第十章 その四

 麻衣が出て行ってどのくらいたったのだろう。眠くなった俺はベッドでそのまま寝てしまっていたらしい。

 外はすっかり暗くなっているが、麻衣が戻ってきた気配はない。枕もとの時計に目をやるとデジタル時計は二十時を示している。


「もうこんな時間か・・・麻衣の奴。出て行って四時間も・・・何してるんだ?」


 立ち上がり、部屋に明かりをつけ、外していた義手を装着する。こうやってみるとじっくり見なければ左腕が義手とは気が付かれないだろう。まぁ、そうはいっても自分の意志では動かない腕だ。食事の時には特に苦労する。特にバイキング形式だと皿を持ちながら料理をとることができないのが辛い。銭湯での奇異の目にはもう慣れた。だが・・・いつまでも見慣れない。この不細工な切断面。肘から先がない腕。細くなってしまった左上半身。鏡で見ると泣けてくる・・・


「俺はいったい・・・誰なんだろうな・・・」


 未だ知らぬ父と母を思う。もちろん、俺のことを育ててくれた養父母のことも大切に思っている。しかし、記憶のない今、本当の両親が知りたい。そう思ってしまう。


「一人になると、こんなに弱気になるんだな、俺。」


 フッと自嘲気味に笑い、カバンの中に入っているパソコンを取り出す。


「これからどうするか・・・予定を考えないとな・・・」


 お金に関しては問題ない。

 養父母の柴田さんが俺を受取人にした生命保険をかけていてくれていた。入院費用に関しても、バス会社からと国からの補償金でどうにでもなった。

 恐らくは一生食べていくには苦労しないだけのお金を手に入れたと思う。


「金だけあったってな・・・」


 そう呟きながらパソコンを立ち上げ、『成和町』について検索する。町の場所は簡単にわかった。かなり田舎にあり、海辺の町であることだけがわかった。


「どうやっていけばいいんだ?最寄りの駅までは四時間?そこからバスを乗り継いで・・・さらに二時間?うーん、結構厳しいな・・・一日じゃ行けないか。」


 再びベッドに横になる。いろいろと考えてみる。

 高無唯。久保田さんから聞いた女性の名前。既に故人だという話だ。そして俺の名前、高梨和樹。ここに何か関係はあるんだろうか。


「そう言えば、麻衣は成和町の近くの出身だったな・・・何か知ってるかもしれない。戻ってきたら聞いてみよう。」


 ひとしきり一人で考えていると腹が鳴った。


「腹・・・減ったな・・・」


 その時、携帯電話が鳴った。メールが届いたらしい。携帯を手に取り、メールを確認すると亜衣からのメールだった。


「亜衣からか。元気にしてるのかな。なになに・・・」



和樹お兄ちゃん


元気にしてますか?亜衣はいつも通りに元気にやってます。(#^^#)

久しぶりにお兄ちゃんに会いたいなって思って大学に行ったんです。

そしたら、自分探しに出かけたっていうじゃないですかっ((+_+))

もうびっくりしましたよ。( ゚Д゚)

モラトリアムですか。

それで、今どのあたりにいるのかな?って思ってメールしました。(^_-)-☆

まだ、体調も万全じゃないだろうから無理しないでくださいね(^^)/



 そっか、亜衣の奴、大学まで行ったのか。彼女には何も言っていなかったから驚かれても仕方がない。それよりも・・・最後の一文、どういうつもりなんだ?


 麻衣さんに気を付けてください。


 人の彼女に対してずいぶんと失礼な言い草だ。今までも、今日だって彼女は俺のことを助けてくれている。そんな彼女のどこに気を付けろっていうんだ。


「そう言えば、久保田さんには亜衣のことを聞きそびれたな・・・」


 そんなことを考えていた時、麻衣が部屋に戻ってきた。


「遅くなってごめんね。明日の出発に合わせてちょっと準備してきたんだ。」


「準備?」


 移動に関してならバスと電車で何とかなりそうなんだけどな。


「そう。移動が電車だと自由が利かないでしょう?それでね、レンタカーを準備したの。ここからだったら車だと半日くらいで行けるし。それに私の地元の近くだから道もわかるしね。」


 とにもかくにも麻衣には助けられてばかりだ。



一方そのころ。


「和樹にだけ任せるわけにはいかない。私がなんとかしなきゃいけない。」


 そうひとり呟いた女性がいた。深刻そうな表情で俯きながら発せられたその言葉は、決意の表れのようにも見えたが、どこか悲壮感が漂うものであった。自分以外に乗客がいないバスの中、女性は窓の外の景色に目を移すとそこには美しい海辺の景色が広がっていた。



 翌日。麻衣が手配してくれたレンタカーで成和村に到着した。


「やっぱり、田舎って感じよね。空気がおいしいっ。」


 そう言って伸びをする麻衣。俺は車の運転ができないから彼女に任せるしかなく、いたたまれない気持ちでいた。


「麻衣、ありがとう。」


「どうしたの、和樹。こんなことは全然気にしなくてもいいのに。」


 そうはいっても片道数時間の運転だ。辛くなかったわけがない。それに、これは俺自身の問題であって、麻衣には関係のないことでもある。


「ここで・・・俺は生まれたんだろうか。それとも・・・」


 妙な既視感。見たことがあるような景色。目の前に見える海も、少し離れたところに見える洋館も、車で通りすぎたスーパーも。見たことがある気がする。しかし、いつ見たのかは全く思い出せない。


「どう?何か思い出せそう?」


 麻衣は俺の顔を見ながら少し心配そうな表情を浮かべている。


「ん・・・わからない。でも・・・」


「でも?」


「覚えてはいない。でも、覚えてる。」


「どういうこと?」


 麻衣の目が一瞬だけ光ったような気がした。


「うん。言った通りさ。いつ見たのかわからないけど、ここは見たことがある気がするんだ。」


「ふ~ん、そうなんだ。」


 そう言って少しがっかりしたようにそっぽを向く。


「ごめん。」


「いやだなぁ。謝ることなんてないよ。」


 そう言って笑顔でこちらを振り向く。


「ただ・・さ。」


「んん?」


「見覚えはあるんだけど・・・どこか違うんだ。なんていうか、もっと新しい・・いや、違うか。昔のこの街を知っている気がするんだ。」


「昔の・・・」


「そう。うまく言えないけど、あえて言えば、映画で見たような。例えばさっき見たスーパーはもっと建物自体がきれいだった気がするし、あの洋館もツタなんか茂っていなかったんだ。」


 話していると、何かが思い出せそうな気がする。


「そう・・・なんだね。」


 麻衣は何かを言いたそうな表情をしているが、特に口には出してくれない。


「あぁ、そうなんだ。ところで、あそこの洋館は?」


 俺はそう言って洋館を指さし麻衣に尋ねた。


「さぁ・・・よくわからないわ。ここに来たことはあるけど・・・」


 そう答えた麻衣の表情はどことなくいつもと違うものだったように感じたのは俺の気のせいだろうか。


『・・・もうすぐだ・・・』


 どこかで誰かが呟いた。

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