第16話 はだかの王様

夕方、仕事の後井原はいつも通り咲良のうちに来た。合鍵を渡してあるので、軽くノックをして入ってくる。

なのでいつ彼が来てもいいように、多少不用心だがチェーンを開けておくのが習慣となっていた。


コンコンコン


決まって3回のノックの後、そっとドアを開ける音がする。

「おかえり」

この言い方が正しいかわからないが、そう言うと井原はうれしそうに微笑むのだった。

「今日はビックリしたよ。まさか職場で会えるなんて」

「コーヒーこぼしたからしみ取りに来てほしいっていう連絡があって」

「それくらいこぼしたヤツが自分でしたらいいのになぁ。ところであの時なんか様子おかしかったけど、なんかあった?もしかしたらまたパートの人とかになんか言われた??」

今までと変わらない優しい言葉に、咲良の胸は傷んだ。

何も聞かなかったふりをしたほうがいいのか、それとなく問いただしたほうがいいのか。

嘘をつけない性格ゆえ、今日の出来事を正直に打ち明けた。

「実は今日、テナントの社員さんが話してることを作業中に偶然聞いてしまって…」

「何?」

「…洋祐さん、子供さんいるの…?」

言葉を失い、井原の顔は青ざめた。

「バツイチってこと…?」

長い沈黙の後、冷たいお茶を飲んで気持ちを落ち着けると、井原はボソボソと話始めた。

「実は大学生の時につきあってた人との間に子供ができて、卒業前に学生結婚したんだ。14歳の長男を筆頭に、12歳の娘と9歳の次男がいる」

「えっ!?3人も?」

コクン、と小さくうなずく。

「そして奥さんとは別居してるが、実はまだ離婚が成立していない」

「うそっ…」

「子供は3人とも僕と暮らしていて、近所に住む僕の母が食事とか面倒見に来てくれている。離婚が成立したらちゃんと言うつもりだった。ごめん」

衝撃的な事実に、咲良は頭の中が真っ白になった。

「私と結婚したいって言ってくれたのは…」

「もちろん、咲良ちゃんのことが大好きやから。それに掃除もできて料理もできて家庭的やから、子供のことも任せられるかなって思って」

「ちょっと待って!そんな大事なこと勝手に決めんとって!私仕事も朝早いのに、もし結婚できたとしても子供達の朝食の準備とか出来ひんよ」

「それは、咲良ちゃんが仕事辞めたらいいだけのことやん。僕の稼ぎで養えるし、清掃の仕事なんかにしがみつくことないやろ?どう考えたって僕と結婚してセレブな人生送ったほうが幸せに決まってる」

「それが…本音なの?」

「えっ?」

「それって私が好きっていうのは建前で、ただお世話してくれる召使いがほしいだけじゃない!」

「違うそんなつもりじゃ…」

「貧乏な女の子ならちょっと優しくしてお金出したらほいほいついてくると思った?ふざけないでよ!そんなゴキブリみたいに簡単にエサにつられないわよ!あなたみたいなエリートにはわかんないかもしれないけど、あなたはたかが清掃って思ってるかもしれないけど、それでも私なりにプライド持って働いて生活費稼いでるんだから!必死に這いつくばるようにしてでも自分の足で立って生きてるんだから!自分が種まいて作った子供の面倒親に任せてるようなあなたにそんなこと言われたくない!帰って!」

「ええっ!?」

「合鍵も返してもらうからっ。もう二度と顔も見たくない!」

嫌がる井原を無理やりドアの外に押し出し、チェーンをかけた。

「待って!ちゃんと話そう!」

ドアの向こうでしばらく声が響いたが、あきらめたのか少し時間が経過すると、階下に降りる足跡がした。

いつもならドアを開け彼が帰るのをじっと見送り、途中で彼が振り向いて見上げたまま微笑んで手を降って帰っていく。

その日常が、もう戻ってこない。

玄関先にうずくまり、咲良は泣いた。

最愛の人に子供がいたこと。

自分の仕事のことをバカにされたこと。

何も知らなければまだしばらくは夢を見ていられたのに。

一瞬にして現実の波に飲みこまれ、失ってしまった喪失感。

つい数日前はプロポーズのような言葉をもらい、幸福の絶頂だったのに。

王子様と思っていた人は、実ははだかの王様だった。

かっこつけてえらぶって、そのくせ頭の中はからっぽで自分のことしか考えてないような男だった。

「そんなヤツに身も心も捧げてしまったなんて…」

悔しくて怒りの感情が、そして隠し事されていた悲しさがこみ上げてきて、涙が止まらない。

「結婚できる立場じゃないくせに、結婚したいとかいうなバカー!!期待させてから裏切りられるほうがつらいんだからー!!」

今までも随分と男運は悪かった咲良だが、今回はまた格別だ。

その話もいずれ、また。

しばらくして、井原からLINEメッセージが届いた。

『大事なこと黙っててごめん。せやけど咲良ちゃんならいずれ僕のすべてを受け入れてくれるって思ってたから。落ち着いたらまた話そう』

「なんて自分勝手な…」

相手を受け入れるにも許容範囲というものがある。

「なんでそれがわかれへんねん」

感情のままに、咲良はブロックリストに登録した。

「さようなら、私の王子様。夢見させてくれてありがとう。大好きでした」

強がって、感謝の言葉でしめくくる。

つきあい始めて約1ヶ月で、儚く散った恋だった。


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