第六章 その五
私は一瞬で三階まで移動する。階段を使ったわけでもなく。そう例えるなら瞬間移動。そんな感じだった。
「外から見えていた明かりは正面側だったな。そうなると例の部屋は・・・もう少し先の部屋になるのか?」
コイツが犯人なの?
「待てよ・・・それっておかしくないか?」
何を言ってるんだろう。唯には全く理解できない。
「いや・・・見間違えたんだよ・・・」
「ここは三階よね・・・私と愛まーまが住んでいた部屋・・・」
ここには入らせない。絶対。そう思い男性の横を風のように通り抜ける。その時一瞬だけ男性に触れる。男性は驚いたように振り向くが唯に気が付いたのではないようだ。
「ダメ、ここには入らないでっ。」
「まいった・・・正直・・・怖いや。」
やはり、声は届かない。わかってはいた・・・やっぱり止められないんだ、と。
「この部屋だな。」
「その部屋は・・・」
「え?」
男性が驚いたような声を上げる。
「その部屋は・・・使ってない部屋よ・・・私と愛まーまの部屋は隣・・・」
ホッとしながらそう呟いて男性の顔を見る。
会ったことがあるはずもないその男性の顔を見て驚く。
私はこの男性の顔を見たことがある。
いや、そんなはずがない。
この男性は私が幼い頃に愛まーまを殺した男。
会ったことがあるわけがない。
そんなはずがないのだから。
「明かりを・・・スイッチがどこかにないのか?」
男性は壁際を手で触りながらスイッチを探している。そして部屋に明かりが灯る。
「ここは・・・さっきの『何もない部屋』?」
初めて男性の顔をはっきりと見る。
「一哉?」
思わず口に出す。
その名前は唯の彼氏の名前。
そして、一輝の父親の名前だ。
「待て待て。ここがあの部屋と同じなんてことがあるわけがない。作りが同じというだけだ。なら・・・この部屋とつながる部屋があるはずだ。」
男性は何を動揺しているのかブツブツと呟いている。その仕草はまるで一哉を見ているかのようだった。
「おい・・・嘘だろう?」
階段を昇ってくる足音が聞こえる。愛まーまが来たのだ。その時が刻一刻と迫ってくるのを感じた。男性は足音を出さないように階段に向かった。そして・・・力いっぱいにあいまーまを突き飛ばした。
「キャー・・・」
悲鳴とともに聞こえる激しい音。階段を愛まーまが落ちていく音。
「まさか・・・今の人って・・・」
男性が狼狽した声を出す。
「殺人者が・・・一哉に似た殺人犯が・・・何を・・・」
そう言って愛する一哉に似た殺人者を睨みつける。しかし、男性はそんなことには気が付かずに階段を駆け下りていく。
「まさか?そんな・・・違うよな?」
駆け下りながらそんな言葉を口にする男。罪悪感の現れだろうか。
唯は薄汚いものを見るように侮蔑の表情を浮かべ、冷静に事態を見守り続ける。
男は倒れている愛まーまに駆け寄り手を取る。
「うわぁ・・・俺は・・・そんなつもりはなかったんだ・・・」
男はそう言って玄関に向かって一目散に駆け出していく。
「愛まーま・・・」
そう言ってしゃがみ込む。愛まーまに触れようとする。しかしというか、やはりというべきか。愛まーまには触れられない。
「こんな・・・最後だったんだね・・・」
がっくりとうなだれる唯。流れ落ちる涙。その涙が愛の顔に落ちる。
「・・・ゔ・・・」
「愛まーまっ」
「ね、姉さん?」
唯の声と舞の声が重なる。舞まーまが戻ってきたのだ。
「姉さんっ、何があったの?ねぇ、大丈夫?今すぐ救急車を呼ぶからっ。」
そして愛まーまが薄く目を開く。
「・・・まい・・・」
「愛まーま・・・」
「あぁ、そうよっ、姉さん。私よ、舞よっ。待ってね、すぐ救急車を呼べば助かるからっ。」
