第四楽曲 第三節

 古都と希から誘われたのが火曜日。そして母に反対されたものの古都と希にバンドをやりたい意志を伝えたのが今日、水曜日。唯は仮入部先の吹奏楽部には顔を出さず、真っ直ぐ家に帰ると母に詰め寄った。


「軽音楽がやりたい」

「いつまでもバカなこと言わないで。高校の部活の入部はまだなの?」


 相手にされる様子はない。しつこく食い下がっても癇癪を起こす恐れのある母には逆効果だ。唯は日を改めた。


 翌木曜日、この日は姉の彩も在宅で唯の直談判に付き合ってくれた。


「軽音楽がやりたい」

「唯にバンドをやらせてあげて」

「バンド? クラシック楽団に戻る?」


 言葉の揚げ足を取っては躱す母。それに対して困惑する唯と怒りを覚える彩。しかしここで捻くれた態度を取ると逆効果なのはわかっているので、二人とも大人しく引き下がる。


 彩がここまで唯の意志に拘るのは単純に妹思いだからだ。自分ではやりたいことを見つけられず、敷かれたレールを歩いてきた。これからもそれは変わらないだろう。

 そんな時に唯の反抗だ。記憶の限り初めて目にする妹の反抗である。軽音楽というものが人生の中でどの程度のものかはわからない。それでも彩には唯が眩しく見えおり、それに嫉妬する気持ちを抑えてでも応援したいと思ったのだ。


 翌金曜日、唯は一人で直談判をした。


「軽音楽がやりたい」

「吹奏楽部への本入部は済ませたの?」


 ここまで来ると母はただ単純に意地を張っているだけである。一回当たりがしつこく来なければ癇癪を起こすこともないし、毎日の挨拶の如く唯の直談判を躱していた。


 翌土曜日。この日は学校が休みなので唯は朝から動いた。


「軽音楽がやりたい」

「まだそんなこと言って。部活の入部は済ませたの?」

「まだだよ。そもそも本入部期間昨日までだよ」

「は? 何を言ってんの?」


 母の口調が強くなった。その強くなった口調で母は続ける。


「本入部が昨日までって、もう入部できないってこと?」

「入部はできるよ。けど、これからは途中入部になる」

「どう違うの?」

「同級生と比べてコンクールのメンバーに選ばれにくくなる」

「何言ってんの!? さっさと入部してきなさい!」


 雷を落とす母。気圧される唯だが、心までは折れなかった。しかしこの時唯はとうとう負の感情を露にした。物心ついてからは初めての抵抗かもしれない。唯はリビングを出る時に、怒りをアピールするかのようにドアを荒々しく閉めた。母の耳にドアの強烈な開閉音が響く。

 それを冷静に見ていたのは、リビングにいたこの日休日の父だった。彩もこの時はリビングで見守っていて悲しそうな表情を向けた。


 コンコン


「どうぞ」


 自室のドアがノックをされた音に唯は不機嫌な低い声を隠さず答えた。それに続きゆっくりと開かれるドア。その方向に目を向けると意外な人物の訪問に唯は驚いた。


「お父さん」

「今いいか?」

「あ、うん」


 父の訪問に唯は慌てて学習デスクの椅子を空け、自分はベッドに腰掛けた。それを確認してから父は唯が空けた椅子に座った。


「本気なんだな」

「うん、まぁ……」


 父の言う本気が何のことだかは聞かなくてもわかる。唯は素直に肯定した。


「凄い熱の入れようだが、どういうきっかけがあったのか聞かせてもらってもいいか?」

「あ、うん。誘ってくれた子が凄く自由な子で私はその子に憧れてるの」

「ほう」


 父は優しい表情でしっかりと唯の言葉に耳を傾けた。


「だからその子と一緒にバンドがやれたら自由を見られるんじゃないかと思って」

「なるほどな」


 父は否定することなく真っ直ぐに唯を見据え、相槌を打った。この週ずっと見てきた我が娘の成長。父は寡黙で干渉をしたがらないが、見える範囲で2人の娘のことを見てきた。そしてずっと気にかけていた。


