第七章 その二
きっちり四時間後。隆司の車は成和町の入り口に差し掛かった。
「梓さん、麻衣さん。もうそろそろ到着しますよ。」
車の後部座席ですっかり寝てしまっていた私たちに、隆司が文句ひとつ言わずに報告してくれる。
「そう?思ったより早かったわね。」
それは私たちが寝てたからよ。そう思ったが、それを言うと梓の機嫌が悪くなる。彼女は本当のお嬢様だから、気に入らないとすぐに機嫌が悪くなる傾向がある。困ったことだ。
「そうですね。少しだけ飛ばしましたから。」
「ありがとう、隆司。」
「いいえ。お気になさらずに。」
この二人はどういう関係なんだろう?梓のお気に入りなのはわかる。でも、この子のこの従順さはなんなんだろう。とても不思議だ。
「あ、あの洋館・・・」
「どうしたの?」
「なんだか見覚えがある・・・」
「来たことあるんじゃないの?実家から近いんだし。」
確かに近いことは否定しないけど、それでも車で一時間はかかる。この成和町は過疎地。それも末期の。特に何かがあるわけでもない町に来たことなんてなかったはずなのだが。
「ないわ。でも、知ってる・・・」
「ふ~ん、不思議ね。」
「あ、そこの道を左に曲がると洋館の近くに行けるわ。」
「よくご存じですね。」
隆司が驚いたような声を上げる。
だが、隆司がすでにウインカーを出していたのに私は気が付いていた。
「隆司くんも知ってたの?」
「はい、一応下見を済ませておきましたから。」
事も無げに隆司が言った。
「下見ですって?」
梓が「驚いた」と声を上げる。
「はい、迷ってしまうと困りますから。」
笑顔で淡々と返事をする隆司。本当に隆司とは何者なんだろう。
「ねぇ・・・隆司くん。どうしてここまでしてくれるの?」
疑問を口に出す。
「それはね、あたしの下僕だからよ。」
梓がふふんと胸を張りながら言う。
「違います。下僕ではありません。梓先輩が好きだからです。」
「ちょ・・・」
梓が顔を真っ赤にする。意外に初心なところがあるのも梓の可愛いところだ。
「それは一旦置いておきましょう。もうすぐ高梨家に到着しますよ。」
高梨家というのはこの村にある廃墟だ。廃墟と言ってもきちんと管理されている。今はだれも住んでいないというだけだ。
「そっかぁ~、これが高梨家かぁ。」
そう言って感慨深そうに身を乗り出して洋館を見る。
「ここではいろいろあったらしいのよ。殺人とか失踪事件とか。まぁ、どっちもかなり昔のことなんだけどね。で、最近の持ち主が老衰で亡くなったのを最後にこうなってるのよね。噂では、すごいお金持ちで遺言書にここを保存するように書いてあったとか。」
梓が得意気に知識を披露した。
「あはは、梓先輩はそれを本当に信じているんですか?」
隆司が軽く笑いながら梓の言ったことをやんわりと否定する。
「そうよ、それが悪いの?」
早速、梓の機嫌が悪くなる。
「いえ、先輩が何を信じていてもよいのですが、私が調べた話とは少し違うようです。」
隆司はどこまでも冷静だ。
「どういうことよ・・・」
梓はひどく不服そうに聞き返す。
「僕が調べた内容では、こちらの洋館の持ち主は高梨家ではなく高無家です。」
「はぁ?なに言ってるの?」
「そうですよね。音で聞くとわからないのですが、『なし』の文字が違うんです。元々の持ち主の方の『たかなし』は高いの『高』に無の『無』で高無。対して、最後の所有者であった『たかなし』は高いの『高』に果物の『梨』で高梨。そして、いろいろと事件があったのは無の方の高無家が所有していたころ。ただ・・・事故は果物の梨の方の高梨家にもあったようですが。」
隆司はいつの間に調べたんだろう。随分と詳しく調べられてるようだけど。
「なら・・・別にいいじゃない。ここで何かあったことには変わらないんでしょう?」
梓がさらに不服そうに隆司に問い詰める。
「はい、その点に関しては、ですが。こちらの洋館は現在、遺言で保存されているわけではなく・・・」
「あーはいはい。もういいから。まずは中を探検しましょう?」
隆司の言葉を遮って、梓が提案を打ち出した。
「いえ、こちらの所有権は国が持っていますので・・・勝手に侵入すると面倒なことになりますが。」
梓の提案を冷静に却下する隆司。それに国が所有権って、どう言うこと?
