第十章 その三

 今回の旅で初めに向かうのは俺がいたという児童養護施設。

 これは高階亜衣から聞いた情報だ。幸い、その施設は家から比較的近いところにあった。きっとそこでまた何か情報が得られる。その先はその時に決めようということになっていた。


「お邪魔します。」


 あらかじめ連絡してあったから何の問題もなく園長に会うことができた。園長室にいた男性は俺が施設にいたころの園長とは違う人だったようだが、親身に話を聞いてくれた。


「柴田君だったね。君から連絡を受けて私もいろいろと調べてみたんだよ。」


 園長の話を要約するとこういうことだ。

・俺が施設に預けられたのは、おそらく一歳にもなっていない時だろうということ。

・母親に関する情報は一つもないということ。

・『タカナシカズキ』と書かれた紙が俺と一緒にあったこと。


「ありがとうございます。大変参考になりました。」


 園長にそう言ってから、一つ不思議に思い質問を投げかけた。


「あの園長。もう一つお伺いしたいことがあるのですが。」


「なんだろう?」


 園長は軽く首をかしげながら返事をした。


「高階亜衣という子をご存じありませんか?」


 彼女は俺と同じ施設にいたと言っていたから、園長から何かを聞き出せるのではないかと思ったのだが。


「高階・・・亜衣。・・・すまない私の記憶にはないのだが、その名前に何か心当たりがあるのかね?」


 園長の素振りからすると嘘をついているようには思えない。そうなるとあの子は一体何者なんだろう。俺に話したことは嘘だったのだろうか?


「いえ、すみません。おかしなことを聞いてしまって。」


 お礼を言って部屋から立ち去ろうとした。


「あ、待ちたまえ。当時の君を知る久保田園長がまだご存命なんだ。良かったら尋ねてみると良い。」


 そう言って住所を書いた紙を渡してくれた。その住所はここから新幹線で行ける町だ。麻衣も賛成してくれて、時間はかかるが行ってみようということになった。



 久保田園長はいわゆる老人ホームと呼ばれるところで生活していた。しかし、介護などを必要としない生活を送っており、ある意味で悠々自適な生活を送っているようだった。


「やぁ、和樹くん今回は大変だったね。お見舞いに行けなくて申し訳ない。」


 第一声で俺に対して謝罪をしてきた。謝ることなど何一つないのに・・・


「いえ、そのようなことはありません。こちらこそ、急に訪ねてきてしまい、申し訳ありません。」


 俺はただただ頭を下げる。


「いやいや、君は昔から利口な子だったからなぁ。それは変わらないみたいだな。」


 久保田さんは大きな声で笑った。


「ところで、隣にいるきれいな女性は?奥さんかい?結婚したのかい?」


 大きな声で笑いながら聞いてきた。麻衣は恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いている。


「あ、いえ、結婚はまだですが・・・いろいろサポートをしてくれています。」


「あ?そりゃ君、奥さんと同義じゃないかね?」


 そう言ってさらに笑い声をあげる。


「・・・いや済まない。君が笑えるような状況ではないことは分かってはいたんだが・・・」


 そう言って急に小さな声になり俯く。


「いえ、お気になさらないでください。それで、お電話でもお話しさせていただいたのですが、俺はほとんどの記憶をなくしてしまっていて・・・それで、その記憶を取り戻すヒントがないかと思っておたずねさせていただいたのです。」


 正直、藁にもすがる思いだった。今のところこれといった情報もない。柴田家にも大した情報はなかった。


「うん、そのことでね、私もいろいろ思いだしてみたんだ。もうボケが始まりつつある頭で必死に思い出してみたんだよ。」


「何をおっしゃいますか。まだまだお元気そうじゃありませんか。」


 俺は正直な感想を伝える。見た目、まだまだ元気そうなのだが。


「いやいや、今日は調子がいいんだよ。で、だ。思い出したことがあるんだ。君に関係があるのか自信がないんだが、当時の私が上に掛け合って却下された話なんだが。聞くかい?」


 そう真剣な顔をして俺の顔を見る。齢七十くらいだろうか。まだまだ隠居生活には早すぎるほどの若さを持っているように見えた。


「是非。お願いします。」


「ん、じゃ、少し長くなるからお茶でも飲みながらにしよう。あ、君はタバコは吸うのかい?」


 そう言って施設の女性にお茶をお願いする。


「いえ、吸いませんが。」


「そっか、まぁ、それならここで構わないかな。」


 そう言って語り始めた。その内容は

・俺が預けられる直前に病院から消えた母子がいたこと。

・その母親は末期癌だったこと。

・俺が預けられてすぐに身元不明の女性の遺体が発見されたこと。

・遺体の発見場所は成和町の近くだということ。


 この話を聞いたとき、麻衣が少し不思議な反応を示した。そのことを麻衣に聞くと、「成和町は私の生まれた町のすぐ近くだから」と返事があった。そして久保田さんはこうも付け足した。