「やれよ、バンド」

「え?」


 呆気に取られた表情を父に向ける唯。聞き間違いか? そんなことも頭を過ぎったが、確かに背中を押す言葉だった。


「母さん、今日はもう冷静じゃないから明日一緒にお願いしよう」

「一緒にって、お父さんも?」

「あぁ。何なら彩にも声を掛けて3人で」


 唯の目頭が熱くなる。父が自分を応援する姿を初めて見る。父は彩と唯が幼少期から窮屈な生活をしているのであろう事は読み取っていた。それが最近唯に変化があった。それを興味深く見守っていた父。この週ずっと直談判をする唯を見て、本気度が伝わり、唯の気持ちを尊重したいと思ったのだ。


 翌日曜日。夕食を終えた食卓で食器を片付けるため立ち上がろうとした母に唯が声を掛けた。


「お母さん」

「軽音楽の話なら受け付けないわよ」


 母は唯の呼びかけを一蹴すると動作を止めず立ち上がった。そこにすかさず口を挟んだのは父だった。


「まぁ、座れよ」

「は? 何よあなたまで」

「初めて唯が自分でやりたいことを見つけて主張してるんだ。尊重してやらないか?」


 不安そうな表情で見守るのは彩だ。自分も言ったことであるが、父が言うのは説得力が違うと少しばかり感じていた。


「あなたまで唯の肩を持つの?」

「どっちの肩を持つとかじゃないよ。僕はこれこそが娘の成長だと思うから唯を応援したいんだ。これを見逃すと絶対に勿体無いし、後悔する」


 理屈の通った言い分を夫に言われては言い返せなくなる妻。いつもは家庭内いじめの如く夫をいびっているのに、夫の笑顔の瞳の奥に強い意思を感じるから怯んでいた。

 唯の父はその後も優しくゆっくりと言葉を重ね、母を説得した。それを見守る彩と唯。一様に不安げな表情ではあるが、父の後押しと言葉に覇気がなくなる母の様子から幾らかの期待を抱いていた。そしてその期待はやがて報われた。


「お金は一切出さないから」

「「え?」」

「それは……」


 2人同時に声を上げた姉妹に続き、先を促す父。


「好きにすればいいのよ。私はもう一切知らないから。唯の躾はあなたが責任を持って」

「もちろんだ」

「「わぁぁぁ」」


 父の力強い返事に、向かい合って喜びの表情を見せ合う唯と彩。とうとう母が折れた。この時の喜びは木虎家の歴史を変えたと言っても過言ではないほど大きかった。

 母はムスッとした表情のままキッチンに身を寄せた。表情は喜ばしくないものの癇癪を起こすほどの怒りは感じられず、手元は穏やかだ。


「唯」


 彩と一緒に喜んでいた唯は父の真剣な声に呼ばれて少しピリッとした。


「これからどう活動していくんだ?」

「みんなと話してからでないとはっきりはしないけど、楽器も買わなきゃいけないしバイトはしたい……」

「そうか。それなら高校生のバイトは22時までだから、門限は23時だ」

「わかった」


 唯は父を向いて声量を抑えつつも力強く答えた。それに対して父は一度頷くと言葉を続けた。


「基本的に外泊は禁止。どうしてもって時は相談すること」

「わかった」

「父さんは金銭援助ができないから必要なお金は自分で工面すること」

「うん。わかった」


 妻に実権を握られているこの家で亭主の威厳などあるはずもなく、夫は毎月の少ない小遣いでやりくりしているのだ。援助してあげたい気持ちは山々だが、こればかりはどうしようもないし、唯本人がアルバイトをする気でいるからその気持ちを尊重することにした。


「それじゃぁ、これから頑張って」

「ありがとう、お父さん」


 唯は意気揚々と自室に戻った。それを見送って彩が父に言った。


「今日のお父さん格好良かったな~」


 そんなことを言われて照れ以外の何も表に出せない父なのだが、娘とここまで腹を割って話すのも今までにあったかどうかという距離感だったのだから、こればかりは素直に満足する。彩はそんな照れた顔の父を目に焼き付けて、自身も自室に戻った。

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