それは唐突に訪れた穏やかな会話

 徳兵衛との膳を挟んだ会話は、ひどく穏やかなものだった。まるで、親と子が仲睦まじく会話をしているようである。徳兵衛の皺が、笑みをたたえるたびに深くなる。徳兵衛が冗談を言うと、鈴のような女郎花の笑い声が起こる。だがその居心地の良さは、改めて徳兵衛と女郎花の年の差を感じさせるものでもあった。


 表面を全て知って尚、女郎花をより深く知りたい。二人の会話はそんな欲望のままに、徳兵衛が質問をしているようにも思える。肉付きからその仕草、そしてどことなく現れる凛とした風格。話せば話すほど、密な時間を過ごした相手を何も知らないのだ、と徳兵衛は心の中でそっと思った。それと同時に溢れてくるこの女の面白さは一入ひとしおだ。紙の上の女にもそんな背景があるのかもしれない。ガサリと徳兵衛の想いに呼応するようにして袖の中の紙が音を立てた。


 女郎花にとっても、徳兵衛の深い思慮と根っからの人の良さが垣間見える会話は新鮮であった。自分が今まで使ってきた処世術とはなんと未熟なものだったのか。冗談まじりの武勇伝を聞いて、『年の功には勝てへんなぁ』と一人思った。それと同時に思うのは、こういうことをする客はどれほどいるのかと言う思案だ。きっと、多くはない。偶々、徳兵衛の此処にきた目的が添字を書くというものだったからで、女郎花のことを気にする人はきっと稀なのだろうというのは容易に想像出来る。運が良かったのだ。うまく笑えているか分からなくなった女郎花は、袖で口元を隠した。


 窓から入ってきた風のせいか、行灯の光がふと揺らいだ時、徳兵衛はずっと気になっていた本題に切り込んだ。その質問に一瞬答えに詰まったものの、女郎花はこくりと頷く。


「……おやおや、そうだったのか。どうりで似ていると思ったよ。それをフジノは知ってるのかい?」


 うっすらと思っていたことが、まさか本当だったとは。想像を膨らませるためにした会話ではあったが、それ以上に収穫があった。徳兵衛は声には出さなかったが内心ニヤリとした。


「いえ、フジノはんにはゆうておりません」


 その女郎花の答えを不審に思ったのか、


「またなんで?」


 と徳兵衛は言及した。女郎花は徳兵衛の問いには答えず、 笑って白米を一口食べた。それを緩やかな拒否と受け取るだけ、徳兵衛は年を取っていたし、それ以上聞くような野暮なことはしなかった。それよりも聞きすぎたことを少しだけ後悔した。


 多分何かあるのだろう。それだけ分かれば徳兵衛には十分だった。否、十分に深入りしてしまったと言ってもいい。花の事情に深く突っ込んだところで、良いことなど何もない。花は愛でるものであり、その様相を事細かに見て回るのは薬師か学者で十分である。むくりと沸き上りそうな親切心を流し込むようにして、徳兵衛は汁物を啜った。


 それからぽつりぽつりと会話を交わすと、徳兵衛は箸を置き、もう片方の懐から扇子を取り出した。そして黙って女郎花の方に差し出す。女郎花はその扇子を黙って受け取ると、広げた。その扇子は、藤の花をあしらった、珍しく淡い色彩の扇子であった。


「アンタにやる。いや、アタシは預かっていただけだから、アンタに返すというべきなのかもしれないけどね」


まじまじと扇子を見つめる女郎花を横目で見て、徳兵衛はそう言った。


からのものなんどすか?」


女郎花が珍しく急かすように聞いてきた。なんとしてでも聞き出したい。そんな気迫さえうかがわせる。だが、その問いに答える代わりに徳兵衛は


「アンタも疲れたろう。もう寝ようか」


と言って立ち上がった。狸のような厚顔で話題をするりとかわすのは、商人の得意とするところである。

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