第七章 その三
気が付くと私は病院にいた。妙に古臭い病院。見覚えがない病院だ。
「高無さん、高無愛さ~ん、検温の時間ですよ~。あら、今日は起きてるのね?」
そう言いながら入ってきたのは看護師と思われる体格の良い女性だ。でも、私の名前は高科麻衣・・・高無愛って誰?そう尋ねようとしたが声が出ない。
「・・・・」
「そう、今日は体調がいいのね。」
笑顔で私の体温を測り、血圧を測る女性看護師。
「うん、熱もないし血圧も正常。良かったわね。まだ若いんだから、元気にならなきゃダメよ?」
そう言って蒸しタオルを手に取り、私の顔を拭く。
『気持ちいい。』
素直にそう思う。けどやっぱり声が出ない。
「ほら綺麗になったわね。鏡で見てみましょうね。」
そう言って少し大きめの手鏡を移動ラックから取り出し、目の前に持ってくる。そこに写っている顔は・・・少しくたびれた感じの初老の女性。どう見ても私じゃない。私はまだ二十二歳。こんなに一気に老け込むわけがない。それに、名前も違うっ。
「う~~~」
必死に声を出そうとしたが出た声はこれだけ。言葉がでない。体も思うように動かない。
「あらあら、ごめんなさいね。気に入らなかったかしら・・・」
そう言ってその女性看護師は鏡を移動ラックにしまう。
「あ~~」
どうしても声が出ない。いやだ、なんなのこれ?夢なら早く覚めてよ。
「愛さん、どうかしたの?痛むところでもある?」
痛みはない。
でも、わけがわからない。誰か教えてよっ。心の中で強く思う。
その瞬間、私はまた意識を失った。
「舞まーま。今日はテストで百点取ったよ~。」
今度は意識だけで存在しているような不思議な感覚だ。
舞まーまと呼ばれた女性の視界を共有している。そんな感じ。
「こら唯。愛まーまでしょ?」
「だってぇ、舞まーまだもん。」
「そう、私は舞まーまよ?でも、愛まーまでもあるの。でしょ?」
「うん、愛まーま。」
そう言って唯と呼ばれた少女が抱き着いてくる。可愛らしい少女だ。こんな娘がいたら嬉しいだろうなとふと思った。
「はいはい、唯は甘えん坊さんね。まーまは今ちょっとだけ忙しいの。ごめんね。あと・・・一時間くらい待てるかしら?」
「うん、大丈夫だよ。今日は友達と遊びに行ってくるの。」
「お友達?」
そう言って視界を共有している愛まーまなのか舞まーまなのかわからない女性が少女を見る。
「うん。」
そう少女はニコニコして返事をする。
「そう、お友達と遊んでくるのね?遠くに行っちゃダメよ。」
「大丈夫よ、愛まーま。」
「いってらっしゃい。気を付けてね。」
「はーい。いってきまーす。」
そう言い終わらないうちに少女は部屋から駆け出していく。その姿を見て女性は立ち上がって窓に歩み寄って外を見る。そこには何人かの少女が待っていて、玄関から飛び出してきた唯と呼んでいた少女とじゃれ合っている。
「元気に育ってくれてよかったわ・・・」
そうつぶやいた瞬間に女性の心が流れ込んできた。一気に・・・濁流のように・・・その激しい意識の流れに私は飲み込まれる。自分の意識が消えてしまいそうなところを必死にこらえる。
「愛姉さん・・・私は・・・幸せよね・・・」
そこで私の意識は途切れた。
また見える景色が変わる。どこか立派な屋敷の中みたいだ。
今度は誰かの視点ではない。自分の意志で見ることも動くこともできる。
ただ・・・音が聞こえない。一切の音が聞こえない。静寂・・・おかしい。そんなことがあるだろうか。
『ここは・・・』
そう声を出してみるが、声にはならない。確かにいつものように声を出したつもりだった。でも、声は聞こえない。
幼い少女が階段を駆け上がっていくのが見えた。だが不思議なことに私の姿は見えていないようだ。良くわからない。この状況が理解できない。ただ、あの少女について行かなければいけない。その気持ちだけが強く湧き上がってくる。理由はわからない。けど引き寄せられる何かを感じる。私は何かに誘われるかのように階段を一歩一歩登っていく。足元を確かめながら、ゆっくりと・・・
そこには三人の姿が見える。一人はさっき見た少女。もう一人は倒れている女性。最後の一人はその女性を抱きしめている女性。何が起こっているのかわからない。倒れている女性の口が動いているのは見える。何かを話しているのはわかるが声は聞こえない。意を決して少しずつ近づく。
