第八楽曲 第六節
合宿の時と同じようにするのであれば、自宅の布団を店に下ろして大和か古都が店で寝ればいい。しかし、外は大雨。店までの動線は屋外階段だ。布団を持って外に出るなど選択肢から除外されている。
「ふ、風呂沸いたぞ」
「先いいの?」
「ど、どうぞ」
「ありがとう」
なんとなくぎこちない大和の会話。一方、古都に動揺は見られない。とは言え、布団はリビングに敷けばいいかと大和は思っている。……のだが。
「嫌!」
お互いに風呂を済ませて大和が布団を敷こうとしたその時、古都が拒否を示した。大和はあんぐりと開けた口をなんとか動かす。
「嫌って、どこで寝るんだよ?」
「大和さんのベッド」
「うーん……。じゃぁ、僕が布団で寝ればいいか?」
「嫌!」
古都が何を嫌がっているのか大和は解せない。と言うかその前に目のやり場に困る。古都はインナーに着ていた黒いタンクトップに、下はこの日買ったばかりのデニムのショートパンツなので露出が多い。
何より大和がたまげたのは風呂上りの古都が隠すことなくブラジャーを手に持っていたことだ。この少女が何を考えているのか大和には全く理解ができないでいる。
「じゃぁ、どうしたいんだよ?」
「大和さんと一緒に大和さんのベッドで寝る」
「ば、ばか」
「何でよ?」
寝室のクロークから布団を出したばかりの大和は古都の拒否でその持って行き場を失い突っ立っているのだが、古都が大和に擦り寄ってくるものだから敵わない。タンクトップから突き出た控えめな胸の先端の突起物が大和を動揺させるのだ。そしてその視線を感じて追い討ちを掛けるのが古都である。
「小さくてごめんね」
「は?」
「さっきからずっと見てるから」
「……」
わざと恥じらい顔を作って上目遣いに大和を見る古都はしたたかである。そして何も答えられない大和に古都は更に続ける。
「私、経験ないけど覚悟はできてるよ?」
「……」
顔を真っ赤にした大和は布団を抱え直すと古都を無視してリビングに行った。それを見て古都が慌てる。
「うそ、ごめん。変なこともう言わないから」
「いやいや、その前に何を引き止めてるのかわからん」
「せめて寝室に敷いて。私が布団で寝るから」
「は!?」
布団を抱える大和の腕を掴んだ古都はこれまた上目遣いで大和を見る。今度は引く気がないようだ。
「いやさ、倫理的に良くない」
「私がまだ15歳だから?」
「そうだよ」
「じゃぁ、真剣交際しちゃお?」
布団を床に下ろしていた大和はそのまま布団に頭からずっこけてしまった。古都の言うことはいつも大和の予想の斜め上を行く。
「ばか言うな」
「なんでそんなこと言うのよ? とにかくせめて一緒の部屋で寝ようよ?」
「うーん……。どうなっても知らんぞ?」
「だから覚悟はできてるって」
ずっこけたままの大和は頭を抱えた。彼女は言っていることの意味をわかっているのだろうかと思う。もちろん古都はわかって言っているのだが。結局大和は渋々布団を寝室に敷いた。できるだけベッドから離して。
「えへへん。大和さんのお部屋でお泊り」
「……」
暗くなった寝室で無邪気に笑う古都の声が響く。外からは大雨が路面を叩く轟音が轟く。大和はしばらく眠れそうにないなと予感した。そもそも夜型生活の大和が、日付の変わらない時間帯からベッドに入ることは珍しく、目は冴えている。
「明日、学校だよね?」
「うん。朝早く家に帰ってちゃんと学校行くよ」
大和は学校に行く意思のある古都に胸を撫で下ろした。学校を休ませたり遅刻させたりしては泊めた身として立場がない。そもそも泊めている時点で自身の立場を憂う。
ただ、そうは言っても大和の気分は晴れている。久しぶりにライブハウスに行ったことで何かすっきりした。依頼曲の方は明日にでもまた取り掛かろうと前向きだ。
天井を見ながらそんなことを考えていると、やがて古都の寝息が聞こえてきた。信頼されていると喜ぶべきか、舐められていると嘆くべきか。複雑な感情ながらも大和は体を横に向けて古都を見た。