私は未来を知っている。愛まーまは助からない。こんな・・・腕も足も・・・
「・・・ごめ・・ん・・・わたし・・・さきに・・・」
咳き込むように血を吐く愛まーま。
見ていられない。
過去のことだとわかっていても、今ここに見えているのは紛れもなくあの時の光景なのだろうから。
「いやよ姉さんっ。私たちやっと会えたのよ?これから一緒に生きていこうって約束したじゃないっ、ダメよ、絶対に・・・うぅ・・・助ける・・から・・・」
「・・・きいて・・・」
「・・・」
「・・・ゆいを・・おね・・・がい・・・」
愛まーまの口から血が流れてくる。きっと・・・もう長くないんだ。
「うん、わかったからっ、もう、無理しないでっ。」
愛まーまは舞まーまの顔に手を伸ばす。
その腕はとても生きているとは思えないくらいに真っ白になっている。
愛まーまの細い腕に着いた血がひどく目立つ。
「姉さん、なに?聞くからっ、私なんでも聞くからっ。だから・・・死なないでっ。」
愛まーまの手を取り顔を持って行く。
「舞まーま・・・本当に愛まーまのことを大好きだったんだね・・・」
「・・・だれも・・うらまない・・で・・・わたしは・・しあわせだっ・・・たわ・・」
「恨むな?そんなの無理よっ。私は絶対にあの男を許さないっ。」
私が許せるわけがないじゃないっ。
「うん・・・」
涙を流しながら愛まーまの最後の言葉に耳を傾ける舞まーま。
「舞まーま?どうしてうんって言えるの?許せるの?私は絶対に許せないっ。」
「・・あの・・こは・・・わるく・・ない・・・わ・・・」
「そんなっ・・・あの子が?和樹がやったの?姉さんにこんなことをっ。」
その言葉に耳を疑う。『一輝?』まさか・・・でも、あの顔は一哉にそっくりだった・・・わからない。どういうこと?息子と同じ名前・・・
「ちがう・・・わ・・・あのこが・・きたのは・・・うんめ・・い・・いじょ・・・うの・・」
そこまで話して再び大量に吐血する。
「愛まーまっ。」
唯が愛に抱きついた。二十年も前に亡くなった母親に。
「・・・いきて・・・まい・・あな・・たは・・・ひとりじゃ・・・」
「うん、わかってる。私は一人じゃない。姉さんがいるっ、唯もいるっ。」
「そうよ、愛まーまっ、私はここにいるわっ。愛まーまが守ってくれたから、ちゃんと生きてる。ちゃんと大人になった。だから・・・」
愛は目を細めて微笑んだ。全てを慈しむ女神のような表情で。そして言った。
「愛してるわ。」
「愛まーま・・・」
唯ははっきりと聞いた。さっきの言葉を。
その言葉を言う前に自分の顔を見たことを。
愛まーまは最後に唯の姿を見たのだ。いや、唯がそう思いたかっただけなのかもしれない。
「まいまーま・・・」
その時幼い唯の声が聞こえた。
「唯・・・そうよ・・ママよ・・・」
そう言って舞まーまが幼い唯を抱きしめる。
「ままがいったの。ずっといっしょって。」
そう、その幼い唯が言ったのは、さっき唯自身が子供の自分に向けて言った言葉だった。
「そうね。ずっと一緒よ・・・私があなたのママになるわ。私は・・・高無愛。あなたのママよ。」
それで舞まーまは・・・高無愛として生きてくれていたんだ・・・
「私は・・・あの男の正体を突き止める。今の私にできる事はそれだけだから。」
そう言って唯は信じられないスピードで空を飛び、男を追いかけ、そして見た。
ドカッ
その音と共に空中を舞う男の姿を。そして、そのまま海に落ちていった男の姿を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます