添え字のための花、それ以上の何か

 絵描きや添字をする輩は、よくここに来るんだよ。と徳兵衛は脈絡もなく女郎花につぶやいた。そして先刻、薊が女郎花に座り方を教えたように、細かく角度を指定していく。どこか簡潔なその指示は、淫らな行為を他人にさせているとは思えない。徳兵衛の言葉だけを聞いていたら、人々はもっと他のことを想像するのであろう。だがあくまでそれは、女郎花に女としての顔を覗かせるためのものである。女郎花が羞恥で頬が火照るようなものなら万々歳というところだろう。事実、女郎花の頬は紅をさしたように赤い。またそれがちょうど絵に出てくる女のようで皮肉であるが、徳兵衛の創作意欲をかき立てたるのには役にたつ代物である。徳兵衛が此処きた理由は実物を見るためであることに他ならないので、そうであるべきだったとも言えるが。


 徳兵衛はようやく納得がいったのか、女郎花から少し離れて、再びその体を眺める。大きくはだけた着物の裾から出ている白い脚は恥じらいをもって折り重なる。襟は大きく開き、女郎花のその丸い肩があらわになると、きめ細かい肌がよく見て取れる。その顔はうつむきがちで、その片頬と目線が徳兵衛を向いておらずとも、首筋や火照ったその頬、俯いた時に伏せた睫毛が女郎花をあの絵の女のようにさせた。


「やればできるじゃないかい」


 徳兵衛はそういうと、最初に会った時のように女郎花をじっと見つめる。自分の体が消費されていく感覚を、女郎花は存分に味わっていた。徳兵衛は、交わることなく女郎花の体を厭になる程舐め尽くした。生半可に見世物のようになるのなら、いっその事交わった方が良いのかもしれない。女郎花はそう思ったが、どちらがいいかなどという選択肢が女郎花に与えられることは絶対に無い。ごくり、と唾を飲み下し、女郎花はその羞恥に耐えた。そんな女郎花を見て、徳兵衛はニヤリと笑いながら、筆と紙をとった。


 筆がサラサラと穏やかに紙に当たる音、そしてそれを消していく乱雑な音がしばらく絶え間なく聞こえてきたが、ついに徳兵衛は筆を置いた。ふぅと煙を吐くようにして一つため息をつくと、女郎花に向かって


「もういいよ。今日は終わりだ」


 と言った。女郎花は少し身じろぎをしてゆっくりと起き上がる。しばらく同じ格好をしていたので、全身が少し痺れた。徳兵衛は女郎花にそっと近寄ると、はだけている着物を整え始める。その指からは想像できないほど、丁寧に女郎花の体の線に沿って着物を整える。先程よりも体が近くにあるのに、女郎花は少しほっとした気分になり、されるがままになる。と、その弛みが分かったのか、徳兵衛は女郎花の顔を片手で掴んでぐっと近づける。脂の浮いた額が近づくとともに、煙管のあの独特の匂いが強まる。


「アタシはいつだって、力ずくでアンタを伏せることができるのさ。油断するんじゃないよ」


 そう言い放つ徳兵衛は、好々爺でも美醜に厳しい商人でもない、また別の誰かのようだった。何かどこかひた隠しにされていたものが湧き上がってきたような。非常に獣じみた————言うなれば、きな臭い男の顔。その顔を向けられて再び恐怖がせり上がってくるよりも、単純な興味が女郎花に芽生えた。


『一体どれだけ違う顔を、徳兵衛はんは持ってらっしゃるのやろか。そしてそれは何故、生まれたものなんやろ』


 ふふと微笑んだ女郎花に面食らったのか、徳兵衛はそれから特に何も言わず着物を整え終えた。そして一歩引くと立ち上がって、元居た膳の前に座る。もうその時には人のいい笑顔をたたえて、


「ああもう、こっちがひやりとしちまったよ。危うくアンタを襲って、うちのカミさんを怒らせるとこだった。……アンタ、どこの出だい?飯でも食いながらゆっくり身の上話でもしようじゃないか」


 と言った。女郎花はそれにこくりと頷くと、端に置いてあった自分の膳を取り、徳兵衛の前に座った。白米と漬物という簡素なものではあったが、それを見た瞬間に自分がしばらくの間ものを食べていないことに女郎花は今更ながらに気がついた。

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