第十六楽曲 第二節

 パンツ取引の翌日、夜になると夕食を済ませて私服姿になった唯はゴッドロックカフェに行った。


 カランカラン


「あ、いらっしゃい、唯」

「こんばんは」


 穏やかな笑顔で唯を迎え入れる大和。唯は迷うことなく入り口から一番遠いカウンター席に座る。


 プロデューサーとその指導を受けるアーティストとの関係は解消され、今週から演奏のためにこの店に来ることはなくなったダイヤモンドハーレム。それでも客としての来店は続けた。それはやはり今まで世話になった常連客との繋がりまで解消しないためだ。

 昨日は美和、一昨日は古都がやはり来店していて、明日は希が来店する予定だ。これはメンバー皆同じ意思である。大和に振られてしまって、客としての来店まで止めたくなかったメンバーの負けん気でもある。


「レモネード?」

「はい、お願いします」


 唯の注文を聞いて大和がレモネードを作り始める。間接照明に照らされた薄暗い店内で、邦楽ロックが流れている。着席前に唯の目が捉えた小さなステージにはドラムセットとキーボードとアンプが置かれていた。しかし弦楽器は置かれていない。それは古都がネックを折られて以降、ダイヤモンドハーレムの練習のために常備されていた物だ。

 更には、目視できなかったもののドラムのペダルもシングルペダルに変わっていて、スネアドラムも希の私物から店の物に戻っている。ダイヤモンドハーレムの痕跡がなくなっていることに唯は多大な悲壮感を抱く。本当にここは自分達の練習をはじめとする演奏場ではなくなったのかと、悲しくて込み上げてくるものがある。


 一方大和は、メンバーがまさか客としての来店を続けるとは思っていなかった。来客なので表向きは快く向かえているが、内心はやはり気まずい。それこそ2日前に古都が来店した時は心底驚いた。そしてそれが美和に続き、この日は唯だ。今までと変わらない平日のルーティンである。

 まさか週末の練習の時間帯にまで来やしないかと一抹の不安を抱くが、自分からバンドの話も振ることもできず、単純に雑談を重ねている。しかし、7歳年の離れた男女。片や自営業の社会人で、片や女子高生。バンド活動を離れて初めて、あまり共通の話題はないのだなと大和はしみじみ感じていた。

 古都、美和、今日の唯、そして明日来るのであろう希。順々に口数が減るメンバーだ。大和はこの間が持たない空気が気まずく、早く中年の常連客が来店しないかと内心願っている。


「はい、レモネード」

「ありがとうございます」


 唯は一口レモネードを口に含み、グラスを置くと話し始めた。


「今日はいい天気でしたね」

「そうだったんだ。僕、夕方初めて外に出たから」

「あ、そっか。温かくて気持ち良かったです」


 どこのお見合いだと突っ込みたくなる会話。ぎこちなさ満載である。それでも唯から話を振ったのだから頑張った方だろう。


「今日発売の新曲、早速ダウンロードしちゃいました」

「へぇ、CMで流れてる曲だよね。あの曲、いいよね」


 次は音楽の話ではあるが、バンド活動の話に触れないギリギリの線なので大和は気を使う。しかも話題のアーティストはデビュー1年目なので、もしクラウディソニックがメジャーデビューをしていたら同期ということになる。大和は気まずい。しかし音楽の話をするのが趣旨の店なので文句も言えない。


 カランカラン


「あ、高木さん、いらっしゃい」

「おう」


 来店したのは住宅メーカー営業マンの高木。彼は水曜日が公休日なのでこの日は休日だ。ただ、翌日は仕事なので深夜まで飲み遊ぶことはない。

 大和はこの重い空気に風穴を空けてくれそうな人物の到来に胸を弾ませた。とは言っても、もうこの頃は常連客も大和がダイヤモンドハーレムから手を引いたことは周知の事実で、しかもクラウディソニックの解散の経緯を知っている客がほとんどなので、客も気を使っている。

 それでも常連客はダイヤモンドハーレムのメンバーが可愛くて仕方がないのだが。


「唯ちゃん、お疲れ」

「あ、はい。こんばんは。お疲れ様です」


 やがて大和からビールが出されるとグラス半分一気に煽る高木。それを目で追っていた唯は、高木がグラスを置くのを確認してから言った。


「高木さん、スラップがなかなかうまくならなくて……」

「ん? 具体的には?」


 唯はやっとバンドや演奏の話題を出せることに安堵する。大和と2人ではなかなかできない話なのだが、尤もそれが禁句だと決まっているわけではない。単純にメンバーも大和も避けているだけだ。


「サムピングの方が強い音が出なくて」

「なるほどな。俺の場合はどうしてたかな……。親指の関節辺りが一番硬いからそこで叩いてるなぁ」

「関節ですか、なるほど。試してみます」


 ベーシスト3人が揃ったカウンターで大和は会話を耳にしながらグラスを拭いている。

 因みにこの男、その話題を羨ましく感じている。やりたいならやりたいと素直に言えばいいのに、変なところで頑固である。とは言え、クラウディソニックの過去が重くのしかかるので無理もない。常連客の誰しもが大和のその判断を理解しているので、不憫に感じている。最初に煽っておいて無責任な話ではあるが。


「じゃぁ、今度また教えようか?」

「いいんですか!?」


 唯の声が弾む。今までは唯のアルバイトが休みの日に早めに店に来て大和から教えてもらっていた。しかしそれがなくなった。一人で練習は続けているが、スラップ奏法以外も含めて今後の独学に対して不安を感じていたのだ。

 一方、それをカウンターの中で聞いている大和は複雑な心境だ。今までずっと教えてきた唯。この唯に関しては自身とパートが同じなので、バンド指導のみならず個人指導もしてきた。ぶっちゃけ大和は高木に嫉妬している。なかなか面倒臭い男だ。

 そしてその言葉を発してはっとなったのが高木で、大和への配慮が完全に欠けていたと焦った。しかし一度言葉に出してしまって、しかも唯が食いついている。後悔しても既に後の祭りで、もう引けない。


 結局来週から、高木が公休日で、唯のアルバイトが休みである水曜日の放課後、備糸駅近くの音楽スタジオで高木が教えることになった。それが終わった後、2人揃ってゴッドロックカフェに来店なので、大和はより複雑だろう。


 時間は流れ、22時を過ぎて帰宅すると唯は自室にある電子キーボードの前に立った。ベースラインのイメージをまず鍵盤楽器で掴んでから、実際にベースで弾くようになった唯。それがベースラインのみならず、曲全体のイメージも他のメンバーに先立ってキーボードで数パターン起こす役割を担った。作曲はしないが、それでも古都と美和に続く創作者である。

 唯はキーボードで作ったイメージを録音アプリで録音し、それを美和に送る。既に唯から最初のパターン受け取っている美和もアルバイトを終えて帰宅した。自室の学習デスクで開くのはバンドの出納帳。脇にスマートフォンを置いて、電卓アプリで数字を弾く。


 今まではバンドで金のかかることが極端に少なかった。アルバイト代は各自の楽器の経費に充てれば十分だった。それこそ金がかかったのは夏休みの路上ライブとゴッドロックカフェで開催した招待ライブくらいだ。

 しかしこれからは違う。バンド練習をするにあたってはスタジオ代がかかる。毎回のスタジオ代を都度各自で割ってもいいのだが、ダイヤモンドハーレムは不定期にメンバーから金を徴収して、そこから支払うことにした。その会計役が美和である。


 更に頭を悩ませるのが、学園祭で必要なレンタル機材だ。大和がプロデュースから手を引かなければ、当たり前のように店の機材を借りられると思っていた。しかし現状は、アンプとドラムセットを楽器店からレンタルしなくてはならない。それもただではない。

 今までが如何に恵まれていたのかと痛感する。そしてアルバイトをしていて良かったと心から思う。

 美和は出納帳を閉じると家庭用アンプに繋いだヘッドフォンを被り、唯から送られてきた音源を聴きながらギターを弾き始めた。想像力をフルに働かせ色々なリフを試して、イントロと伴奏を構築していく。


 その頃希は自宅でパソコンに向かっていた。ゴッドロックカフェのサーバーから移したダイヤモンドハーレムのホームページのデータはここにある。また、ダイヤモンドハーレムの楽曲のデータのコピーももらっていて、希のパソコンに入っている。希はその管理を任された。

 レコーディングデータはソフトがないと開けないし、機材も必要だ。それに希が見てもよくわからないので、いつか美和と一緒にソフトの使い方を覚えなくてはならないかと思う。だから現状、希がやっているのは専らホームページの更新である。つまりバンドのマネージングだ。


 そして同時刻、古都は自宅の学習机でルーズリーフを広げて筆記をしていた。作詞である。その目は真剣で、最大限イメージを膨らませる。作詞の切りがついたら次はギターの練習だ。その後は学校の宿題もある。


 こうしてダイヤモンドハーレムのメンバーは各々分け合った役割に向き合い、夜は更けていった。

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