小さなブルーインパルス(2)
低く響く金属音が聞こえる。音のする方を見上げると、信じられないほどに澄み渡った空を、青と白の二色に塗装された飛行機が六機、飛んでいた。白い翼に太陽の光を反射させ、青一色の空間を気持ちよさそうに飛ぶ、美しい飛行機たち。なぜここにいるのだろう。
家から出られないまま、今年の航空祭は終わってしまったのに。
すでに、青と白の飛行機たちは、みんな北の街にある基地へと帰っていったはずなのに。
もう、二度と見られない遠い所へ、飛び去っていってしまったのに――。
佳奈ははっと身を起こし、自分が薄暗くなった自室のベッドの上にいることに気付いた。
文化の日の翌日も、職場には行けなかった。午前中に母親と一緒に家の掃除をした後、妙に疲れて自分の部屋で休んでいたのだが、そのまま寝込んでしまっていたらしい。
ベッド横の小さなテーブルに置いていた携帯端末が、メールの着信を知らせていた。知り合いでメールを使うのは、一階にいる両親と、勤め先の上司である渉外班長の下関ぐらいだ。
震える指で、メールアプリを起動させた。
発信元は、やはり下関だった。件名欄には、「デルタロールを知っていますか」と書いてあった。
デルタロールとは、ブルーインパルスが披露する展示課目のひとつで、ピラミッド型に並んだ六機の飛行機が揃って大空を駆け上がり、一枚の板がゆっくりと回転するかのように弧を描いて降りてくる、壮大かつ優雅な演技だ。
地上からはとても気持ちよさそうに見えるその姿は、佳奈の一番のお気に入りだった。
元潜水艦乗りの下関がブルーインパルスの展示課目の名称を知っていたとは、意外だ。
本文を開くと、少し長めのメッセージが表示された。いつも口を尖らせている1等海佐のイメージとはやや違う雰囲気の文面だった。
『渉外班は六名のチームです。
ブルーインパルスと同じです。
六機が揃わないと、展示飛行ができないように
六人が揃わないと、渉外班は成り立ちません。
ブルーインパルスの展示課目の中に、
「デルタロール」というものがあります。
六機が揃って飛んでこそ
青空に映える美しい課目です。
我々も、六人一緒に、
チームワークのデルタロールを
地上で描いています。
我々は、青と白の二色ではなく、
陸海空と事務官の「四色」ですが、
ブルーインパルスに負けない
立派なデルタロールを描き続けていけると、
確信しています』
メッセージに添えられた写真には、青と白の飛行機の形をした小さな置物が六個、「デルタロール」の配置になって並んでいるのが写っていた。
******
次の日、佳奈が八時少し前に事務所に入ると、渉外班には誰も座っていなかった。自分の机の上に、何か小さいものが置いてあった。ブルーインパルスをかたどったマグネットだった。六個のそれは、メールに添付されていた画像と同じく、三角形の形に並べて置かれていた。
まだ人の姿がまばらな部屋の中を見回すと、隅のほうで、1等海佐が備え付けのコーヒーメーカーに水を入れていた。
「班長、おはようございます。あの……」
「あ、藍原さん。お早う。十一月になったら、何か冷えるねえ。今朝は無性に温かいものが飲みたくなっちゃって」
下関は、愛嬌のある顔に笑みを浮かべた。
「すみません、たくさん休んでしまって……」
「そうでもないよ。祝日もあったし、実質、七日間くらいじゃない? あ、でも有給が減っちゃったね」
まだ静かな空間に、コーヒーメーカーの作動音が静かに響く。
「あの、昨日のメール……」
「ああ、あれ? 書いたのは古池。あのヒトいつも無口なのに、意外と『語る』でしょ? ちなみに『監修』は荒神。先任がポケットマネー出して、月野輪が厚生棟の売店であのちっちゃいブルーインパルスを選んできた。あれ、そういえば私だけ何もしてない」
黒が強すぎる髪に手をやる上司に、佳奈は心からの謝意を伝えようとした。しかし、言葉の代わりに涙が出そうになって、慌てて下を向いた。
下関は、それに気付かぬふりをして、言葉を継いだ。
「情報保全課の山本2佐から、松岡さんのこと、聞いた」
黙って頷いた拍子に、こらえていた一粒が佳奈の目から零れ落ちる。
「まあ、働いてると、反りの合わない人間にも出くわすし、嫌なことだっていろいろあるよ。そういうの、一人で黙って我慢する必要ないと思うんだよね。前にも言ったかな。みんなでわだかまりなく意思疎通できるのが大事、って」
「……はい」
「愚痴でもこぼし合ってるうちに、いい解決方法が見えてくるかもしれないし、嫌な奴を回避して仕事を進めるやり方も見つかるかもしれない。うちの連中は、経験年数が長い分、悪知恵もはたらくし、それなりのネットワークも持ってる。少しは使えると思うよ」
「すみません。私は、……何もできなくて……」
「新人さんは、経験者にサポートされながら少しずつ成長するのが仕事だよ。最近、『即戦力のある新人を求める』なんて言葉を聞くけど、あれって間違ってると思うんだよね。新人がすぐに戦力になるようだったら、私ら存在価値ないわけだし」
下関は、己を指さしながら、口を尖らせた。
「私が
気さくな1等海佐は、淹れたてのコーヒーを自身のマグカップに注ぐと、ご機嫌なフグ顔で佳奈に一杯をすすめてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます