第七楽曲 第七節

 週末が明けて月曜日の午前中。4組の希は休み時間に自分の教室の前を2組の生徒が通過したことで気づいた。2組は移動教室のようだ。クラス全員と思われる生徒が移動したことに加え手に教材を持っていたことが根拠だ。

 そのあと程なくして始まった次の授業。そこで希はもう一つ気づいた。教室から3人の女子生徒が消えている。既に教科担当の教師が入室していて授業が始まっているが、出席を取った時点で生徒がいなくなっていることは明白となった。


「すいません」


 希はいきなり立ち上がり背を向けて黒板に筆記をしていた教師に声を掛けた。クラス中の視線が希に集まる。


「どうした? えっと……、奥武?」


 このクラスの担任ではない教師は教卓の上の座席表で希の名前を確認すると希の先を促した。尤も、希は目立つほうではないので5月中旬のこの時期、担任ですら名前を憶えてくれているのかは些か疑問が残る。


「体調が悪いので保健室に行ってきます」

「あぁ、そうか。一人で行けるか?」

「はい」


 元々不愛想な希の体調が悪いかどうかを表情から判断することは難しい。離席の承諾を得たと捉えた希は教材を机の上に置いたまま教室を出た。


 希は保健室には向かわず、まっすぐに2組の教室に向かった。途中通った唯がいる3組の教室は廊下側が閉め切っていて、教師の声が聞こえたので教室で授業をしていることは把握できたが、希が教室の前を歩いたことは3組の誰にも認識されていない。


「きゃははは」

「やばっ」

「油性ペンで書くとか鬼」


 2組の前に立つと教室の中からわずかに女子の声が聞こえてくる。数にして3人分だろうか。希はブレザーのポケットからスマートフォンを取り出すと数タッチ操作した。普段学校にいる時はスマートフォンを通学鞄の中に入れっぱなしの希だが、この時は敢えて持ち歩いていた。


 ガラッ


 希は勢いよく2組の教室のドアを開けた。中にいたのは希のクラスの女子生徒3人。3人ともがビクッと肩を震わせ希に注目したが、相手が希だとわかると開き直ったような冷静さを取り戻した。


「あら。奥武さん……だっけ? どうしたの?」


 リーダー格風の女子が冷ややかな視線を希に向けて第一声を発した。明るい髪の色に毳毳しいほどのメイクを施している。尤も、他の2人もそれほど大差のない風貌なのだが。


「やっぱりあなた達だったのね」

「何が?」


 余裕の表情で質問を返すリーダー格の女子。普段大人しい希を見下していて、それが顕著な笑みを浮かべている。


「そこは古都の席だよね? その落書きした教科書は古都の私物?」

「だから何の話よ?」


 彼女たちが囲んでいるのは古都の席で、その手元には油性ペンで落書きがされた教科書が広げられている。


「こないだは古都の下駄箱にも何かしてたよね?」

「はぁぁぁあ?」

「古都のギターのネックを折ったのもあなた達ね」

「だから何の話だって?」

「証拠出しなよ?」


 怒気を含み始めたリーダー格の女子生徒に、その脇の1人が続いた。希は表情を変えることなく手に持っていたスマートフォンを3人に向ける。


「ここでの会話、録音したから」

「は? ふざけんな」

「ふざけてないわ。何か不都合でもあるの?」

「消せよ」


 ずっと黙っていた女子生徒が初めて声を発すると希に詰め寄った。一番気性が荒いようだ。希はすぐさまスマートフォンをブラウスの首元から中に落とした。スカートで絞められたキャミソールがその腰元でスマートフォンをキャッチする。


「なんで古都を狙ったの?」

「あいつムカつくんだよ。ちょっと可愛いからって調子に乗って」

「だから古都のギターのネックを折ったの?」


 怯むことのない希は素早い返球で言葉を返す。相手は考える間もない。


「そうだよ。ざまぁねぇな」

「ありがとう。言質は取ったわ」

「は? てめぇ、嵌めやがったな。汚ねぇぞ」

「あなた達よりは手を汚してないつもり」


 ブチッ。そんな音でも聞こえてきそうなほど気性の荒い女子生徒の表情が一変した。瞬間、ガタガタガタ……小さな体の希は胸に衝撃を受けたかと思うと、2組の机と椅子が豪快な音を立てて倒れた。希の背中に鈍い痛みが走る。

 気性の荒い女子生徒は希を両手で突き飛ばし、飛ばされた希は机に背中から激突して床にそのまま倒れていた。しかし、逞しいのが希で、腹にあるスマートフォンが無事だということに安堵していた。希は相手を見上げながら感情なく言う。


「突き飛ばさないでくれる?」

「お前もその澄ました顔がムカつくんだよ!」


 希の脇に立った気性の荒い女子生徒は片足を上げた。瞬間、希はスマートフォンごと腹を勢いよく踏まれると思ったので、動きにくい机の上でなんとか体を回転させた。すると脇にドスッと女子生徒の踵が振り下ろされた。案の定であった。


「お前もキモい中年のオヤジたちにすり寄ってバンドやってんだろ? それってエンコーじゃん? 不純バンドが!」


 ブチッ。あまり表情の変わらない希の瞳の色が変わった。希は素早く立ち上がると相手を見据える。ゴッドロックカフェに希達が寄り付いていることを把握されているようだが、今の希にそんなことはどうでもいい。


「目標も何もないあなた達が、メンバーとそれを応援してくれる人達を笑うな!」


 希が怒鳴った。彼女の記憶の限りでも兄の勝に怒鳴って以来人生2回目だろう。希は気性の荒い女子生徒の両肩のフレザー掴むとしっかりと握り、腰を反らせた。


 ――手足を怪我してドラムを叩けなくなるのは嫌だったから穏便に済ませたかったけど、もう無理だ。頭きた。せめて頭突きをしよう。


「のん! 止めて!」


 突然の声は廊下から聞こえてきた。背中を反っていた希は姿勢を真っ直ぐにしてその方向を見ると、なんとそこには美和が立っていた。まさかの美和に驚いた希は途端に背中に痛みを感じた。どうやら今までアドレナリンが分泌されていて痛みを認識していなかったようだ。


「何やってんだ!」


 美和の脇を抜けて教室に入ってきたのは2人の教師だ。両側の1組と3組で授業をしていた教師で、騒ぎに気付いて様子を見に来たのだ。


「美和、なんで?」

「のん……」


 1人だけ教室が遠い端の9組の美和の登場が未だに解せない希。その美和は希に歩み寄ると優しく希を抱きしめ、更に優しく希の背中を摩った。


「背中大丈夫?」

「見てたの?」

「途中から。のんが踏まれそうになって体を捩ってたところかな。突き飛ばされて背中を机にぶつけた?」


 美和の言う過程から見ていたのなら、今の状況を見れば何があったのかは明白である。それを目にした時の美和は一瞬狼狽えたが、正気を取り戻し希に声を張って止めたのだ。


「とりあえず、お前たち全員生徒指導室に来い」


 1人の教師がこの場にいる5人の女子生徒を連行しようとした。その時だった。


「のんちゃん。美和ちゃん……」


 教室の入り口には唯が立っていた。止まってしまった授業と、その時聞こえた希を呼ぶ美和の声に胸騒ぎを感じた唯は、教室を抜けて様子を見に来ていたのだ。美和は唯に笑顔を返すと、連行しようとする教師に言った。


「すいません。この子怪我してるかもしれないので、保健室でもいいですか? 私が付き添います」

「そうだな」


 この場の2人の教師が一度話をすると、そのうち1人の教師の同行で美和と希は保健室に行った。その時、古都に悪戯をしていた3人の女子生徒は、もう1人の教師に連行されて生徒指導室に向かったわけだが、憮然とした態度であった。唯は自分の教室で授業をしていた教師に戻るよう言われて、心配そうな表情を残しながらも指示に従った。

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