第8話 王子様現る。

M不動産グループの社内報が出来上がった。

清掃控室は咲良の話題で持ちきりだ。

顔なじみのテナント社員さんらから

「記事見たよー」

なんて声をかけられることもあり、うれしくもこそばゆくある。

早朝静かな館内で作業を行う知られざる清掃の舞台裏なども紹介されており、上司の金本からも

「会社のイメージアップにつながった」

とお褒めの言葉をいただいた。

「若いスタッフがいきいきと身体を動かして働いてる現場は、ビル全体の雰囲気が明るくなり活気があっていい、と不動産側も喜んでたよ」

「あ、ありがとうございます!」

ほめられるとやる気がわくし、自然と笑顔になる。

元気良く声も出る。

常日頃から朝は特に、出勤してきたテナント社員さん達が一日気持ちよく働けるように清潔な身だしなみと爽やかな笑顔のあいさつを心がけているが、記事が紹介されてからなお一層気合いをいれて行った。


「いつもありがとう。毎日朝早くから元気ですね」

ある朝のこと。

男子トイレ内の洗面台を清掃していると、ひとりの男性が咲良に声をかけた。

年齢は30代後半くらいだろうか。笑顔がすてきで爽やかなスポーツマンタイプ。

がっしりとした体形だが、スーツがよく似合う。

「おそれいります。朝早いのはおたがいさまですね」

時刻はまだ6時半過ぎ。他に出勤している社員はいない。

咲良が微笑むと、男もにっこり笑って立ち去った。

「感じのいい人だな」

清掃はひとりで黙々と作業をこなすことが多いが、時折こうして入居されてる社員さんと言葉を交わしたり、ささいなふれあいがうれしかったりする。

男性はそれから毎日、同じくらいの時間にやってきた。

清掃場所と順番は基本毎日一緒なので、必然的に顔を合わすようになり、自然に顔見知りになって親しく会話するようになった。

名刺を交換し、男性の名は『井原洋祐』といい、IT系企業のシステムエンジニアだと知った。

「よかったら今度、一緒に食事でもどうですか?」

「えぇ!?」

初めて言葉を交わしてから一週間ほどした頃、誘いを受けた。

「いきなりこんなこと言われたら迷惑でしたか?」

「いえ、そんなこと…。ただビックリして」

「なんかもっと木村さんと話してみたくて。明日の夜空いてますか?」

「はい。大丈夫です…」

「仕事5時までですよね?僕も明日は定時で終わるので、おいしいもの食べにいきましょう。1階のロビーで待ち合わせでいいですか?」

「は、はい」

「よかった!じゃあ明日の夜、楽しみにしてます」

満面の笑みで井原はその場を後にした。

「うそー…、こんなことってあり??」

信じられない気持ちだが、うれしくってワクワクで胸がキュンキュンする。

こんな喜びを味わうのは何年ぶりだろう。

「明日何着ようかな…」

鏡に映る自分の顔、頬が薄紅色に染まっている。

うれしさで上機嫌、まるで舞踏会に行けるシンデレラの心境だ。

モップを持つ手にも力が入り、サクサクと仕事がはかどるのだった。



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