まっさらな笑みとそれに矛盾した状況

「あんた、新しい女郎花だね。アタイは薊だよ。髪はここに来る前に女髪結いに売っちまって短いけど、丁度本物の薊みたいでわかりやすいだろ。ほら、ぼけっと立ってないでこっちへおいでよ」


 そう言って女郎花に声をかけたのは、若緑の地に薊が施してある着物を着た、十九ぐらいの女だった。女の言う通り、成る程赤銅色をした髪は短く、その所為で先が跳ね上がっていた。顔いっぱいに広がる笑みは、此処の雰囲気と違って明るく、陽の当たるところにいるような違和感を感じる。蓮っ葉な物言いからは、軽快さすら感じられ、この薊は此処には似つかわしくないようにも見える。女郎花はその満面の笑みに返事をするように薄く笑い、


「薊はん、よろしゅう頼みます」


 と言った。それは笑いと言うよりも目を少し細めたという方が近いものだったかもしれない。満面の笑みを見せる薊が、眩しい。女郎花はそう思った。この狭い部屋の中で日々を過ごして男共の相手をし、それでもこうも屈託なく笑う。薊の笑みは、この汚れた場所にはあまりにも明るすぎる。女郎花は寧ろ、そのまぶしさに目を細めて笑い顔を作った。と言った方が良かったかもしれない。


 薊に手を引かれて柵の目の前に行く途中、女郎花は蓋をしてある桶に躓きそうになった。中には陶器が入っているのか蹴った拍子にカチャリと音がする。薊はそれをちらっと見ると苦笑いをした。


「ああ、それ。倒したら大変なことになる。気をつけな」

「何か、大事なもんでも入ってますの?」

「いや、それが厠の代わり」


 薊が何でもないように言ったが、女郎花は絶句した。今はこんなところで働かざるをえなくなったとはいえ元は公家の出。女郎花は貧乏とはいえ、ある程度の暮らしをしてきたのだろう。人前で、して良い行為として良くない行為があるとすれば、は、完全に後者であった。羞恥と戸惑いにゆらゆらと目を泳がせる。そんな女郎花に、薊はニッと先ほどの満面の笑みを見せ、


「フジノが言ったろう、ここは法の下じゃない。アタイらはもう、どこかの犬と同じような扱いなんだよ。いや、一昔前にはお犬様、なんて皆が犬を拝んでたこともあったみたいだから、それ以下かもしれないねェ。ま、人前でアタイらが用を足そうと誰も気にはしない。それにここら一帯は毎日香が焚かれるのさ。鼻なんてすぐいかれちまう」


 と言った。こんなことさえ笑顔を見せる薊に、女郎花は少し違和感を感じた。先ほどとは違ってその笑みは、雛人形を彷彿とさせる。作られてから捨てられてしまうまで、笑う。ふくよかで優しげな顔をした雛人形は、夕暮れ時に見ると少し狂気を感じさせるのを、女郎花は遠い記憶から探り出した。他の感情が作れない。暗がりの中、薊はそんな風に笑い続けるのだろうか。そんな風に思ったものの、女郎花は目線を桶にやっただけで何も言わなかった。匂いは強くない。それは香が全てを隠しているからに相違ない。


 高価な香を焚かれた空間にはいる。それはもう、ここにいるほぼすべての女たちが家にいた時には買えなかったような代物だ。だが、実情としてはそんな香を嗅ぎながらも、自分が人であることを諦めている。廊に入れられてしまった以上もう手遅れではあるのだが、『かなんな、覚悟があらへん』と女郎花は今更ながらに思った。きつく結ってあったはずの髪がはらりと一束、額にかかる。それでも薊はしっかりと女郎花の手を握っている。花として迎え入れている。もしも、女郎花がその手をふりほどいたところで、どうにもならない。女郎花は薊に手を引かれるままにしておいた。神は、払わなかった。


 それから薊は女郎花を、皆に引き合わせてくれた。つぶし島田に大振りの簪を指し、さも遊女然とした椿、扇子をひらひらとあおぎ、じっと女郎花を面白そうに見つめる菊、写し鏡を見ているかのように顔立ちが似ている二人の百合。皆それぞれ微笑んだものの、やはり薊のはち切れんばかりの笑みとは違い、どことなくくたびれた、ここに似つかわしい笑みだった。

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