第十六楽曲 第三節
唯がゴッドロックカフェの常連客高木からベースを教えてもらえることになった翌日、木曜日のこの日アルバイトが休みの希は、授業が終わると軽音楽部の元部室に顔を出す。他のメンバーはアルバイトのため既に下校をした。
「ふんっ」
小さな体で希が持ち上げたのは籠一杯の野球の硬式ボール。それを台車に載せたのだが、その数3箱。元部室を出ると鍵を閉めて、重量のあるその台車を押した。しかし障害は階段で、その時ばかりは1箱ずつ手持ちで下ろす。そして3箱と台車を1階まで下ろし終えると、再び台車を押して校庭に出た。
ドラムを始めて、今や体幹トレーニングもしている希。その小さな体からは想像できないほどの筋力があり、メンバーの中では一番だ。
やがて希が行き着いた先は野球部の練習グラウンドである。
「あ、奥武。サンキュー」
「うん」
希に駆け寄って来たのは美和の幼馴染の正樹だ。野球部の練習用ユニホーム姿である。野球部はまだフォーミングアップで、グラウンドを走っている選手もいればストレッチをしている選手もいる。正樹は他の1年生部員を引き連れて、希が持って来た硬式ボールの籠を引き取った。
「マネージャーいないから助かるよ」
「人助けだから気にしないで」
正樹の謝意に穏やかに受け答えをする希。野球部は駆け寄った部員の他、少し離れた場所にいる2年生部員までもがご機嫌な表情だ。この年、女子マネージャーがいない部員達は一様に、容姿に優れたガールズバンドと交流を持てることが嬉しい。
ダイヤモンドハーレムは昼休みのミーティング時に野球部のボール磨きを買って出ていた。そして磨き終わったボールを、時間に余裕のあるメンバーが放課後に届けている。昨日の放課後は唯が、その前の日は美和が今の希と同じことをしていた。つまりアルバイトが休みのメンバーだ。
火曜日から始まったので、古都が1人で同じことをするのは来週からだ。メンバー全員が休みの明日は全員で動く予定である。
この日ボールを届け終わった希は軽音楽部の元部室の鍵を返し、教室に置いてあった通学鞄を取りに行くと下校した。普段はバス通学の希だが、この日はバス停を過ぎて学校最寄りの駅から電車に乗った。車窓から夕焼けを浴びて到着した先は備糸駅で、改札口を抜けるとゴッドロックカフェとは反対側の出口にある楽器店を目指した。
道中、制服姿の同世代が多く目についた。ここは備糸市の中心街なので、市内の高校に通う放課後の生徒が多くいる。部活をするでもなく、予備校や図書館に行って勉強をするでもなく、ただ目的もなく遊んでいるように見える。通学鞄だけを提げた自分も傍目にはそう見えるのだろうかと考えると若干憂鬱になる。しかし希は前を向いて歩いた。
やがて到着した楽器店。希はここで練習スタジオを予約していた。時間は17時からなのでまだ少し余裕がある。希は店内奥にある休憩用の円卓で待たせてもらった。
すると程なくして長身の男が店の自動ドアを潜った。バッグが2つ載ったキャリーカートを引いている。その風貌から目立つので、希は男にすぐに気づいて椅子から立ち上がった。
「こんにちは。お疲れ様です」
「あぁ、お疲れさん」
「泰雅さん、わざわざ
「いや、気にするな」
長身の男は泰雅だ。しかし落ち着かない様子で、辺りをキョロキョロと見回している。
「この店、久しぶりに来たな」
「そうですか」
「あぁ。実家離れてからは初めてだな」
そう言うと泰雅は予約したスタジオの時間まで少し余裕があることを察して、希と同じ円卓の席に着いた。希は泰雅が腰を下ろしたのを見て、自身も再び腰を下ろす。
「教えてもらう立場なのにこっちに来てもらってありがとうございます。次からは私がそっちに行きます」
「いいよ。週1回だけなんだから気にするな」
古都から繋いでもらって希は泰雅と連絡を取った。そしてドラムを教えてほしいと申し出た。もちろん泰雅は当初渋った。その理由は自分がダイヤモンドハーレムに関わることで、大和がいい顔をしないと思ったからだ。
しかし学園祭に向けてのダイヤモンドハーレムの気持ちを聞いて揺らいだ。とは言え、それでも事件当事者の自分を学校は良く思っていない。こうして希と会っていることが知られれば印象は悪化するだろうと思う。
