第四楽曲 第二節
ドンタンドドタン♪
店のステージのドラムセットを使って常連客からドラムの基本である
そして口で説明しただけなのに意外にも一発で叩けた希に、この店にいる誰しもが驚いていた……のだが。
「えっと、希ちゃん?」
「はい」
「手が逆だよ?」
「ん?」
「基本腕は交差して、ハイハットは右手で、スネアは左手で叩くんだよ」
「ゲーセンのドラムのゲームでは誰もがこうしてました」
「……」
無表情な希のあっけらかんとした口調に言葉に詰まってしまう山田。希は左にあるハイハットを左手で、中央にあるスネアドラムを右手で叩いていた。
確かにゲームセンターのドラムのゲームはハイハットが低い位置にあり腕を交差して叩くことが困難だ。それが希にとっては常識となっており、だからこそ「このシンバル高い」とハイハットの高さにまで文句を言う始末である。
この後山田は根気よく教え、ようやく希は腕を交差して叩くようになった。そして希は家の電子ドラムで練習をすべく、この日は早めに店から出た。
「山田さん、お疲れ」
「お疲れ様でぇす」
カウンター席に山田を迎える大和と古都。山田の表情からは気疲れの色が隠せない。木村はお目当ての希を後から来た山田に指導によって取られてしまい、自身も若い頃に楽器をやっておけば良かったと後悔していた。とは言え、それならそれで古都との会話を楽しみながら酒を飲んでいるのだから現金な奴である。
その頃唯は自宅で夕食を終え、食器をシンクに運んでいた。まだ食卓にいる母をチラッと見るがとても言える雰囲気にない。母は穏やかに食事を取ってはいるものの、後の反応を考えると怖いのだ。
結局唯は何も切り出せないまま自室に籠った。もちろん切り出したいのは古都と希と一緒に軽音楽をやりたいという意思である。しかし習い事を辞めたことの条件が高校の吹奏楽部で音楽活動を続けることだから悩むのだ。なぜ母がそんな見栄ばかり張るのか理解に苦しむが、後のヒステリックを予想するとその不満すらも口にできない。
コンコン
唯が自室に入ってすぐに訪ねて来たのは唯の姉、
「唯、なんか考え事?」
「え――さすがはお姉ちゃんだ……、バレバレか」
「何よ? 言ってみな?」
「あのね……」
唯は切り出した。友達? になった高校の同級生から軽音楽のバンドを一緒にやろうと誘われていることを。
「へぇ、そっかぁ。それで唯は興味があるわけだ」
「うん……」
「じゃぁ、お母さんに内緒でやっちゃえば?」
「え? でも……。楽器は揃えないといけないし、帰りが何時になるかもまだわからないし」
「なるほどね。それは悩ましいわね」
この後しばらく二人して作戦を考えるものの、名案は浮かばない。結局は真正面から母に直談判することになり、それに彩も付き合うと申し出た。
「お姉ちゃん、大丈夫かな……」
「私が付いてるから」
「うん……」
唯は不安ながらもリビングのドアを開けた。一体の空間にあるキッチンで母は食器の片づけをしていた。食事も風呂も済ませた父はリビングのソファーで寛いでいた。唯の後ろを彩が付いて入室する。
「お母さん、あの……」
「なぁに?」
母は手を止めず唯の言葉に耳を傾けた。しかし次の瞬間、手が止まるとともに母の表情が一変した。
「私、吹奏楽部への入部を止めたいの」
「はぁぁぁあ?」
睨むように唯を見据える母に唯は怯えてしまった。その唯の背中を彩がそっと支える。しかしすぐに母は穏やかな表情に戻った。
「あぁ、華道部? 茶道部? それとも書道部?」
「部活をやらずに軽音楽がやりたくて……」
ギロッ! 母はそんな音でも出そうなほどの眼光を唯に向けると、抑えてはいるものの強い口調で言った。その時無理して作った笑顔が引き攣っている。
「頭おかしくなったの? 軽音楽なんて野蛮なこと」
「野蛮かどうかはやってみなきゃ――」
「彩は黙ってなさい! 唯もバカなこと言わないの!」
フォローを入れようとした彩の言葉を遮って母は怒鳴った。肩をビクッと震わせる唯に、ため息を吐いて頭を抱える彩。予想通りではあったが、遺憾の念が拭えない。リビングのソファーで父はテレビに目を向けたままこの会話に耳を傾けている。母にいつも嫌味を言われてばかりで寡黙になった父は干渉する様子がない。
嫌味を言われる原因は、結婚当初出世間違いなしと言われていたのに、一度の仕事のミスで定年まで係長止まりの冷遇を受けているからだ。
「行こ、唯」
彩はこれ以上話しても埒が明かないと思い、唯をリビングから出るように促した。気落ちした唯は黙って彩に続く。古都と希から誘われた時はこの光景が目に浮かんだので前向きな返事をすることができなかった。残念な安堵が唯を襲う。
「根気良く話そう?」
「え? お姉ちゃん?」
唯の部屋に戻るなり唯を励ます彩だが、唯は励ましよりも諦めない意思の表れの方に驚いていた。彩からこの言葉が出るまで唯はもう諦めていたのだ。それに唯は意識を変えた。
翌日、朝から何かと希に絡む古都を知っているので、学校に到着するなり唯はすぐに希の教室に行った。案の定2人はいて、定番となりつつある古都の声掛けに、鬱陶しそうな雰囲気を遠慮なく醸し出している希。
「古都はそもそも歌うだけ?」
「ううん。ギターを弾いて歌いたいと思ってる」
雰囲気はいつものとおりだが、メンバー集めのための会話はしっかりと成り立っている。
「そうは言ってもベースの音が好きなんでしょ?」
「うん、だからベースボーカルも一回は考えたんだけど、やっぱりベースは弾くより誰かの演奏で私の耳に入れてもらって、その中で歌いたいなって」
「ふーん。じゃぁとりあえずあとベースだけでも入れればバンドの形になる、わけ、だ……」
希の最後の言葉が尻すぼんで歯切れが悪くなり、古都の肩越しに向けた希の視線に古都は振り返った。
「唯ちゃん!」
そこには希のクラスに入ってきた唯が立っており、古都は驚きの表情を見せた。控えめな性格の唯は他人の教室に入ることすら躊躇われるのに、この日は強い意思を持ってやって来ていた。
「古都ちゃん、のんちゃん。私、2人と一緒にバンドがやりたい」
「本当!?」
唯は古都と希を真っ直ぐに見据えてはっきりと言った。それに声を弾ませる古都と、表情を変えないながらも喜びを内に秘める希。
「けど、まだはっきりとやるとは言えない。ごめんなさい」
「どういうこと?」
古都の怪訝な表情に恐縮の念が唯を包むが、唯は古都から目を離さなかった。
「お母さんから反対された。けど絶対にお母さんを説得する。だからもう少し待ってほしい。もう少しだけ私の居場所を空けててほしい」
唯の強い意志を感じて古都はパッと明るい表情になり、大きく首を縦に振った。
「うん。待ってる」
その言葉に安堵の表情を見せる唯だが、すぐに真剣な表情に戻り希を向いた。希は唯の視線を受け取ってはっきりと首肯し、唯は再び安堵の表情を浮かべた。それと同時に、待ってくれる2人の期待を裏切らないために、絶対に母の説得をしなくてはと強く思った。
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