第五楽曲 第二節

 帰宅するなり急いで夕食の支度を済ませ詠二に食べさせた美和は、自分もそのタイミングで食事を済ませると自室に籠った。家庭用のミニアンプから流れる音を、頭に被せたヘッドフォンで聴きながらエレキギターを弾き鳴らす。


「ゴッドロックカフェか……。出入りしてる女の子達ってバンドやってるのかな」


 ふと手を止めてはそんなことを呟く。気になって仕方がない。課題曲にして今弾いていた女性ロック歌手の曲は、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、間奏の度に流れが切れる。


 中学の時から周囲に軽音楽をやっている生徒がいないわけではなかった。しかしそのほとんどが男子であったし、そもそも男女共に美和にはあまり寄り付かなかった。

 特に美和は男女混成バンドへの抵抗はない。しかし軽音楽をやっている同年代の女子がいるかもしれないと思うと、ガールズバンドの方に憧れを抱く。


 そんなことを頭の中で周回させながらこの日は床に就き、翌朝を迎えた。


 親しくしている高坂正樹は野球部の朝練があるため、入学当初の数日を一緒に登校したきり、今では1人での登下校が当たり前になった美和。校門を潜るなり脇の自転車置き場近くに立っていた2人の女子が視界に入った。

 普段なら特に気にしない光景だ。しかし美和はとある一言を耳にして、歩調を緩めた。同時に2人の女子生徒の会話に耳を傾けた。


「今日もゴッドロックカフェ行ける?」

「今日はバイト探しと家で練習」


 絶世の美少女の問いに不愛想に答える可愛らしい低身長の女子。美少女はつぶらな瞳にミディアムヘアー。低身長の女子は幼顔且つ小顔。そしてセミロング。美和は美少女の方から出た「ゴッドロックカフェ」に反応していた。


「て言うか、なんでここで待たなきゃいけない?」

「そんな冷たいこと言わないの。自転車停めたらすぐに来るから」

「ごめん。お待たせ。のんちゃん待たせちゃってごめんね」


 駐輪場から出て合流したのは黒髪ロングの清楚な美形。幼女風の女子のぼやきがしっかり聞こえていたようで、恐縮そうだ。


「唯は今日ゴッドロックカフェ行く?」

「うん。行きたい」

「じゃぁ、今日は2人だね」


 美和の中で昨日ゴッドロックカフェに入った女子3人と重なる。正に口からその店の名前が出ているのだから。

 一固まりになった女子3人はちょうど美和の後ろを付いて歩くような格好だ。美和は正面を見据えながらも、後方に耳を傾け、歩を進めた。


「唯はバイト探しいつからやる?」

「もう面接決まった」

「え!? 早い!」

「だって早くベース買いたいから」


 ――唯……恐らく黒髪ロングの女の子の声。ベースをやるんだ。


「いつの間に?」

「昨日、カフェに行く前に電話したから。面接は今週末。古都ちゃんは?」

「私はまだ何も。ギターが遠のく……」


 ――美少女は古都って名前なんだ。そしてギターか。2人は初心者でこれから始めるのかな?


「のんは練習の調子どう?」

「問題ない。電子ドラムにも慣れてきた。あとは生のドラムに慣れるだけ」


 ――幼顔の子がドラムか。初心者っぽいけど、練習は進んでいるんだ。しかし、小柄なのに叩けるんだ。


「リードギターが欲しい」


 美和はボソッと呟くような愛想のない声に敏感に反応した。「リードギター」その言葉に。リードギターを欲している。美和の心が躍った。


「なっ、のん! 私じゃ不満と言うか?」

「違う。不満は否定しないけど、古都程度でもサイドギターは必要」

「むむむ……」

「あわわわ」


 無愛想な声に貶されながらも必要とされていることに美少女が複雑そうな声を発し、そのやり取りを黒髪ロングがあたふたとした様子を美和の背中越しに垣間見せる。

 単純な学校生活を送るだけなら固まらないであろう個性の別れた3人だが、音楽はそんな人達を引き寄せるから面白いと美和は思う。更に美和は、昨晩見たゴッドロックカフェに入る3人がこの3人であることを確信した。