それでも希は他に頼れる心当たりもいない。それにスクールに通うにしても、希が調べたスクールだと集団指導か、もし個人指導なら1コマ30分だ。もっとしっかり教わりたかった。それで泰雅にお願いをしたのだ。やがて熱心に頼み込む希に泰雅が折れた。
泰雅が生活をしている県内の政令指定都市までは一時間弱かかる。往復時間を考慮すると、高校生の希を出向かせるのを思いやって泰雅の方が出向いた。ただ、ここは大和や響輝や杏里が今でも生活をしている地であるので、学校に加えてその3人に見つからないかの不安はある。もちろん希と会っていることに対してだ。
「仕事大丈夫でした?」
希にしては珍しく口数多く質問を重ねる。これは自分からお願いしたことなので泰雅に気を使っているからだ。普段の無口を出すのも失礼だと思っている。
「あぁ。自分を遅番にシフト変更したから、今頃バイトが開店準備を始めた頃だ」
自分の指導のために仕事の予定の都合をつけてもらって更に恐縮する希。あまり普段の希からは考えられない遠慮深さだが、こうして対面するのもまだ2回目なので人並みに気を使っている。
「授業料なんですけど……」
「は? いらねぇよ、そんなもん」
「いや、そういうわけには。プロですし」
「プロって言っても元な」
店の奥にある1組だけの4人掛けの円卓。更に奥にはスタジオの扉が並ぶ通路が伸びる。窓に面した売り場の明るさに比べると幾分薄暗いこの場所。そこで希と泰雅の会話が小さく響く。
「高校生から金取ろうなんて思ってねぇよ。俺が好きでやってんだよ」
「確かにそれほどお金は持ってないですけど……。交通費だってかかってるでしょうし、せめて体で払いますよ?」
「は!?」
予想外の発言に慌てる泰雅。ダイヤモンドハーレムは古都のみならず、希もこういう奴だ。
「でもキスと本番はダメ。大和さんのためにファーストキスと処女は大事にとってあるから。せめて性処理でお願いします」
「バ、バカ! こうして会ってんのも内緒なのに、これ以上大和に申し訳なくてそんなことできるかよ!」
「今大和さんは私たちのプロデューサー休業中です」
「いやいやそれでもだよ。手なんて出したら大和に申し訳が立たん。それにお前まだ高1だろ? そんなことしたら、次は有罪確定だよ」
「む……。それ、笑えないですね」
「だろ?」
と言いながらも、そのやり取りで希もクラウディソニックの経緯は知っているのかと納得する泰雅。そもそも古都には自分から話したのだから不思議ではないと思っているが。それから古都に続き希も大和に惚れていることを悟った。しかしこれは考えた所で面倒くさそうなので、すぐに思考の外に追いやった。
事件を経ても尚、せっかく大和が出会ったダイヤモンドハーレム。それなのに自分たちの起こした事件が尾を引いて、その活動を窮屈にしている。そして今両者は決別中。それが泰雅には申し訳なく、そして悲しくて、だから泰雅はできることは何でも協力するつもりだ。希の打診を受けた一番の動機はここにある。
「そろそろ時間だ。行くぞ」
「はい」
希が返事をすると2人は荷物を持ち、予約してあったスタジオに入った。そこで希は気になっていたことを聞く。
「その荷物、スネアとツインペダルですよね?」
「あぁ」
泰雅はスタジオのドラムセットの脇でバッグを開ける。すると畳まれたツインペダルが顔を出し、泰雅はそれを取り出した。
「私も持って来れば良かった」
「学校帰りの練習だと学校に持ち込まなきゃなんねぇから大変だろ?」
「確かに……。でもそのガラガラがあればキャリーバッグみたいで持ち運びが楽ですね」
「なんだ、キャリーカート使ってないのか? とりあえずこれから俺が教える時は俺が持ってくるから、気にするな。ちょっと感覚違うかもしれねぇけど」
「ありがとうございます」
ツインペダルを取り出した泰雅は手際よくセッティングを始めた。その様子を見ながら、ここまで来て教えてもらう上に、気も利かせてくれて希は感謝が絶えなかった。
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