暗い部屋でも確認できる古都の寝顔は天使かと思うほど美しく、見ているだけで魅了され、そして癒される。賑やかで明るい古都だから時々忘れそうになるが、こうして見るとやはり世間が注目するだけの美少女だと思う。
そうして古都を眺めていると大和に睡魔が襲ってきて、大和は瞼の重さに抵抗することなく目を閉じた。最近のスランプは身も心も疲弊させていたのだと、この睡魔が教えてくれるようだ。そのまま大和は夢の中に誘われた。
体感でまだ夜中だということはわかる。夢から覚めた大和は目を開けていない。ただ何故か鼻元で香るいい匂いの理由がわからない。そして片腕に感じる温もりと弾力。大和はそっと目を開けた。
「うおっ!」
なんとか声量は抑えたが、それでも声は出てしまった。少し身を引いた大和の目の前には見た目麗しい美少女。その寝顔はとても美しく心をくすぐる。いや、気をしっかり持たなくてはと自分に言い聞かす。
古都はいつの間にか大和のベッドに移動していて、大和の腕を抱えて眠っていたのだ。小さいながらも横になればギリギリ谷間を作るその胸が柔らかさの原因かと大和は理解した。そして魅惑とも言える香りは古都の髪の匂いだと理解した。
大和はそっと古都の腕を解くと「はぁ……」と溜息を吐いた。一度落ち着かなくてはならない。古都を起こさないように静かに大きく深呼吸をすると上半身を起こした。
すると気づいた。古都が空けた床に敷かれた布団。その上にはデニムのショートパンツが脱ぎ散らかされている。大和はヒヤッとした。ベッド上で夏用の薄い掛け布団から肩と顔を出すこの美少女は、衣服が黒いタンクトップしか確認できない。もしかしてもっと下は……。
大和はもう一度溜息を吐き、頭を抱えた。それでも少し時間を掛けてなんとか気を落ち着かせる。すると徐々に平常心で古都の寝顔を捉えられるようになってきた。
久しぶりにライブハウスの空気を感じた大和は、自分が見たステージに立っていた若いバンドマン達が羨ましくも思えた。自分もまだ若いはずなのだが、それでもこの夜見たステージは十代が多かったように思う。
上体を起こした体勢の大和は古都の髪を一撫でする。彼女達は十代。そう言えば、依頼曲の提供先のアイドルも十代だと吉成が言っていたことを思い出す。目の前にいる古都とは性別が違うだけか。そう思うとふっと気が楽になってきた。
大和は古都の髪をもう一撫でした。するとはっとなった。大和の頭の中に何かが下りて来たのだ。
「んんん♪」
大和はこの世に存在しないメロディーをハミングで口ずさんだ。瞬間、大和は古都を飛び越えてベッドから下りた。できるだけ物音を立てないようにしたが、気が急いたまま大和はドアを開けリビングに出た。
ベッドの上の薄い掛布団は捲れてしまっていて古都のはしたない格好が露わになっているが、急いでいる大和はそれを目にしなかった。幸いと言うか、残念ながらと言うか。
「ん……。大和さん……?」
古都が薄く目を開けて起きたのだが、大和は気づかない。リビングテーブルに放置されていた鍵を引っ手繰ると、大和は大雨の中玄関を出た。傘も持たずに出たので、屋外階段を駆け下りただけでかなり濡れた。
しかし濡れたことなど気にせず店に入ると、裏口の施錠をすることも忘れて大和はバックヤードに直行した。そして愛用のフェンダーの黒いストラトキャスターを握ったのだ。
先ほどベッドで口ずさんだメロディーを再び口ずさみながら見合うコードを探していく。シールドコードをアンプに繋ぐことも忘れてエレキギターの生の弦と大和のハミングがバックヤードに響く。多少チューニングがずれていることは気づいているが、気にしない。
「大和さん?」
大和はその声に入り口を見た。するとそこには眠そうな目を擦りながら立つ古都がいた。
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