後に毛となる種をまく

「おっ、来たか野坂、ヒロ」

「おはようございます」

「おはよーございます」


 高崎先輩から個別に連絡をいただき、呼び出された緑ヶ丘大学。朝の10時という早い時間から何をするのかと言えば、個別の訓練、または講習だという。丸一日をかけて行われるらしいそれに緊張が走る。

 緑ヶ丘のサークル室は狭く、機材の壁が築かれている。MMPの部屋のように個人の席があるワケではないから、どこで何をどうすればいいのかわからなくてただただ挙動不審になるだけだ。


「適当なところに座ってくれ。そこのラックが荷物置きだ」

「ありがとうございます」

「で? 何だったか、ダブルトークの基礎を叩き込むんだったか」

「そーです、春の制作会やるなら誰かがわかっとらんとアカンゆーコトで、対策委員を代表してボクらが教えてもらいにきました」


 事の発端はある日の対策委員だ。ダブルトーク番組の制作会をやるのはいいけれど、誰もその基礎がわかっていないのではないかという結論に達したこと。わからんなら教えてもらえばええやんと、ヒロが例によって軽い勢いだけで物事を進めたのだ。

 菜月先輩やダイさんなど、身内にも教えていただけそうな方はいらっしゃったけど、実家への帰省やスキー場DJという本業でお忙しくそれも叶わなさそうな状況にあった。で、ヒロが白羽の矢を立てたのが高崎先輩という……お前の心臓は毛虫か。


「よし、始めるぞ。とりあえず理論は野坂に叩き込むし、ヒロ、お前は体っつーか感覚で覚えて帰れ。まずはダブルトークの番組を聞くところから始めるぞ」


 そう言って高崎先輩はサークル室に備え付けになっているらしいパソコンを立ち上げた。曰く、元のデバイスはMDらしいけど、2枚に跨がるらしいその番組をフルで流すためにわざわざパソコンに落としてくださったそうだ。

 流れ始めた番組に、俺はハッとした。少し声がお若いけれど、紛れもなくこれは昨年度のファンフェスで放送された、高崎先輩と菜月先輩ペアの番組。ミキサーは伊東先輩が務められ、急遽枠が100分に延びたという伝説の。


「これを聞いて疑問でも粗でも何でもいい、気になったことをとにかく挙げろ」


 100分にわたる番組を聞きながら、俺とヒロは気になったことをどんどん投げつけ、それを高崎先輩が打ち返すというやり取り。例の番組が教材だなんて何と贅沢なことか。この機会を噛みしめながら。


「はい、じゃあ番組は以上だ。個人的な事はともかく、ダブルトークっつーモンがちょっとは見えたんじゃねえかと思う。でだ、次。ピントークとダブルトークの性質の違いだ」


 高崎先輩の講義はまだまだ続く。丸一日かけて座学の講習と実技の練習をつけてくださるそうだ。アナやミキというパートに関わらず、理論や理屈のようなことは俺に、感覚的な話はヒロに重点的にされている風に見受けられる。

 ヒロは何がどうわからないのかを「何でそーなるんですか」とか「わからんのですけど」と臆することなく言う。ただ、高崎先輩がそれに呆れていらっしゃるような様子でないのが不思議でならなかった。


「ヒロ、お前はタテかヨコで言えばどっちだ?」

「特に決まってないです。どっちも同じようにやります」

「そうか。どっちも出来るっつーのはそこそこの強みだが、裏を返せばどっちも中途半端になりやすい」

「どっちかに絞った方がええんですか」

「いや、どっちも出来るに越したことはない。だから、どっちも極めて更なる強みにしてやれ」

「そしたらボク高崎先輩よりすごいアナになれますか」

「ヒロ! お前はなんて失礼なことを!」

「それはお前次第だな。俺よりすごいアナになりたきゃ俺より練習しろ。ただ、俺を越えたいからっつって、俺と同じ事をしてちゃ意味はねえ。お前らしさを殺さねえような練習が必要だ」


 昼食を挟んで、講習はさらに続いた。俺に対するミキサーの実技講習などもとてもためになった。ピントークとやること自体は変わらないと思っていたけど、実はそうではなかったことなどを知ったり、得る物はとても多く。

 今日学んだことは忘れないうちに向島に持ち帰って復習しなければならないし、俺はそれを対策委員や講習会の現場でみんなに伝えなければならないのだ。自分が理解していない物をどうやって伝えられるだろうか。理解を深めなければ。


「高崎先輩、この度は無茶なお願いを受けていただきありがとうございました」

「ありがとーございました」

「いや。俺は話さえ筋が通ってりゃ来た話をどう実現させるか考えはする方だ。それにしたって、本来はウチの連中が聞きに来いよって思わねえこともないが。ま、これを生かすも殺すもお前ら次第だ。やれるところまでやってみろ」

「はい」


 これは、数々の先輩が積み重ねてこられた物に、高崎先輩が毛を生やして下さった物だ。そして、これからは俺が経験とか知見という毛を生やしていかなければならない。来年の今頃になれば、もっと今日の事の意味がわかるようになるだろうか。

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