第九楽曲 第三節

 夏休み前最後の土曜日。この日はデモ音源を作るためのレコーディング初日である。私服姿のダイヤモンドハーレムのメンバーは、午後一番からゴッドロックカフェのホールに集まっていた。大和もここにいる。

 大和が編曲アレンジまで済ませた段階で一応の音源はできていたと言えるが、その後の演奏を見て修正は掛けているし、そもそもライブハウスに持ち込むための音源なのだからダイヤモンドハーレムの演奏でなくては意味がない。


「じゃぁ、まずは古都、美和、唯の音をまとめて録るぞ」

「え? ドラムからじゃないんですか?」


 予想に反した大和の指示にすかさず疑問を口にする美和。この日彼女はキュロットスカートに体のラインがわかるTシャツを着ていて、スカートから伸びる生足が艶めかしい。


「あぁ。事前の仮録音みたいなもんかな。ドラムは打ち込みで組んであるから、その音に合わせて演奏して。希が演奏をする時に曲の進行がわかるようにするための録音。本番じゃないから間違えてもいいよ」

「なるほど」


 納得の声を出したのは希で、彼女は当初七分丈のカラーパンツにノースリーブのシャツを着ていたが、ここに来てジャージに着替えていた。動きやすい恰好と言ったところだ。


「よし! では張り切っていこう!」


 元気に声を出してステージに上がるのは古都で、ショートパンツにTシャツ姿だ。つぶらな瞳が輝いていて、やる気に満ちたその気持ちを覗かせる。

 それに続いてオロオロとステージ上がるのは唯で、その唯は清楚な柄のワンピースを着ている。初めて自分の演奏を録音することに緊張を隠せない様子だ。


 この後美和もステージに上がったことを確認すると、大和は音響コーナーに身を入れた。するとホールの客席で見ているかと思われた希も大和に付いて音響コーナーに入った。


「どうした?」

「機材の扱いを少しでもいいから覚えたい」

「ほう」

「私はドラムを叩くだけだから、せめて私が覚えればバンドの役に立つ」

「わかった。じゃぁ、教える」


 感心した大和は希の意思に快諾した。古都と美和は作曲を始め、古都に至っては全曲作詞もしている。自分も創作活動に対して何か役割が欲しいと希は考えたのだ。

 希がノートパソコンの前に着席すると、大和は機材を操作し録音スタンバイにして、打ち込みのドラムの再生と同時にレコーディングが開始された。


 レコーディングは順調で、まずは本番ではないので間違えてもいいと言ったことが功を奏したのか3人は難なく手持ちの5曲を弾き終えた。この後希がステージに上がりドラムの演奏をしたわけだが、数回の取り直しはあったもののそれでも初めてにしては順調にドラムの録音を済ませた。


「よし。じゃぁ、バックヤードに移動しようか?」


 希がステージを下りてくると指示を出す大和にすかさず古都が反応する。


「この後はバックヤード向こうで録るんだね」

「うん。向こうにもパソコンはあるし、マイクを使ってアンプの音も拾うのはここよりやりやすいから」


 更に古都と唯には、手持ちの楽器はステージに置いたままでいいと指示を加えて大和はメンバーを引き連れてバックヤードに入った。

 入室するなりすぐパソコンと向き合った大和。パソコンの脇には小さめのサーバーが置かれている。作曲の仕事を始めてから導入したサーバーに、ステージで録音したデータがしっかりと入っていることを確認する。ホールの音響コーナーの録音データはこのサーバーで保存されている。


「ギターとベースはここにある楽器を使って」

「らじゃ!」


 敬礼のようなポーズをして答える古都。大和はせっかくの録音なのだから、自身のコレクションギターやベースの中から使用する楽器を提供する意向だ。古都と唯の手持ちのギターよりはグレードが高いため、そうすることで質のいい音が録れるのだ。


 しかしこの後始まったバックヤードでのレコーディングに手間取ったのは唯だ。何度もミスを重ね、その度に曲目を何度も変えてみたものの、1時間が経過しても未だ1曲も録り終えていない。

 原因は大和とメンバーから集まる視線である。全体の音はヘッドフォンを被っている唯の耳にしか届いておらず、室内に響くのはベースアンプから流れる唯が弾き鳴らすベース音だけだ。唯は緊張のあまり演奏が固くなっていた。


「ごめんなさい……」


 もう何度目かの失敗の後、その度に謝罪を口にする唯はとうとう泣き出しそうな顔をしている。ステージを目指す1人としてこのままで大丈夫だろうかと大和に一抹の不安が過る。


「しょうがないよ。一旦休憩にして美和を先に録ろうか?」

「あ、はい」


 優しく大和が唯を諭すと、その指示に美和が準備を開始する。美和は質の高いギターを持っているため、自身の楽器で音を録る。その様子を見ていた大和に古都が問うた。


「私、ちょっと散歩して来てもいい?」

「ん? あぁ、気を付けて」

「唯も一緒に行かない?」

「あ、うん……」


 落ち込んだ様子の唯は古都の誘いに乗った。美和は着々と自身の準備を進めていて、希は機材の扱いを覚えるためこの場を動かないようだ。


「足引っ張っちゃってごめん……」


 店を出た唯が開口一番古都に言う。その表情は恐縮の念でいっぱいだ。俯いて古都の隣を歩いている。よく晴れたこの日、古都は日光を浴びながら清々しい表情をしている。


「唯ものんも凄いな」

「え?」


 予想に反した古都の言葉に唯は歩を止めずに古都を見た。古都は体を伸ばすように腕を頭の上に突き出し背中を反っている。太陽の下、美少女のその様は同性の唯でも思わず見惚れる。


「美和が上手なのは最初っからわかってたけど、のんは機材を扱えるようになりたいって一生懸命だし、唯はどんどん腕を上げてるし」


 レコーディングでこれだけ失敗した後に褒められると思っていなかった唯は、それを素直に受け取っていいのか戸惑った。むしろ唯にとって古都こそ自由で女子力が高く、そして作詞作曲を始めたことに強い憧れと尊敬の念を抱いている。


「古都ちゃんの方がさすがだよ」

「えへへん。ありがとう」


 自分が褒められると遠慮なく受け取るのが古都である。謙遜の言葉も出やしない。それでも古都は続ける。


「まぁ、私のことは置いといて。唯、大和さんに相談なしに大和さんの編曲アレンジからベースライン変えたでしょ?」

「え!?」


 唯は驚いた。見透かされていたことに。そう、唯は大和が楽曲を一度完成させて、その後修正を加えた後、自宅での練習の最中、自身の感性に沿ってベースラインを変えていた。それは大和の知らないところで勝手にしたことで、お伺いも立てずに今日も弾いていた。

 ベースラインが変わったことは一緒に演奏をしているメンバーはわかるだろうと納得はできるが、ただそれを自主的にしていたことまで古都に知られていたことが予想外であったのだ。


「やっぱりまずかったよね……」

「まずくはないんじゃない?」


 唯の心配を否定する古都。落ち込んでいる唯にそれはまだ消化できないが、古都は続ける。


「大和さんだってベースラインが変わったことはわかってるだろうし、それに口を出さないってことは唯の演奏に納得してるんだよ」

「そっか。そう言ってもらえるならちょっと安心した」

「そういうことが自主的にできる唯が凄いなと思って」


 あまり自己主張が得意ではない唯。フレーズ毎に変えたいベースラインがあっても大和に進言できない。そもそも大和も自身と同じベーシストなのだから、恐れ多いと思っているのだ。

 それでも勝手に変えたわけだが、それは音にして演奏することで大和に語り掛けている。そう、自分の感性を。そして、自分の主張を。その大和が何も言わないのだからそれは彼にとって正解の一つなのである。


「だから自信持ちなよ」

「古都ちゃん……」


 ここまで見透かされていた。つまり自身が勝手にアレンジしたベースラインへの自信のなさも失敗を重ねた理由である。そして自由奔放なイメージのある古都だが、バンドのリーダーらしくしっかり唯を見ていた。唯はそれが嬉しかった。

 また、ベースの音が好きな古都だからこそ気づいたことでもあるのだが、バンドの方向性を示すだけではなく、リーダーとしての役割と自覚を古都は抱いているようだ。

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