第二十六楽曲 第二節

 客席入り口のあるホール外の人溜まりスペース。そこで目を見開くのは大和と美和と唯と希とヒナだ。ピンキーパークの他のメンバーは恐縮そうな表情でそのやりとりを見守っている。するとヒナが表情を一変させ挑発的な笑みに戻った。


「断るって、自信ないんだぁ?」

「そういう話じゃないです」


 古都は随分落ち着いていて、大和の腕を抱えながら冷静なトーンで答える。そして続けた。


「私たちの自信がどうとかは関係ないです。大和さんにこそ誰を育成するのかは決める権利があるから。私たちは大和さんから振られないように、今後も大和さんが誇りに思えるようなバンドになるように、大和さんの期待を裏切りたくなくて日々練習をしているんです」


 美和と唯と希は、バンドのリーダーとして冷静な意見を言う古都の姿を見て、挑発に乗ると思い込んでいた自分を恥じた。バンドのことと大和のことをしっかり考えている古都の成長を目の当たりにして、大和もまた古都に感心をした。更に古都は付け加える。


「もちろん他にも応援してくれる人はたくさんいてその人達のためも思ってますし、自分自身の向上心もあります」


 そんな真っ直ぐな意見を言われてヒナは言い返すこともできず、不貞腐れた表情になった。そして自分のバンドのメンバーに向かって言う。


「行こう?」

「う、うん……」


 メンバーの内の1人が答えるとピンキーパークは客席に繋がる扉に向かって歩を進めた。すると途中でヒナが足を止めて大和に振り返る。


「いつでも待ってますから」


 そう言ってヒナは客席に消えた。メンバーもそれに続くが、そのうち1人だけが扉の中に消える直前に振り返った。そして大和とダイヤモンドハーレムのメンバーを見据える。


「色々ごめんなさい。けど、ヒナも音楽に対しては真剣だからその気持ちだけは汲んでほしいです」


 そう言って頭を下げると彼女もまた扉の中に消えた。そんな言葉をもらって穏やかな気持ちを取り戻した大和とダイヤモンドハーレムのメンバー。やっと肩の力が抜け、古都も希も大和の腕を解放した。しかしその時。


「やっほ! 大和」


 一難去ってまた一難。明るい言葉と共に大和の背中に飛びつくリクルートスーツ姿の女。後ろから抱き着いた体勢で、大和の頬に頬ずりをする。


「ぎゃー!」

「誰よ! この女!」


 古都の悲鳴に加えて希からは殺意すらも感じる怒気を含んだ言葉が発せられる。大和はギギギと油を差していない機械の如く引き攣った表情で振り返る。その時に女の顔があまりにも近いものだから、反射的に女を引き剥がした。


「あぁん。もうちょっとでちゅうできるとこだったのに」

「ぎゃー! 大和さん!」

「大和さん!」


 吠える古都と、殺意を向ける希。その2人に挟まれて大和の表情は硬い。そして女に向かってぎこちなく言う。


「イズミ、キテクレテアリガトウ」

「何よ、その棒読みは?」


 それは8本の感情的な視線が刺さっているからだと、心の中で反論をする大和。もちろんそんなことは口にはできないし、しかしなぜメンバーがこんなにも怖い顔をするのかその理由を理解できていないからこの男、救えない。


「大和さん、どちら様ですか?」

「あわわわわ……」


 膨れた表情を作って問い掛ける美和と、密着から始まったその親密度に完全にパニックの唯。もっと普通に紹介したかった大和だが、起きてしまったことは仕方がないので、気を取り直した。


「えっと、彼女はジャパニカンミュージックで僕の窓口担当をしてくれてる益岡泉さん」

「こんにちは、ダイヤモンドハーレムの皆さん。大和の元カノの泉です」

「ぎゃー!」

「むむ!」

「えー!」

「ひぃっ!」


 各々の反応を示すメンバー。古都は尚もキーキー吠えるが、希が話を続ける。


「大和さん、その女とヤッたの?」


 杏里初登場の時と同じだなとほとほと呆れる大和。するとその答えは泉から発せられた。


「もちろん! 何回も。えへへ」

「ぎゃー!」


 古都は相変わらず悲鳴を上げるが、他のメンバー3人はショックのあまり絶句である。唯に至っては泣きそうだ。大和はやれやれと思って頭をかいた。


「いつの話をしてんだよ? 4年前までの話だろ?」

「質問に正直に答えただけだよ」


 満面の笑みで言うのは泉である。頭の中で4年前の自分たちは中学1年だと計算してなんとか納得し、気を落ち着かせるのは美和と唯と希だ。大和と出会う前のことである。それでも複雑な感情は拭えない。

