藤の母と公家の父

 朝、照が目覚めると、隣にいるはずの女郎花は布団にはいなかった。むくりと起き上がると、女郎花がちょうど身支度をしているのが見える。女郎花は右手で帯を持ち、左手には藤色の短刀と扇子を持っている。ドクリ。嫌に大きく照の心臓が鳴った。


「アンタ、それ……」


 恐る恐る照が左手を指さすと、驚いたように女郎花が照の方を向く。小さくおはようございます、と言うと


「ええ、お客様にいただいたんどす」


 と自身も左手に目をやる。二つの小物は、用途は違えど、藤色であると言うだけで妙な連帯感を持っている。女郎花はその二つを腰あたりに据え、帯で巻いた。照はそろりと自分の着物の懐を探る。


「私も、アンタにあげるものがある」


 そう言って取り出したのは、藤色の簪。女郎花の髪に合いそうな小ぶりで、しかし存在感のある簪。しゃらしゃらと鳴るのは藤の花のような縮緬細工。


「私が、フジノにもらったんだ。が来たら渡すように、と言われていた。まさか精華家*のご息女がこんなところに来るわけないと思っていたんだが。女郎花、アンタは一体またどうして」


 そこまで言って照は何かに気づいたのか、佇まいを直した。背を伸ばし、胡座をかいて座る。それは礼節を重んじる武士の姿そのもの。照はすっと女郎花を見据えて一礼する。


「数々の無礼、お許しくださいませ。深月家のお子である貴殿にお会いできたこと、光景至極にございます。お家騒動のこと聞き及んでおります。さぞかし、お辛かったことでしょう」


 改まった挨拶にあたふたと慌てるかと思われた女郎花はしかし、穏やかに微笑むのみ。そっと照に歩み寄り、改まらなくてもええですよと声をかける。


「父が亡くなった後、深月家は叔父上が継いどりますから。……うちは父と、側室にもなってない母から生まれとります。元々別宅で生活しとったし、公家の血は半分しか流れとりまへん。これで、此処に来て、身の丈と同じになったんやと思とります」


 朝日に照らされて笑う女郎花は、凛としていた。花としての客引きの笑顔ではなく、柔らかでたおやかなその笑みには、何か圧倒されるものがある。生き方は母から、凛としたその眼差しは父から継いだものなのだろう、と照は一人納得し、


「先代フジノに似ていると思ったら、そういうことか」


 一人ごちた。それから顔をあげ、簪を女郎花に差し出す。


「この簪はフジノが、よくつけていたものです。貴方の御髪によく似合うことでしょう」

 簪を受け取る代わりに、女郎花は両手で、簪ごと照の手を包む。

「照はん、よかったら簪をうちに、つけてくれませんか。母は家におらんかったから、つけてもろたことないんです」


 その言葉に照はぐっと詰まる。確かに、照が此処に来始めた時にまだフジノは居た。母として、ではなく、この店を守る長になることを選んだのだろう。簪を渡されるまで、照はフジノに子がいることさえ知らなかった。それだけ、母であることを諦めていたのだろう。シャラリと簪が鳴った。照が少し女郎花の方に近づき、その髪にそっと簪をさす。その簪に触れて満足そうな女郎花は


「薊はんにもこうしてつけてあげれば、ええんとちゃいますか?」


 そう告げて、照を苦笑させた。その静かでも押しのある言葉は、フジノ—————今は亡き、藤を皆に託した先代フジノに似ている。親子だったのか。照は女郎花の時髪にさした簪を見て、そう思った。薊の簪はまだ懐にある。その助言通りにとはいかないが髪の短いあの子の手にそっと滑らせてみよう。照は立ち上がり、身支度をし始める。冬の冷たい風が、どこからかひゅうと部屋の中を駆けた。


 *精華家 : 公家の家格の一つ。歴史上実在した清華家と同じく、最上級の摂家に次ぐ位。


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