『え・・・』
思わず声を出しそうになる。
いや、声を出したはずだ。
でも私の声は・・・
倒れている女性は大量の血を流し、手足が本来あるべきではない方向に曲がってしまっている。
『惨すぎる・・・』
思わず手で口を覆い隠して目を背ける。その時、もう一人の女性の姿が目に入る。そして、二重の驚きに襲われる。
『わたし・・・?』
思わずそう思うほどにその女性は私に似ていた。違うのは髪の長さ。私はショートだがその女性はセミロングで一本にまとめている。
『どういうこと?』
再び疑問が口から出る。
しかし、やはりそれは音にはならず自分の頭の中にだけ響く。
そして再び倒れている女性に目を向ける。
『・・・っ』
その女性も同じ顔。顔色は青ざめていて血の気はほとんど感じられないが、もう一人の女性と同じ顔だ。そして私の顔とも・・・
『わけがわからない。誰か教えてよっ、なんなのよっ。』
その場で頭を抱えてしゃがみこむ。
「知りたいの?」
ふいに声が聞こえた。私は声の聞こえた方を見る。
「本当に知りたいの?」
そこにいるのは一人の少女。まだ年端もいかぬ少女。しかし、その少女から発せられた声はとても低く、ひどいギャップを感じざるを得ない。
「誰・・・」
思わず後ずさりしながら、その得体の知れぬものに声をかける。
声?声が出る。そう思った時、今度は別の異変に気が付く。
さっき見た女性たちや少女が動きを止めているのだ。まるで時間が止まったかのように・・・
「僕のことを忘れたのかい?」
その不気味な少女は低い声で私に尋ねてくる。
「あなたのことなんか知らない。誰よ、誰なのよっ。なんなのよっ。」
私は必死に少女に問いかけたが、少女は私の顔をじっと見ているだけだ。
「やれやれ・・・まだ思い出せないみたいだね。仕方ない・・・」
少女は不気味な笑みを浮かべて上目遣いで私を見る。
「思い出せない?なに・・意味が分からないっ。」
私は何も知らない。知るはずがないっ!
「なーに、そろそろ思い出すさ。君も本当はわかっているんだろう?」
何を言ってるの?さっぱりわからない。
目を瞑って耳をふさぎ不気味な声を遮断する。
「なら、これはどうかな?」
「麻耶かい?」
見知らぬ男性が声をかけてくる。でも・・・不思議と懐かしい。
「ううん、マイだよ。なんで泣いてるの?」
私が勝手に答える。マイ。確かに麻衣は私の名前だ。ふと自分の手を見る。小さい。私の手が小さいっ。どういうこと?今度は子供になったの?
「おじさんはね・・・寂しかったんだよ。それで・・・泣いてたんだ。」
寂しい?どうして・・・それに、マヤって誰?
「泣いたらダメだよ、おじさん。マイが慰めてあげるね。」
そう言って小さい私は見知らぬ男性の頭を撫でる。
見知らぬ・・・いえ、知っている。私はこの男性を知っている。
「う・・うぅ・・・」
男性は声を殺して泣き続ける。近くには男性の妻と思われる女性の姿。こちらの女性は私の姿を見て驚いた表情をしている。
「ま・・・麻耶?」
まや?
その名前はこの夫婦の子供の名前なのだろうか。
・・・でも、まや・・・マヤ・・・麻耶?そう、高橋麻耶。この名前には憶えがある。
「ちがうよ?おばさん。マイだよ。タカシナマイだよ。」
え?タカシナマイ?それは私と同じ名前・・・高科麻衣は私の名前っ。でも・・・そんなことってあるだろうか。
「そう・・・マイちゃんっていうのね・・・」
そう言ってそのおばさんもおじさんと一緒になって私のことを抱きしめてくる。不思議と怖いという感情がない。
「なぁ・・・マイちゃん。」
意を決したようにおじさんが口を開く。
「私たちと一緒に帰らないか?おうちに。」
「あなた・・・」
妻であろう女性がそう言って首を振る。
「なぁ、マイちゃん。どうかな。おじさんのうちの子にならないかい?」
「おじちゃんの子になる?」
そう言って少女は首をかしげて、ちょっとだけ考えるような素振りをする。
「うん。いいよ。」
そうにっこり笑って答えたのだ。その時、また私以外の時間が止まる。
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