第六章 その四

「落ち着いて考えてみよう。これは多分夢よ。恐ろしくリアルな夢は何度も見たけど、今回のは別格。何といっても自分の視点で見えていること。」


 そうなのだ。今まで見ていた夢はどこか俯瞰的な感じで自分以外の何かが見ているものを見ている、そんな感じだったのだから。


「それに理由は分からないけど、物にも触れられる時がある。そうなってくると・・・」


 フワフワと部屋の中を漂いながら考え事をする唯。

 こんなにのんびりと何かを考える時間は近頃の唯にはなかった。何といっても死期の迫った体だ。痛みが常にあったわけだから、それも当然というところだろう。


「そうか。私、死んだのか。」


 一つの結論にたどり着く。


「だって、体も痛くないし、お腹も大きくない。おっぱいくらいは大きいままで夢を見させてくれてもいいのに・・・」


 そう言って一人で悪態をつく。そして、自分の置かれた状況を再度考える。


「誰にも見えないんだし、せっかくだから家の中を移動してみようっかな。舞まーま・・・いると思うし・・・」


 突然現実を思い出す。恐らく舞まーまは一階で生活しているはず。


「昔からママは一階で生活してたもんね。行ってみよっかな・・・」



 一階に移動する。懐かしい実家。長い間帰っていなかったから懐かしいという気持ちが強く沸き起こる。


「どうして・・・私は一度もママに会いに帰らなかったんだろう。」


 そう呟き、涙が流れてくるのを感じた。


「ママ・・・舞まーま。ごめんなさい。」


 そう言って走って大好きな舞まーまがいるはずの部屋に向かう。


「あ、良く考えたら、今の私って幽霊だから、そのまま床とかも通り抜けられたんじゃ・・・」


 そう言いながら舞まーまの部屋のドアをくくりぬける。


「あれ?」


 久しぶりに見た舞まーまの部屋。懐かしいというよりも記憶の中にある部屋のままだ。


「このテーブル・・・壊れちゃったはずなのに・・・」


 そう言って触れたテーブルは、唯が小学生時代に潰してしまったテーブルと同じ型のものだ。母親と一緒に部屋の模様替えをしていた時に、物を載せ過ぎたのかミシミシと音を立てて潰れたのだ。


「舞まーまったら・・・似たテーブルを買ったのかしら。」


 そう言いながらテーブルの表面をみる。


「え・・・」


 そう言って思わず口を手でふさぐ。


「これって・・・私が書いた・・・落書き・・・」


 そう言った瞬間、ドアが開いて誰かが入ってきた。それは小さな女の子を連れた女性。ひどく怯えたような表情をしているが、その顔には見覚えがあった。


「舞まーま?ううん、愛まーま?」


 あまりの驚きにどうしていいのかわからない。舞まーまとそっくりな顔。でも、舞まーまじゃない。だって・・・舞まーまには・・・左耳に小さな傷はなかった。それから左目の下にある小さな泣きぼくろ。舞まーまにほくろなんてなかった。

 でも、そんなところを見なくても、ちょっとした仕草の違いで幼い頃の私はすぐに見抜いていた。二人はいっつも笑っていて、仲良しで・・・私が本当に見分けられるのかを試したりしていた。


「思い・・・だした・・・」


 そう言ってから再び、目に涙があふれてくる。


「でも・・・そうなるとこれってどういうこと?ここは未来じゃなくて過去なの?」


 独り言をつぶやく。愛まーまと一緒にいるこの小さな子は・・・きっと私なのだ。


「いや・・・思い出したくない。」


 そうだ。これは愛まーまが死んだ日だ。

 忘れていたわけじゃない。

 幼い頃に見たあまりにも無残な光景。

 忘れようとしていただけだ。

 幼い私はランドリールームに隠れていたんだ。


 そして、私は幼い自分と母の後を追いフラフラとランドリールームに向かう。


「ここに隠れてるのよ?ママが呼ぶまで絶対に出てきちゃダメ。」


 少女は先ほどの約束通りに声を出さずに頷いた。やっぱりそうだ。これはあの日の光景なんだ。そして・・・この後、愛まーまは死んでしまう。


「また後でね。」


 愛まーまは幼い娘を守るためにあの男性と戦ったんだ。


「武器なんてないわよね・・・」


 そして・・・殺されてしまう。


「こんなもの持った方が危険かしら。」


「そうよ・・・そんなことより私と隠れて。」


「それにしても、こんな田舎町に強盗なんて・・・」


 やはり私の声は届かない。愛まーまがブレーカに手をかけてスイッチを切って聞き耳を立てながら、一階のドアの近くで侵入者の動向を探っているようだ。


「どういうつもりなのかしら・・・」


 足音は二階から聞こえてくる。涙が溢れてくる。どうしてこんな景色が見えるんだろう。誰が見せてるんだろう。わからない。だって、この景色は、私が幼い頃に見た景色じゃないっ。私は愛まーまが死ぬ瞬間を見ていない。犯人も見ていない。なのにどうして・・・


「一人なら何とかなるかもしれない。」


「ダメよ、まーま。行かないで・・・」


 そう言って今は亡き母に触れようとする。


「三階は・・・私たちの部屋・・・」


 やはり、触れられない。そう、これは過去に会った出来事。既に起こってしまったこと。過去は変えられないのだ・・・

 母は娘を守るために部屋から出て行った。


「助けられない。なら・・・せめて何があったのかだけでも・・・」


 そう言って三階に向かおうとする。その時、不意に腕を掴まれた。


「おねーちゃん。だれ?」


 驚いた。私の記憶の中にはない出来事。いや、どうだったんだろう。思い出せないだけ?


「あ・・・私が見えるの?」


「うん。」


 少女は怯えながらもこちらを見ている。


「そうなの・・・ダメよ。ちゃんと隠れてないと。」


「おねーちゃん、あいまーまにそっくり。」


 そう言って目を丸くしてこちらを見るもうひとりの幼い私。


「そっくり・・・なのかしら。」


「うん。」


 笑顔で答える。


「そう、ありがとう。でも、ちゃんと隠れていないとダメよ?」


「でも、ひとりはこわいよ。」


 そう言って見る見るうちに泣き顔になっていく。


「大丈夫よ。あなたは一人じゃない。ママがいつもそばに居るからね。」


 そう私自身を優しく抱きしめて言った。


「うん。」


「ちゃんと隠れてようね。」


 そう言って幼い私をランドリールームの隅に隠れさせて、三階へ向かった。

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