第9話 梅田で晩餐会

翌日の金曜日。咲良は朝から落ち着かなかった。

いつもは午前4時半に起きるのだが、気合いを入れて身支度したくて今日は4時起きだ。

井原はスーツ姿なので、自分もあまりカジュアルになり過ぎないように水色のブラウスにベージュのフレアースカートをチョイス。

レモン色のカーディガンを羽織り、足元はピンクベージュのパンプスにした。

季節は4月の半ば。春らしいパステルカラーのコーディネートだ。

新しい服を買いにいく時間も予算もないので、手持ちの服で有り合わせた精一杯のおしゃれ仕様。

ウキウキ気分で出勤する。

昨夜は顔にパックをして、お肌の調子も絶好調。

そのシートマスクはネットで大量買いしたので、1枚あたりの単価が17円というお得品。

いかにお金をかけずキレイになるか、咲良の情熱は計り知れない。

ネットが普及している現代、コストを削減しているため安くいいものを買えるものだ。


午前6時30分過ぎ、いつも通り井原がやってきた。

「おはようございます」

おたがい照れ笑いを浮かべてあいさつを交わす。

「昨日聞き忘れてたんやけど、苦手な食べ物とかありますか?」

「好き嫌いは全然ないです。食べるの好きなんでなんでも食べます」

「よかった。梅田にある和食のおいしいお店予約したんで、魚とか平気かな?と思って。それじゃあ夕方にね」

軽く手を振って井原は去っていった。

その笑顔と仕草に、咲良の胸はドキュンと撃ち抜かれた。

ーどうしよう…井原さんのこと好きかも…。

しかし相手はエリートなテナント社員様。左手にはブルガリの時計が光っている。

どう考えても身分不相応だ。

ーそんな素敵な人に食事誘われただけラッキーだし!ツイてるし!今夜は貴重な時間を楽しもう!

心に沸き上がった感情を打ち消すように、咲良は仕事に没頭した。


午後5時。

タイムカードを押しそそくさと退勤する。

待ち合わせの1階ロビーに向かうと、まだ井原の姿はない。

黒いソファーに座って待つことにする。

ドキドキドキドキ……

鼓動が早くなる。

ー静まれ!心臓っ。

好きな人と初めてのお食事、緊張感はMAXだ。

思わずスマホを取り出し

『緊張を和らげる方法』とか

『リラックスする方法』とか検索して気を紛らわせる。

「ごめん、お待たせ」

聞きなれた声に振り向くと、井原が立っていた。

「私服だと全然雰囲気違うね。一瞬声かけるのためらったよ」

「普段は三角巾とエプロンでだっさい恰好してますからねー」

「あれはあれでけっこうかわいいよ」

にっこり笑ってそう言われると、思わず赤面する。

「じゃあ行こうか。少し歩くけどいいかな?」

「大丈夫です。普段から動きまわってるので体力には自信あります」

「そうだよね、僕も見習わなきゃ。パソコンの前からほとんど動かないから運動不足で」

並んで歩くと、井原の顔を少し見上げる形になる。

ー横顔、鼻筋通ってるな…。

しげしげと見つめていると、時折目が合う。

その度にトキメキを感じるのだった。

まだほのかに明るい夕暮れの御堂筋を歩き、繁華街のほうへ。

茶屋町界隈は人混みでごった返している。

飲食店ばかりが入るビルに入り、エレベーターで6階に上がる。

「いらっしゃいませ」

着物姿の店員に迎えられ、鏡張りの個室に通される。

ーめっちゃ高級感!

皮張りのゆったりとした椅子に座り、90度の角度で座る形になる。

これだと真正面じゃないから緊張しないし、真横ほど接近しないので気が楽だ。

そこまで考えて店を予約したとしたら、相当気配りのできる男だ。

「お酒は飲める?」

「たしなむ程度には…」

井原はビールを、咲良はレモンチューハイを注文。

食事はほっけの開きやお造り、和風ドレッシングのカルパッチョサラダや天婦羅の盛り合わせなど。

「それでは、今週もおつかれさまでした。カンパーイ!」

お酒が入ると気が緩み、初めての緊張感もほぐれ話も盛り上がるものだ。

おたがいの仕事の話とか趣味の話で、話題が尽きることがなかった。

「井原さんはなんであんなに早くから出勤してるんですか?」

「満員電車が嫌なんだよねー。でも電車は好きなんや」

「私も電車好きなんですー」

「ほんまに!?じゃあ今度一緒に出かけよっか」

「ぜひ行きたいですー。ところで井原さんはどうしてわたしを食事に誘ってくれたんですか?」

「それは…」

言いかけたところでちょうどタイミングよく扉が開き、追加で頼んだカツオのたたきが到着した。

なんとなくそのまま話が中断し、食べるほうに意識が集中してしまった。

井原はカツオに乗っているニンニクやネギといった薬味を取り除いて食べていた。

「井原さん、薬味系の野菜苦手なんですか?」

「普段は食べるけど今日は…。だってこれ食べたらチュウできへんから」

「………」

ーそれってどういう意味なんやろ。酔ってるから冗談やろな、たぶん。

一瞬気まずい沈黙が流れながらも、気にしないふりをして咲良は箸を進めた。朝早くから仕事してお腹空いてるし。

残りのビールを飲み干し生中のグラスを空にすると、意を決したように井原が声を発した。

「あのさ、男が女の人を食事に誘うってことは、大抵好意を持っててその人と仲良くなりたいからやねん」

「…それって…」

「初めて見たときからかわいいなって思っててん。そんでもって不動産の情報誌で紹介されてる記事を読んで、仕事に対する考え方とかひたむきにがんばってる姿がすてきやなって思って。近付きたくてきっかけ作りたかってん。要は好きってこと」

「えっ!?なんかさらっとすごいこと言うてますけど…」

「酔うてるからとか、冗談とかちゃうで。はんまに好きやねん。せやから、チュウしていい?」

「!?」

真剣なまなざしは、ふざけているようには見えなかった。

呆然とうなづく咲良に接近すると、肩を抱き寄せ井原は唇に、キスをした。

ーこれは、夢!?

しばらくそのままで、自然に瞳を閉じた。

数秒のひと時が、永久にも感じられた。

そっと瞳を開けると、おだやかな表情の井原がそこにいて言った。

「僕と、つきあってください」

「………はい」

お酒の酔いもあって夢見心地だが、どうやら現実らしい。

憧れの王子様と、心が通い合った瞬間だった。












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