「うそぉ?ここまで来て中に入れないの?」
それには同感だ。せっかくだから私も見てみたかった。不思議なことにここを知っている気がするし。
「そう・・・でも、ちょっとだけなら。」
梓がニヤッと笑顔を浮かべて言う。その気持ちもわからないでもない。
「玄関には監視カメラ。塀にはセンサーが設置されています。文化財登録候補となっているそうですから、管理も厳重です。」
隆司が首を横に振りながら「ダメです。」と答える。
「じゃ、私たちは何をしに来たわけ?」
梓が全く悪くない隆司に金切り声を浴びせる。
「すみません。お聞きになるとがっかりすると思いましたので、せめて外からだけでもと思いました。」
隆司が下調べをしてくれていなかったら、私たちは無理矢理にでも屋敷に突入していたのだろうか。いや、梓のことだから口で言っているだけで実際には行動したりしないだろう。彼女は頭が悪いわけではないのだから。
「外から見るだけじゃツマラナイ。」
梓は引っ込みがつかなくなっているのか、尚も、隆司に食い下がる。
「おっしゃる通りです。ですから僕もいろいろ調べました。そうすると、この近くに社があることが分かりました。そこは双子の神を祀っているとか・・・今は誰にも管理されておらず廃れているようですが。」
社。双子の神。なんだろう。良くないことが起こりそうな気がする。
「それを早く言いなさいよ。そこに行くわよ。」
すっかり機嫌の直った梓が隆司に言う。
「はい、向かいましょう。ですが、車で行けるのは途中までです。細い山道で車が入れないのです。」
申し訳なさそうに梓に返答する。
「ウソ?歩くの?結構遠い?」
「歩いて五分程度でした。」
もしかして、その社にも隆司は一度行ったのだろうか。
「そう、近いわね。でも・・・」
「靴、ですよね?」
「そう。歩きやすい靴は履いてきたけど・・・」
「一応長靴の準備はしてあります。」
まったく・・・どこまでも至れり尽くせりという感じだ。
車で十分くらい移動し、隆司の言うとおりに五分ほど歩いたところにそれはあった。山道を歩いたから、てっきり山頂とかに社があると思ったのだが・・・
「崖にあるのね。」
思ったことをそのまま口にする。
「そうね・・・ずいぶんと朽ちてきているけど・・・」
梓は少しがっかりしたように呟く。
「はい。かつては手入れがされていたのでしょうが・・・この村も過疎地となり数十年。高齢者しかいない村ではここまで手が回らないのでしょう。」
梓は隆司の言うことなんて興味がないかのように、社を調べながら言ってきた。
「ねぇ、麻衣。知ってること話してよ。」
「今?」
「そう、この社のこととか何か知らないの?」
「社・・・」
私はこの村の近くで育ちはしたが、来たことはない。なのになんだろう・・・ひどく懐かしい気がする。さっきの洋館もそうだ。どうしてこんな気持ちになるのかさっぱりわからない。
「ねぇ、麻衣。どうしたの?」
「あ、ごめん。私が知ってるのはこの近くの崖で子供が死んだってことだけ。」
そう。それだけのはず。でも・・・おかしい。何かが引っかかる。
「麻衣さんがおっしゃっているのはこのことだと思います。」
そう言って隆司が取り出したのは何かの記事のコピー。とても古い新聞の様だ。
「なにこれ?ずいぶん古いものなんじゃない?どれどれ・・・」
そう言って梓が隆司の手からコピーを奪い取る。
「えっと・・・『高無舞ちゃんが行方不明』か・・・きっと麻衣が言ってるのはこれだね?でも、昭和二十八年?ずいぶん昔ね。私たちのおばあちゃん世代くらいかしら?どうしてこんなところに来て・・・転落したのかしら・・・」
高無舞?なに?なんなのこの不思議な感覚は。
「ねぇ、この名前って・・・あんたにそっくりね。」
梓が突拍子のないことを言い出す。
「え?」
「だって、あんたは高科麻衣でしょ?そしてこの行方不明の子が高無舞。ね?『し』と『な』が入れ替わっただけでほとんど同じ名前じゃん。」
その瞬間、急に頭痛に襲われる。思わず頭を押さえて膝をつく。
「ちょっとっ、どうしたの麻衣っ。大丈夫?」
梓が心配して駆け寄ってくる。
「だい・・じょうぶ・・・」
そう答えたがどうやら大丈夫じゃない。急に吐き気もしてきた。
「麻衣、麻衣っ。」
そう言って梓が私の背中をさすってくる。麻衣・・・私の名前。高科麻衣・・・それが私の名前?たかしな・・・まい・・・
「先輩、とりあえず、少し休みましょう。麻衣さんをそこの社に少し寝かせましょう。」
そう言ってどこから取り出したのか、バスタオルのようなものを社の縁側に引く。
「そ、そうね。」
梓はオロオロして何もできないようだ。
「先輩、麻衣さんをこちらに。」
「え?」
「では、僭越ながら僕が。」
そう言うか言い終わらないかのうちに、彼は私を抱きかかえてタオルの上に寝かせる。梓はオロオロしながらも親友のもとに駆け寄る。
「う・・・」
梓の顔がうっすらと見える。彼女の眼には涙が浮かんでいる。
『まい・・・やっと帰ってきたんだね・・・』
「・・・だれ?」
「どうしたの麻衣?誰って、私よ?梓よ?」
梓の声は聞こえていた。
でも声が出ない。
声を出せない。
そこで私の意識は途絶えた。
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