自己滅却のディストピア

「おい、そこのお前」

「……俺ですか?」

「お前だ」


 突然誰に呼び止められたのかと思えば、この放送部の部長、日高さんだ。部長がその辺を歩いていた1年に何の用事だろう。とは言え、話を聞かないことには始まらない。


「ミーティングルームの奥に戸棚がある。で、これはその鍵だ。一番下から適当な台本を2、3冊引っこ抜いて来い」

「はあ。わかりました」


 部長の言うようにミーティングルームの奥に進んでいくとグレーの戸棚があって、しっかりと鍵がかかっている。受け取った鍵で扉を開けば、その奥には紙の束。きっとこれがステージの台本なのでしょう。

 適当な台本と言っていたから、本当にどれでもいいのでしょう。それを使う目的も、俺にはどうでもいいこと。部長の班の人がわかっていればいいだけの話で。

 部長だけあって忙しいのかもしれない。それでその辺を歩いていた1年に用事を言づけたのだろう。俺は言われた通り適当な台本を引っこ抜いて、来た道をそのまま帰る。


「部長。取ってきました」

「ん」

「それではこれで」

「ちょっと待て、仕事はこれからだ。これを読んで使えそうな部分を抜き出せ。今持ってきたこれが秋の台本なら春っぽくするんだ」

「ええと、それはどういう?」

「お前がわかる必要はない。ただ、このことは他の奴には言うなよ」


 適当に引っこ抜いて来た台本を読んで、使えそうな部分を抜粋する。季節や場所、状況などを“今”に合わせることも忘れてはいけない。

 ――って、まるでコピーアンドペーストで作るレポートのような。今の場合はステージの台本ですね。これをファンタジックフェスタで使うとするなら他言無用である理由にもしっくりきます。

 ただ、部長がそんな悪事を働いていたとしても班員でも何でもない俺には関係のない話ですし、とりあえず言われたままにやりますよね。ああ、でも紙媒体はショートカットキーが使えないのが面倒ですね。


「……やたら癖のある台本ですね」


 パラパラと使えそうな部分を探していると、先の2冊とは雰囲気の違う本が1冊混ざっている。紛れもなくステージの台本ではあるんだけど、それまでの本より細かくて密度がある。ただ、その割に出て来る人数が少ない。

 見た感じ、アナウンサーが1人にミキサーが1人。それからディレクターが1人の3人しか出てきていない。先の2冊は5、6人が本の上で動いていたのに。3人でこの密度? 全然想像がつかない。

 ただ、表紙に不可の判子が押されている割に使えそうな部分はすごく多い。企画の内容にしてもだし、アナウンサーが喋る進行内容にしても。気が付けばこの癖の強い本から引っ張る率が高くなっていた。


「うーん……さすがにマズいですよね」


 悪いことをしているという意識はある。俺が切り貼りしている台本がどのように使われるのかも何となく想像できてしまう。だから、癖の強い台本の成分を無意識に薄めようとしている自分がいて。


「部長、出来ました」

「そうか。おい、お前。これから俺の下で働け。日高班には使えるDがいないんだ」

「はあ、そういうことなら」

「Dの仕事は主に雑用だ。言われたことだけをこなせ、俺に口答えすることは許さない」

「わかりました」

「一応名前を聞いておこう」

「所沢怜央です」


 流されるまま、どうにでもなってしまうんですよね。どんな波が来ていたとしても、沈む船だとわかっていても。自分の意思など持たずに流されるままに。

 どうやら俺は日高班のディレクターとして働くことになったらしい。この先どういうことになるかはわからないけれど、なるようになるのでしょう。


「そしたら使った台本を元に戻して来い。人目は避けろよ」

「わかりました」

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