好転の雨宿り

 階段を一段上がるごとに、ぴたん、ぴたんと水っぽい音がする。今現在は一応乾いている階段も、水を運んできた俺が歩くことで色濃い足跡が刻まれている。雨風が激しく打ち付け、気温も上がらない。体感温度はかなり低くなっているはずだ。

 そんな中でも俺は淡々と仕事をするだけだ。悪天候時はピザ屋の稼ぎ時。仮に届けるのが780円のSサイズ1枚だとしても、大体の場合は原付で飛び出していかなければならない。もちろん、焼きたてのそれを守りながら。


「ちわーす、ピザデリーっす」


 寒さに震えながらインターホンを押し、はあいという声にドアが開くのを待つ。某腐海の2部屋隣。4階建てマンションの最上階、角部屋に住むメガネっ子はよくうちの店を利用している。それは、ここに来る頻度や溜まっているポイントからわかる。

 今日の注文はSサイズ1枚だから部屋にいるのはメガネっ子1人だろう。これでデザートピザ、今の季節ならパンプキンパイやその他のサイドメニューをつけて来るようになれば2部屋隣に住むかの腐女子がいるというパターンが多い。駐車場に車はあったが、いないと信じよう。


「ほうれん草とベーコンのSサイズが1枚で、780円っす」

「外、酷いですか」

「出歩くのを勧めねえ程度には」

「配達ありがとうございます」

「仕事なんで」


 メガネっ子が財布を取りに部屋に戻れば、部屋に繋がるドアが薄く開いたままになっている。そこから漏れて来ている曲には覚えがある。俺も持っているCD。まさかこんなところで聞けるとは思わなかった。

 俺が来る前に沸かしていたのであろうお湯が、やかんから蒸気になってシュンシュンと吹き出ている。正直今はガスコンロを使っている熱すらありがたい。それくらいには冷えている。ただでさえ俺は寒さに弱いのに。


「800円で」

「20円のお釣りで」

「お兄さん、ピザ屋に台風手当とかってあるんですか?」

「うちの店の場合は警報レベルとか台風が近いときに時給に100円上乗せされる感じで。俺みたいな外勤だとさらに100円。ただ、ない店の方が多いくらいじゃねえかなとは思う」

「10月末にアルバム出ますねえ、ボーカルさんのソロの」

「余裕で予約済みっす」

「ツアー行くんです?」

「愚問っす。そっちは」

「どうしようかなあと」


 玄関先での立ち話。こんな天気だから忙しくはあるが、こんな天気だから時間がかかる理由にもなる。思い出したようにメガネっ子がガスコンロの火を消すと、けたたましく蒸気を噴き出していたヤカンも落ち着く。


「お兄さん、あったかいお茶でも飲んで行きます?」

「じゃあ、少しだけ。めっちゃ寒いんで助かります」

「コーヒー、紅茶、ココア、カルピスもありますよお」

「あー、じゃあココアで」


 メガネっ子がマグカップに作ってくれたココアがうめえ。チップ代わりじゃねえけど、少なくとも今の俺にはすごく嬉しいサービスだ。きっと某腐女子という繋がりがあるからだとは思うが、あの腐女子の面倒を見れるだけあって器は元々デカいのだろう。


「あー、あったかいの飲んだら鼻がぐずぐずになってきた」

「ティッシュありますよお」

「あざっす」


 鼻をかんで、飲み終えたマグカップを返却。一応仕事中だから、あまりの長居は禁物だ。何か謎に居心地のいい玄関先だ。メガネっ子が着ている柔らかい素材の部屋着がリラックス効果を生んでいるのだろうか。


「ハロウィンコスとお菓子の季節には早かったですか」

「一応10月になったらって体なんすけど、あの腐女子と一緒の時は絶対注文しないでもらいたいっす」

「アタシの一存じゃ決められないんですよお」

「そこを何とか。じゃ、そういうことなんで帰ります」

「ありがとうございました。みやっちによろしくお願いします」

「徒歩10秒の距離なら出歩いても問題ないっすよ。それじゃあ」


 ココアで温まったのと甘さで少し回復。これで次に行ける。まだまだ天気が良くなる気配はない。だけど、時給に200円上乗せされんのは純粋にモチベーションに繋がるのだ。今日稼いだ分は何に費やす。酒か、飯か、音楽か。

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