム目当ての観客もいた。このステージでもチケットノルマをクリアできたことは評価できる。


 ホール後方の壁にもたれて立ってステージを観ていた大和。すると脇の入り口の扉が開いた。入ってきたのは30歳過ぎくらいの女と小学校低学年くらいの男子児童だ。児童は女に手を引かれていて、大和にはこの2人が親子に見えた。こういう客もいないことはないが、それでもこの場ではあまり見ない年齢層だ。


「あのぉ……」


 音が止まった時に突然声をかけられる大和。何だろうと思って「はい」と返事をした。


「こういう場所初めてなんですけど、どこで観てればいいんですか?」

「あぁ。えっと、スペースのある場所ならどこでも自由ですけど、小さいお子さんが見えるなら、後ろの方が床が高いので見やすいかもです」

「そうですか、ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げる女。女も然ることながら男子児童も慣れない賑やかな場で肩に力が入っているようだ。この時ダイヤモンドハーレムの曲は1曲目が終わった。


「ドリンクの引き換えはしました?」

「え?」


 大和の問い掛けに首を傾げる女。予想通りわかっていないようなので、大和はドリンクカウンターを指さして教えた。


「入り口でドリンク代500円払って引換券もらいましたよね? あそこで交換できます。交換するタイミングはいつでも大丈夫ですけど」

「そうですか。わざわざありがとうございます。――けい君、ジュース飲む?」

「うん」


 大和への謝意を口にした女は児童に問い掛けると、児童が勢いよく首を振って答えた。そして2人は手を繋いだままドリンクカウンターに体を向けた。

 するとその時、ダイヤモンドハーレムの2曲目が希のカウントにより始まった。一瞬だけステージを食い入るように見つめた女。しかしすぐに視線を児童に戻すと、手を引いてドリンクカウンターに行った。


 程なくして2人は背の高い紙コップを持って大和の隣に戻ってきた。児童は両手で紙コップを包みチビチビと飲んでいた。


「ママ、美味しいね」


 児童の言葉で大和はやはり親子であると悟った。すると女が大和を向く。


「私たちもここで観てていいですか?」

「えぇ、もちろん」


 大和は愛想のいい笑みを浮かべて答えた。女は時々屈み、児童の口の周りに付着したジュースをハンカチで拭う。それでも立っている時は真剣な眼差しでステージを観ていた。その視線がどこか儚い。


 ダイヤモンドハーレムの曲は進み、最後の曲の前に古都のMCが入った。MCの内容や客の反応に合わせてドラムで応える希。この間、逆光から解放される観客を見回した。


 ――え……、なんで……?


 希から表情が消えた。更にはドラムスティックを落としそうになる。ステージではいつも楽しそうにしている希。その顔が今では表情に変化のない普段と同じである。この時、視線の先には大和。そしてその隣に……。

 古都は「あれ?」と思った。MCも終盤ではあるが、希が突然ドラムで応えてくれなくなったのだ。違和感が湧くがそれでもステージを進行する。


『それじゃぁ最後の曲! 聴いてください!』


 その言葉でステージもホールも一気に真っ暗になる。そして待つ。最後の曲の希のカウントを。――しかしその4回の音は鳴らない。


「のん?」


 美和が希に振り返って地声で言う。希は我に返ってステージから意識が離れていたことに「しまった」と思う。そして漸くカウントを打った。

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