 因みに古都は完全にパニックで未だ吠えている。さっきまでの冷静な対応はどこに行ったのか。完全に呆れ顔の大和は泉に言う。


「こんな公衆の面前でいいのかよ? そんなフランクな対応で……」

「おっと、これはうっかり。大和を見て浮かれちゃった」


 そう言ったかと思うとすぐに姿勢を正した泉。表情もピリッとした顔つきになる。


「失礼しました菱神さん。改めましてこんにちは、ダイヤモンドハーレムの皆さん。ジャパニカンミュージックの益岡泉です」


 凛とした佇まいのその二面性に唖然とするメンバー一同。古都の悲鳴も止んだ。社会人として大人な泉の立ち居振る舞いに、どれだけ背伸びをしても自分たちでは敵わないと、メンバーは皆打ちのめされた。


「ところで、菱神さん」

「はい」


 未だ慣れないビジネスモードの泉に、思わず大和も畏まる。


「お願いしておいた書類ですが?」

「あぁ、はい。これです」


 大和が肩から提げたバッグを漁って取り出したのは、クリアファイルに入った1枚の書類だ。それを見て希が首を傾げる。


「ん? この4週間の行程表?」

「うん。杏里が作ってくれたやつ。ここに来る途中コンビニでコピーを取っておいたんだ」

「それをレコード会社の人がなんで必要なの?」

「NOZOMIさん」


 営業スマイルを浮かべて希の名前を口にするのは泉だ。希の視線は泉に向いた。


「今日からドラムの練習できませんよね?」

「えぇ、まぁ」


 希にとってこれは深刻な悩みであった。弦楽器の3人なら、宿で迷惑にならない昼間の時間帯に、家庭用アンプとヘッドフォンを使って練習ができる。外に漏れるのは生の弦の音だけだ。しかしスペースと音量を取るドラムはそうはいかない。もちろんドラムよりコンパクトな電子ドラムすらも嵩張るので持って来てはいない。


「もし今日、あなたたちが受賞できれば練習場所を当社の負担と手配で確保しようと考えています」

「むむ! もしかして泉さんいい人?」

「あはは」


 希の意見と名前で呼ぶことがおかしくて泉は思わず笑った。素っ気ない表情の希ではあるが、その童顔も可愛らしくて好感が持てる。


「えぇ、そのように菱神さんとお約束をしました」

「みんな、泉さんは半分だけ仲間よ」


 メンバーに向いてそんなことを言う希。他のメンバーは希の言葉のとおり半ば納得顔に変わった。杏里の時には食事でしっかり餌付けされた希。今回もニンジンをぶら下げられて掌を返したようだ。と言っても、大和の元カノなので半分だけだ。


「それでは菱神さん。私は他にも挨拶に回りますのでここで失礼します」

「あ、はい。これからもよろしくお願いします」


 お互いに他人行儀なやりとりで頭を下げて泉はこの場を離れた。


「さ、行こうか」


 そう言って大和はやっとメンバーを引き連れてホールに入った。5人まとめて座れる席を確保して、腰を下ろせたことにほっとする。初っ端からどっと疲れた大和である。


「それじゃぁ、更衣室で着替えてきな」

『はーい』


 大和がキャリーカートに載せていた衣装の入ったバッグを古都に渡すと、メンバー4人は一度ホールの外に出た。これで更にしばらくは1人で落ち着ける。そう大和が安堵したその時。


「どーん!」

「う……、泉」


 大和に肩をぶつけるように大和の隣に座ったのは泉である。周囲に人はたくさんいても視線が向いてはいない客席の一角なので、泉はプライベートモードである。


「業界の人への挨拶に回ってたんじゃないのかよ?」

「ちょっと休憩。それに私は大和のすぐ後ろに席を取ったし」


 そう言って背後の席に目配せをするので大和も視線を向けると、泉のリクルート鞄が置かれていた。嬉しいやら、疲れるやら、大和からため息が漏れる。


「と・こ・ろ・で」


 スタッカートを切った口調で泉が切り出す。大和は「なんだよ?」と先を促した。


「大和に報告って言うか、話があってメンバーがいないこの時を狙ってたの」

「どういうこと?」

「業界内でのクラソニの認識について」


 一気に脈打った大和の心臓。暴れるその心臓が落ち着かない中、大和は真剣に泉の話を聞いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る