美味しいにまつわるレポート

「お、烏丸。いたならよかった」

「あっ、ユースケ。どうしたの?」

「オレが洋食屋でもバイトをしていることは言ったな。その店でロールパンをもらってきた。食っていいぞ」

「えっ、いいの!?」

「ああ。川北も食いたかったら食っていいぞ」

「わー、いただきまーす!」


 今日は非番のはずの林原さんが、突然ロールパンを持って事務所にやって来た。林原さんは情報センターと洋食屋のダブルワークをしていて、洋食屋の方では週に1回から2回、ディナータイムにピアノを弾いている。

 その洋食屋さんっていうのが知る人ぞ知る美味しいお店だということで、まかないが美味しいっていう話も聞いてたんだけど。こうしていざ目の前にそのお店のロールパンが出て来てみると、香りやツヤに食欲が刺激されますよね。


「これはテーブルロールの中でもバターロールに分類されるだろう。国で言えばアメリカの物に近い」

「あっ、ミドリ先に取っていいよ」

「いえ、元は烏丸さんのために林原さんが持って来てくれた物でしょうし、俺は残ったのをいただきます。烏丸さんどうぞ」

「どちらが先に取ってもなくならんのだから、さっさとせんか」

「あっはいすみません」


 いそいそとバターロールを分け合って、早速半分に割ってみる。ふかふかで、いい匂いがして。今は冷めちゃってるけど焼きたてだったらもっと香りがふわーってして仕事どころじゃなくなってただろうなあ。冷めててよかった。

 ――と思ったら、事務所に広がるパンのいい匂い。そしてチンという音。林原さんがロールパンを電子レンジにかけるというテロ行為を堂々と行っている! いや、まあ、そりゃあお店の人だし美味しい食べ方を知ってますよね。


「ユースケ、パンをあっためるの!?」

「こうした方が美味いぞ。まあ、冷めていても美味いがオレは軽く温め直す方が好みだ」

「あっためると味や香りが立ってくるんですよねー」

「そういうことだな」

「うーん、あったかいパンか。でも、ユースケの好みを知ることって大事だと思うんだよね。ねえユースケ、何分あっためるの?」

「いや、1個なら20秒もあればいいくらいだ」


 林原さんの好みを知るという動機はともかく、烏丸さんが新世界にまた一歩足を踏み出しているらしい。少しして、またチンと温め終わりの音が鳴る。事務所の中は既にバターロールの香りが充満していて、俺の決意もどこへやら。

 ここまで来ると仕事とか割とどうでも良くなっていて、まだ繁忙期には早いしそもそも俺はA番だし少しくらいならいいかなって思っちゃうんですよね。迷うことなくパンを温めますよね。ひゃー、楽しみだー。


「ユースケ、これはいっぱい食べちゃダメだ」

「つまり、美味いのだな」

「うん」

「それなら、次は店の食パンを持ってきてやろう」

「そんなに美味しい物ばかり食べさせて、ユースケは俺をどうしたいの!」

「ヘンゼルとグレーテルですかねー」

「ある種の実験だな。お前の味覚は実に繊細だと思ってな。食パンひとつとっても銘柄による違いを見事に言い当てる。それならば、食い物の良し悪しのわからんオレが感覚で美味いと思う物を、お前なら何がどう美味いと表現出来るだろうと」

「そう言えば林原さんてご飯食べに行っても食レポあんまりしませんよね」

「細かいことがわからんのだ。オレがわかるのは美味いか不味いかくらいだ」


 つまり、林原さんの思う「美味しい」を烏丸さんにより詳細に表現してもらうためのバターロール。何が、どのように美味しいというのを聞いて納得するための。知るための行為とも言うのかな。


「林原さん、2つほど持って帰っていいですかー」

「構わんぞ。家で食うのか」

「朝ごはんにしたいなーと思って。コーンスープとハムがあれば立派な朝食になりそうですよね!」

「なるほど。いいのではないか。個人的にはスクランブルエッグとポテトサラダを推したいがな」

「あー、豪勢なモーニングプレートですぅ~!」

「ねえねえ、ミドリの思う朝ごはん、俺も食べてみたいなあ!」

「えっ!?」

「烏丸、そもそも川北の場合は朝飯を食う時間があるかどうかの問題だ」

「林原さん何てことを! まあ、あんまりないですけど!」


 豪勢なモーニングプレートなんて夢のまた夢。朝は寝てたいし寝癖との戦いだし。だけど、ロールパンをあっためてスープと一緒に食べるくらいの夢を見たって罰は当たらないと思っていたいんだ。

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