鳴る前の鈴と鳴った徳利

 フジノは去り際に、藤色の紐で結ばれた鈴を渡した。桜の細工がしてあり、リリンと、高い音が鳴る鈴である。女郎花はおずおずと両手を差し出し、それを受け取った。と唐突に、フジノは差し出されたその手ごとグッと女郎花を引き寄せる。女郎花はフジノに身を預けるより他ない。フジノはさらにその手を女郎花の頭に回し、女郎花の耳元をぐっと自身に近づける。ざらりとした肌が、女郎花の頬を撫でた。


「もし岼が何か悪さをしたら、鈴を鳴らしな。こっちも見廻組を待機させておく。他のところで随分やってくれたみたいだから、上玉でもなんでも、潰さないとな」


 フジノが低い声で囁いた。それはただの連絡であった。ではあるのだが、女郎花はひどく赤面し、こっくりと頷くことしかできない。フジノはしかし無表情で何もなかったかのように女郎花を解放すると、


「行っておいで。精々、稼いでおくれよ」


 と一言いうと、艶やかな牡丹色の着物を翻し、去って行った。女郎花はほんと一時惚けていたが、我に帰り障子に手をかける。つぅ、とそれを開けた。


「お晩です、女郎花と申します」


 女郎花が膝をついてお辞儀をすると、その向こう側で二人が笑った気配がする。顔を上げると、岼は柔らかな笑みをたたえ、清水は苦々しげである。一見、清水の方が人をあやめそうなギラリとした目をしているのだから、世の中とは皮肉なものである。両者とも、刀はほんの六寸はなれた左側に。いつでも抜刀したけばできる状況。女郎花は、自分の命が風前の灯火のようにゆらめいているこの状況に、笑みを深めた。


 その笑みをどう取ったのかは女郎花の知るところではないが、

「酒をついではくれませんか?」

 という岼の声は、人を傷つけて殺すような人間とは思えない。

「岼さんの色香にでもやられたか。ぼけっとしてないで早く来い。やはり百合がよかったんだ」

 野太い声でそういう清水の方が—————女郎花を莫迦にしている事実を差し引いても—————人を傷つけそうである。岼とは図体と言動があまりにもかけ離れている。


 本当に、フジノや百合が言っていることは正しいのだろうか、と思いつつ、女郎花は進み出た。盆に置いてある徳利を持ち、岼に、それから清水に酒を注ぐ。とくとくと流れ出る酒を、岼は慈しむようにして眺めていた。

「……酒を注ぐ音とは、いつも良いものですね」

 そう一人ごちて。

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