藤深月

 響き渡ったのは、女郎花の悲鳴ではなくキィンという金属がぶつかる音だった。


「岼殿、むやみに人を傷つけるのはお止めくだされ」


 岼が振り下ろした小刀を止めたのは、反対側で寝息を立てていた清水であった。紫色の柄の、こちらも小刀で器用に止めている。岼は明らさまに機嫌を害して


「清水殿、あなたはもうすこォし頭の切れる武士だと思ってましたよ。今すぐどいてください。父に言って、堕としますよ?」


 と言った。瞳孔が大きく開き、手には一層力が入っている岼は、正気の沙汰とは思えない。ケタケタと笑うその声は、もうあのな、対話をできた岼とは違うように聞こえる。


 清水に一瞬迷いが生じたが、それでも小刀を放すことはしなかった。


「儂は骨の髄まで武士になりたいと思っておりました故、頭が切れずとも良いのです。年老いたこの身には権力などさほど必要もありますまい。義を守り通すのが、武士の勤めだと、思っておりますので」


「古いな」

 岼は吐き捨てるようにそう言った。

「なんの、若造には負けませんぞ」


 清水は表情を変えずにそう言うと、いつの間にか手元に置いてあった刀の鞘を岼の腰目掛けて振りかざす。パキッという小気味良い音が、岼の肋骨が折れたことを知らせた。


「痛い」

「でしょうな」


 ヨロヨロとよろける岼に、追い討ちをかけるようにして刀を抜き、振りかざす。


「貴方がやったことは、本当に、莫迦莫迦しい」


 と清水は言って最後、岼のその手から小刀を弾いた。


「武士として、刀も持てぬようなら、そちらの方が嘆かわしいですぞ」


 弾かれた小刀は宙を舞い、畳の上に深く刺さった。


               ***


 その後、周りにいた見廻組とフジノが駆けつけてくると、多勢に無勢、岼はお縄についた。


「てめぇら! それでいいのか! もうここに岼が金を落とすことはないんだぞ」


 眼光未だ鋭いその目は、恐怖の対象ではなく、無様で、ほんの少しの憐れみの対象と成り下がった。落ち着きのあった声が、今では甲高く、吐く台詞も、未練たらしい女のようである。フジノは岼を蔑むようにして見る。


「岼の若造殿。わざわざ気にかけてくださって痛み入るよ。けどね」


 口元には冷笑をたたえて。


「お前さんの銭より、花をかくまった方が今回はいいか、と思ったんだよ」


 それが何を意味するか。分かったのか分からなかったのか、兎に角、岼は黙った。が、岼を連れて行こうとすると、駄々をこねるようにして身をよじる。その拍子に、女郎花とふと目を合わせた。


「莫迦」


 そう言うと岼は高笑いをしながら、くるりと踵を返し、見廻組と、それからフジノと共に部屋を出て行った。


                 ***


「助けていただいてありがとうございました」


 とりあえず着るものを着たといった体であったが、女郎花が礼を言うと、


「儂はじぃさんには世話になってるからな。いや別にじぃさんに、ではないか」


 と清水は最後、独り言のようにそう言って小刀を弄ぶ。その煌めく刃を鞘に収めると、その小刀を突き出した。


「持っておけ、きっとこれがゆくゆくお前を守ってくれるのだろう」


 女郎花は最初はかぶりを振って断った。客から個人でモノを貰うのは————————刃物など特に、禁じられてる。が、二言三言、清水が言葉を連ねると、その刀を受け取った。鞘には藤の花が。


「藤深月という。大事にしろよ」


 最後に刀の名を残して。


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