 昇降口を過ぎると途端に3人の会話が遠くなったので美和は一度振り返った。反対方向に移動する美和が捉えた女子3人の背中。昇降口は5組と6組の前。美和は9組。他の3人はどうやら1組から4組のどこかのようだ。


 ――はぁ……何やってんだろ。これじゃストーキングじゃん。


 美和は一度自己嫌悪に陥ると真っ直ぐ自分の教室に向かった。


 腐れ縁……という表現もできるのだろう。美和の9組には幼馴染の正樹もいる。正樹は昼休みにクラスの男子との昼食を終えると美和に何かと話し掛ける。


「何か悩み事か?」


 クラスで一応のグループはできている美和だが、正樹が話し掛けてきたことでそのグループの女子たちは捌けていく。高尚な印象を抱かれる美和は一つ溜息を吐いた。


「あんたさ……」

「ん? どうした?」


 美和はもう一つ溜息を吐いた。2人で行動する時なら正樹が寄ってくることは何も問題がないし、むしろ大事な友人だと思っている。しかし女子のグループで固まっている時に来られるとみんな気を使って捌けてしまう。美和はそれが不満だった。


「モテる自覚ある?」

「俺が?」

「私達いい仲だって思われてる自覚は?」

「振られたのに? けど周りからそう思われてるのは悪い気がしないな」


 周囲の空気に無頓着な正樹ならではの回答である。クスクスと笑うこの正樹は容姿が整っており、美和と並んで歩くと美男美女カップルだと言われる。尤も、正樹に自分の容姿が優れていることの自覚はない。そして美和にとっては正樹を恋愛対象に見ていないので、周囲から友達が捌けていくこの現象が迷惑でもあった。


「で? 考え事?」

「実はね……」


 ただ正樹に色々と不満があってもやはり腹を割って話せるのは正樹しかいない。美和は話し始めた。


「バンドを組みたいと思って……」

「え? メンバー見つかったのか?」

「ううん。全く何も。これからだよ」


 目を付けた女子達はいる。けど、まだ美和の憶測が多く、それどころか話したこともない。だからこんな回答しかできない。


「ただそれを見越してバイトを始めたいと思って」

「ふーん。いいじゃん、やれば?」

「いやさ、私の家の家事、誰がやってるか知ってるでしょ?」

「あぁ、そういうこと」


 正樹は察したようだ。同じ市営住宅の同じ階に住んでいれば美和の家庭事情は掴んでいる。中学時代も美和は部活が終わるなり、夕食を自分で作っていたほどだ。


「おばさんと話してみろよ?」

「お母さんと?」

「あぁ。話してみなきゃどうにもならないだろ?」

「でも……」


 言葉に詰まる美和。もし自分が今家事を放棄すると母親に家事の負担がいってしまう。その母は「いつもありがとう」と美和に労いの言葉を掛けるくらいの優しさを持っているため、美和の我儘を受け入れるかもしれない。美和はそれを考えると恐縮してしまうのだ。


「俺は見たいんだよ、美和がステージで演奏する姿を。それに詠二ももう中1だろ? 部活は始まったのか?」

「もうすぐ始まる」

「それなら帰りは遅くなるし、自分のことくらい自分でやるようになるだろ。俺だってそうしてきたし」


 幼馴染のこういう後押しでどれほど心が軽くなるか、美和は前向きに考えられるようになってきた。確かに弟の詠二はもうそういう歳で、中学では野球部に入ると公言している。良くしてもらっている正樹の影響である。


「まぁ、俺の場合は1人っ子だからって言うのもあるけどな」


 加えて言う正樹。上げては落とす、周囲に無頓着な正樹らしい発言である。しかし考えすぎても仕方がないとは思えてきた。美和は一度母親と話をしてみようと思った。


「一回話してみる」

「そうしろよ」


 相変わらずクスクスと笑う正樹。美和の表情も幾分柔らかくなり、肩の力が少しだけ抜けた。

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