「私個人がもしやと思って調べたことだが・・・もしかすると本当に君とかかわりのあることかもしれない。なぜなら、病院から消えた母親の名前は高無唯というんだ。」


「タカナシ?」


「そうタカナシだ。高いの『高』に何もないの『無』で高無だ。君がこの施設に来た時に持っていた紙に書かれた名前は・・・」


「タカナシカズキ・・」


「そう・・・私はそれを見て君を『高梨和樹』と名付けたが、もしかすると君は『高無和樹』なのかもしれないな・・・」


 高無・・・なんだろう。初めて聞いたはずなのに何かどこかで聞いたような気がする。どこだ・・・どこで聞いたんだ?思い出せない。これが思い出せたら、一気に答えがわかるような気がするのにっ。


「和樹・・・どうしたの?大丈夫?」


 麻衣が俺の腕をとり、聞いてくる。


「あ、あぁ、大丈夫・・・」


 そう返事をして麻衣の方を見ると、俺よりも麻衣の方の顔色が悪い。


「麻衣こそ、大丈夫か?」


「私なら平気だよ。ちょっと・・・疲れちゃったかも。」


 弱音を吐いたところを見せたことがない麻衣の口から出た言葉。少し意外ではあった。


「ん、移動とジジイの話ばかりで疲れたのかな?今日はゆっくり休むと良い。君の名前でホテルも予約してある。どうせ行き当たりばったりの旅になるんだろう?今夜くらいゆっくり休みなさい。彼女の具合も良くないことだしな。それに私の話はこれで終わりだ。恐らく、もう会うこともないだろう・・・」


「そんな・・何を仰います。まだまだお元気でしょう?それにホテルなんて・・・」


 久保田さんの心遣いは嬉しいが、ここまでもみんなの厚意に甘えて生きてきている。これ以上は甘えるわけにもいかない。


「いいんだよ、和樹くん。私は君の母親を見つけるチャンスを棒に振ったジジイだ。せめてこのくらいの償いはさせてもらわないと・・・ゴホッゴホッ・・」


「大丈夫ですか?」


 咳込む久保田さんを見て麻衣がすかさずそばに駆け寄り背中をさすろうとするが、それを制して俺たちに言った。


「いいんだ。もう私の寿命は尽きているんだよ・・私も癌に冒されていてね、もう長くはないと言われてるんだ。今日、この日に君たちと話せてよかった。さぁ・・・行きなさい。そして、自分を知りなさい。」


 そう言った久保田さんの顔を俺は決して忘れないだろう。




 久保田さんが予約してくれていたホテルは、想像以上に豪華だった。二泊分予約されていて、しかも料金まで支払われていた。俺たちは久保田さんに感謝し、今後の予定を話し合うことにした。


「なぁ、麻衣。体調はどうだ?」


 あまり顔色が良くなかった麻衣だったが、ホテルに入ってからは少し良くなったみたいだ。


「うん、大丈夫。心配かけてごめんね。」


 麻衣は申し訳なさそうに俯く。


「いや、結構ハードに移動したからな。移動は新幹線だったけど、疲れたよな。」


「それを言うなら和樹の方でしょう?まだ退院してから二週間くらいしかたってないのよ?正直言うと、なんでこんなに早く回復したのかって思ってるわよ。」


「ん・・・そうだな・・・そうかもしれない。きっと体が丈夫なんだよ。」


 少し強がってみせる。実際は思ったよりも体調は良くない。どこかが痛むということはなかったが、入院生活で体力が落ちているのは確かだった。一応筋トレなんかはしてたんだけどな。


「そうかな?和樹ってそんなに元気なの?」


 そう言って麻衣はベッドに腰を掛けていた俺の隣に座ってくる。


「元気かどうか・・・試してみるか?」


 麻衣の顔を見つめて笑いかける。


「ん~、今はダメ。」


 そう言ってキスだけして立ち上がる。


「あ、おい。なんでだよ。そっちから誘っておいて・・・」


「ごめんね。私、ちょっとだけ思いだしたことがあるの。だから、和樹はここで待っててくれる?遅くならないうちに戻るから。」


 そう言って財布と携帯電話だけ持って部屋から出ていこうとする。


「あ、おい。それなら俺も行くって。」


「いいの。すぐに戻ってくるから待ってて。」


 そう言って一旦戻ってきて俺にキスをし、また出て行こうとする。


「せめて行先くらい教えろよ。」


 当然の質問のはずだったが、麻衣は片目をつぶって答えなかった。

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